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第117話
サイリは手元にある、『特別製の速信鳥紙』をぴらぴらと空を泳がせながら見つめていた。
これは、一般に出回っているものとは違う、ごく『特別』なものだ。
なぜなら、緊急時などにすぐ連絡がつくよう、龍人 の番いであるマヒロが龍人 に頼んで作ってもらったものだからだ。
マヒロはいまだにサイリを成人前の子どもであるかのように扱うが、サイリとてもう四十三歳にもなろうかという立派な大人である。この『特別な速信鳥紙』をサイリが使ったことは、今までなかった。
「ジュセル、ねえ‥」
ぴらぴらと泳がせていた紙を掴んで見つめる。
ジュセルは、不思議なキリキシャだ。確かに所持している内包キリキはかなり少なく、とてもではないが高能力者 だとは思えない。それはナジェルもそう言っていた。
しかし、同時にナジェルはこうも言っていたのだ。
―――ジュセルからは、今までに感じたことのない気配がする。そしてそれは、今まで自分たちが知っている『ちから』とは違う、だが効果的なものだと思う。そうでなければ、ジュセルが作ったものに力素回復の効果があることが説明できない、と。
まだ幾日かしかジュセルと共に過ごしていないサイリではあったが、ナジェルの言っていたことを肌で感じ取れるようになっていた。退異武器は使えても高能力者 ではないサイリになぜそれがわかるのか。
それは、ジュセルに『似た気配』を知っていたからだ。
ジュセルと似た気配を持っているもの。
龍人 の番いである、マヒロから感じられるものに似ているのだ。
番い自身はヨーリキシャであり、実際ヨーリキをよく使える高能力者 でもある。これは、龍人 の番いになる前からそうだったのだ、と父から聞いたことがある。だからジュセルとはちからの種類は違うはずだ。
それなのに、時折ジュセルから感じる気配は番いと同じもののように感じられる。また、玉に番いが使っているよくわからないような言葉をジュセルも使う時がある。
番はそれをあまり気にしていないようだったが、ジュセルはそういった言葉や用語を使ってしまった時、明らかにしまった、という顔をして言い直していた。
これらが意味することは何なのか。番いに訊いてみた方がいいことなのか‥。
何度も考え、紙を眺めることを繰り返しているのだが結論が出ない。
(あの子を、困らせたいわけじゃない。‥‥でも、この先もこういうことが続いて‥あの子をよく思わないヒトが周りに来るようなことがあったら)
少しまだ幼さの残るジュセルの顔を思うと、サイリは不安に駆られるのだ。
それでも、連絡をするかどうか迷っているのはひとえに龍人 がおそろしいからである。
記憶にある限り、龍人 に会ったのは三回。
一度目はまだ物心つくかつかないかの頃で二、三歳ごろだったと思う。その時は、龍人 よりもその飛竜のことの方が印象が強く、あまり覚えていなかった。
二度目は、サイリが成人した時。お祝いに駆けつけてくれた番いに付き添ってやって来たのだ。
初めてきちんと正面から龍人 の顔を見て仰天した。あんなに顔立ちの整ったヒトを、サイリは見たことがなかった。しかも、その表情は番いがいないところではほぼ無く、まるでヒトではないかのような気がして畏怖を覚えたものだ。
最後はたまたま、国境沿いを歩いていた時のことだ。大怪我をして立ち往生していた隊商会の者を見つけ、対応していた時に上空を舞う飛竜を見たのだ。
サイリの目は確かに龍人 の顔を認めたが、龍人 はこちらを見向きもせず、そのまま飛び去っていったのだった。
母親が、何度も念を押して「龍人 様は私たちヒトの理 の外にいらっしゃることを忘れるな」といっていたのを、その時思い出したものだ。
おそらく自分が番いに連絡すれば、番いは興味津々サッカン十二部族国まで飛んでくるだろう。番いに甘く、何よりも大事にしている龍人 がそれをどう思うか‥‥。
