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第116話
「‥それからジュセルに言っておきたいことがもう一つあったんだ」
スルジャとしばらく力素回復薬の引き取りと今後のことについて話していたヤーレが、寝台の方を向いて言った。
「え、何?俺?」
自分だけに言われることが何かあったかな、と考えながらそう言うと、ヤーレはニッと満面の笑みを見せた。
「ハリスがカラッセ族の部族会議で更迭された。他の罪状も含めて今はその身柄を大国議会警察が確保してる。‥よかったな、ジュセル。とりあえず当面、身の安全を心配しなくていいぞ」
ヤーレの言葉が頭の中で反響する。
ハリス、が捕まった‥?もう、狙われることはない‥?
「よかったねジュセル!外に出られるよ!」
興奮した表情でそう言ってくるスルジャと、「えっとどういう事情だったっけ?」とヤーレに問い直しているサイリの姿が目に入った。
スルジャに両手を握られてぶんぶんと振り回されて、ジュセルはようやく言った。
「そ‥っか‥‥俺‥とりあえずは、安全なんだ‥」
「まあ今回の回復薬のことがタラッカンの状況も合わさって、随分な評判になっちまったからな。警戒するに越したことはねえが、名指しで狙ってくるやつは当分はいねえだろうから安心していいと思うぞ」
「そう、かあ」
ふうっと息を吐いた。不思議な感じだ。ずっと家にいて、外に出ないのが普通になりつつあって、でもやはりそんな日々は息苦しかった。
庭ならいいかと出てみたらそこを狙われたりして、もう一生まともに外に出られないんじゃないかと夜中に一人寝台の上で泣いたこともあった。
だが、自分を名指しで狙っていた者の脅威は、とりあえず消えた。
またジュセルの蒼い瞳をじわりと涙が覆い始めた。それを見てもらい泣きし始めたスルジャとそれを慰めるサイリ、焦ってあわあわとした動きしかできないヤーレと、何だか収拾のつかない状態になった。
「こちらです」
小型機工車に押し込められ、途中セキセイ(=キリキシャとヨーリキシャからなる動力練出の組を指す)からの動力補給を受けて走ること半日以上。ようやく着いたタラッカンは、暗澹たる空気に包まれていた。
元々タラッカンは街道沿いにある小さな集落で、カルカロア王国北部の街へ向かう商人などが通るくらいしかヒトの行き来しかないところだ。
人口自体も約千人足らずと、本当に小さな集落である。ただ、自然が多いことと天候の移り変わりが激しいことから、退異師会の観察地点になっており、いつも数人の退異師が常駐しているような場所だった。
そういった性質の集落だったから、住民たちは異生物への対処はある程度慣れてはいたのだ。しかし、今回の異生物は特殊かつ巨大すぎた。いつもであれば「退異師に任せておけば大丈夫」という信頼と安心が集落の人々にあるのだが、今回のように膠着状態が一か月以上も続けば不安も大きくなってくる。
その不安が、集落を覆う不穏な空気として表れているかのようだった。
ナジェルが小型機工車を降りて空を見上げれば、異生物に苦慮する人々を嘲笑うかのように空は暗い。厚い雲が隙間なく空を覆っていて、光さえも通すまいとしているかのようだった。
(この雲と、私は戦うわけか‥)
そう思うと、武者震いのような震えが自分の身体を襲う。恐れはないが、果たして異生物を討伐するまで自分の体力が持つか、それだけが心配だった。
念のため、イェライシェンを発つ前にジュセルに頼み、いくつか焼き菓子を作ってもらっている。さらにはスルジャが二杯分ほどのジュセル作の茶葉をわけてくれた。
(万が一、力素枯渇に陥りそうになったらこれを食べてしのぐしかないか‥ティルガの到着がいつになるか読めない中で、私が倒れるわけにはいかない)
ナジェルは心の中でそう思いながら、案内に立ったレイリキシャについて行った。
対異生物討伐隊本部は、タラッカンの中心から少し離れた街道に近い開けた場所に設営されていた。大小さまざまな天幕がいくつも立ち並んでいるが、その天幕の汚れ具合が討伐が長引いていることを示している。
あちこちに疲れた顔をした退異師がうろついており、医師の恰好をしているマリキシャも忙しそうに天幕の間を行き来していた。
時間は夕刻、異生物の動きが活発になり始めるころである。
ひときわ大きな天幕に案内され、垂れ幕を挙げる。そこには壮年のヨーリキシャが大机の向こうに立っていた。
「あなたがナジェルか?私はこの異生物討伐隊総責任者のカツカだ」
「依頼を受けて請負人協会 から来ました、一級請負人 のナジェルです。よろしく」
互いに胸に手を当て、挨拶を済ませるとカツカはさっそく奥にある大机の上を指差し、話し始めた。
「着いて早々で悪いんだが、できうる限りの雲を取り除いてもらえるか?この五日ばかりずっと厚い雲に覆われていて、異生物の動きが活発化しているんだ」
「わかりました‥ですがこちらも機工車に乗り通しで疲れてる。道はほとんど機工車道じゃなかったからね‥まだ身体が揺れている気がして気持ち悪いんですよ」
カツカが少し眉をひらいて、申し訳なさそうに言った。
「確かに‥あの道のりをやってきたなら疲れているだろうと思う。だが‥我々もギリギリのところで日々異生物と対峙しているんだ。申し訳ないが休息の時間は、せいぜい三時間くらいしかやれない」
ナジェルは努めて笑顔を心がけた。カツカのいうことも尤もだ。しかし、ここで退異師たちに気を遣いすぎて自分が無理をしたら、結局全員に被害が及ぶことになる。
「三時間もいただければ十分です。少し仮眠を取らせてもらってから仕事に取りかかる。私はどこに寝起きすればいいですか?」
「ああ、案内させる。‥ゼゼト!」
声に呼応して垂れ幕を上げ顔を見せたのは、ナジェルをここまで案内してくれたレイリキシャだった。きりりと引き締まった顔のレイリキシャは軽く会釈をすると垂れ幕を上げたまま、ナジェルに外に出るよう促した。
天幕の間を歩きながら、ゼゼトは軽くそれぞれの天幕の案内をしてくれた。食堂になっているところ、救護所、花売り (=売春者)がいるところ、装備品などを受け取れるところ‥。案内は多岐にわたったが、ゼゼトの説明は非常にわかりやすかった。
「申し訳ありませんが、今はヒトも増えているんでみんな雑魚寝です。この天幕の中の、荷物がない寝台で休んでください。時間になったら、また俺が迎えに来ます」
ゼゼトはそう言うとまた一礼をして足早に去っていった。ゼゼトから強いちからは感じないので高能力者 ではないのだろう。ここでは色々な立場の人が、それぞれの仕事をしているのだ。‥花売り までいるのには驚いたが。
天幕の中に取り残されてぐるりと辺りを見回した。中くらいの大きさの天幕の中には四台の寝台がしつらえられており、そのすぐ横に簡易的な棚が据え付けられている。四つの寝台のうち、三つは色々と荷物が置かれていたが、入り口に近い右側の寝台には何も荷物が置かれていなかった。ナジェルは多くはない荷物を開き、着替えを取り出して棚にかけた。
そして襟巻を取り出してごろりと寝台に横になった。靴のまま寝転がれるように、足元の部分にはチェカの皮が敷かれている。
ナジェルは襟巻を顔にかけて光を遮断し、目を瞑った。
気持ちとしては横になって数分たってからゼゼトが起こしに来たような気がした。それほど疲れていたということだろう。ナジェルはため息をつくと隠しにジュセルの焼き菓子を一つ入れ、外套を羽織って外に出た。
相変わらず空一面を厚い雲が覆っている。タラッカンのあたりは灌木が多く、大きな森や山などもないので余計に空が広く見えた。
案内されるがままに前線へ向かう。
少し小高い丘にしつらえられた天幕に案内される。そこには先ほど会ったばかりのカツカがすでに来ていた。天幕は一面が解放され、すぐ下の景色が見えるようになっている。
ナジェルが来たのを視界に認めたカツカは、何も言わず景色を指さした。
その先を視線で追う。
そこにあったのは、巨大な「異物」。
ナジェルは思わずごくりと喉を鳴らした。
数々の修羅場を潜り抜けてきたナジェルだが、このようなものを今まで見たことがなかった。
そこにある、「異物」‥‥異生物は、まるでこんもりとした小さな森のように紫色の太い蔓草で全体が覆われている。
しかし、その足元は巨大な蛟 に似た生き物が三体も巻き付いており、鋭い牙を持った三つの頭をもたげて辺りを睥睨している。さらにはその蛟 のようなものの上に、鷲 の大きな嘴のようなものが無数に生えていて異様さが際立っている。あまりに多くの嘴が生えているので、その間から毒々しい赤い舌先が見えていなければ、まるで黄色い針山のようにさえ見える。
最も醜悪かつ奇怪なのはその上だ。‥‥子どもの上半身が生えている。生えているとしか言いようがない。子どもの顔に表情はなく、人形のようだが、その胴についている腕は両側に三本ずつ、計六本あるところが決してヒトではないことをうかがわせる。
そして子どもの身体の周りは、黒茶色の太い熊 の腕に覆われている。熊 の頭や体はどこにも見当たらない。ただ、鋭い爪を持った毛むくじゃらの腕だけが子どもの周囲と背中側に、これも無数に生えていて蠢いているのだ。
「信じられないだろ?」
横からカツカが言葉を添えた。何も言わないナジェルになおも言葉を重ねる。
「これでも大きさは一番デカい時の四分の三にまで削ったんだ。それでも、まだ高さは半カート(=約4,5m)、一番デカいところの直径は1カート(=約9m)もあるんだ。‥ヒト型の部分が厄介で、すぐに生き物を補充しやがる‥」
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