それを考えると、どうしてもサイリは『特別な速信鳥紙』を飛ばす気になれないのだった。
その頃、タラッカンではナジェルが持てるキリキのすべてを使って分厚い雲を取り払っていた。雲が無くなったことで青く光る月の姿が見えてきた。この世界 には月が二つ、空にある。
月光を浴びて、異生物は嫌そうにその巨躯を震わせた。それを見た退異師たちが連携を取りながら十数人がかりで襲いかかっていく。
ナジェルは急激に目の前が暗くなるのを感じた。‥力素枯渇が近いのだ。それを悟って隠しに入れていたジュセルの焼き菓子を、カラ葉ごと口の中に入れて無理やり咀嚼し飲み下した。
ぶわり、と体外から力素が吸収されるのを感じる。暗かった視界が明るくなった。
「‥っく、」
異生物がある場所から半径約半カルトを超す(=約5㎞)くらいの範囲の雲を取り除くと、ナジェルはそのまま崩れ落ちた。
素早くその身体をゼゼトが支える。ゼゼトに身体を預けながら、何とかナジェルは言った。
「‥雲は、移動させ、たが‥もって半日だ。‥俺が、今から休んで‥明日目覚めたときの力素の状態で、また‥取り、除く‥」
カツカはすぐに応えて言った。
「わかったナジェル、もう話さなくていい、天幕に戻れ。ゼゼト、頼む」
「はいっ」
ぐったりと脱力して半ば気を失っているナジェルの身体を、ゼゼトは肩に担いで前線の天幕から出て行った。
カツカは、異生物と格闘している退異師たちをじっと見つめていた。
天幕に運ばれる途中でゼゼトは声をかけられた。声のした方を見てみれば、『黒剣』と異名をとる二位退異師のケイレンがいた。間近でその姿を見たのは初めてだったので、ゼゼトはどぎまぎした。
「どうしたんだナジェルは?」
「はい、異生物討伐現場の雲を取り除いてくださって、おそらくは力素枯渇に近い状態かと‥天幕にお連れするところです」
緊張しながらもそう説明したゼゼトに、ケイレンは一つ頷いてゼゼトが担いでいない方のナジェルの肩に手をかけた。
「俺が運ぼう。知り合いなんだ」
そう言ってケイレンは軽々とナジェルを抱き上げた。ナジェルとてほぼ二カル(=180㎝)はあるというのに、それを全く感じさせない動きだった。ゼゼトは感心しながらも恐縮した。
「すみません、自分の役目なのに‥」
「構わないから早く案内してくれ」
つっけんどんにそう言うケイレンに、また恐縮しつつゼゼトはナジェルの天幕へ案内した。
寝台に寝かせると、ケイレンは言った。
「俺の出撃まではもう少し時間があるから、しばらくここにいる。お前はもういいぞ」
「え」
ナジェルが、はっきりと意識を取り戻すまではついているつもりだったゼゼトは困惑した。だが、ケイレンは無表情なまま顎をしゃくり、出て行けというそぶりをする。仕方なく、ゼゼトは天幕を後にした。
ケイレンは自分の隠しに入れていたジュセルのケーキの欠片を少し取り出し、ナジェルの口に押しこんだ。う、と呻くのを見て、自分が提げていた木筒 から水も飲ませてやる。
するとうっすらとナジェルが目を開けた。
「ケ、イレ‥?」
「ああ、ほら、噛め。ジュセルのやつだ」
言われて何とか咀嚼してのみ込む。するとすっと気分が軽くなって意識が清明になってきた。
「これは‥すみません」
ケイレンが自分の分の菓子をわけてくれたのに気づいたのだろう、ナジェルが礼を言うとケイレンは首を振った。
「構わない、あんたに訊きたいことがあったから‥ジュセルはどうだ?本当に元気にしてるのか?襲撃は?」
「‥けふ」
まだ声が出づらかったナジェルは、少し身体を起こしてケイレンから木筒 を受け取りもう一口水を飲んだ。
「はあ‥ありがとう。どの辺まで聞いてるかわからないけど、とりあえず私が出発するまではジュセルは無事だったし、あと、ヨキナが死んだらしい」
ケイレンは目を見開いた。
「ヨキナって‥裏請負会 の副頭じゃなかったか?」
「ええ。まあなんで殺されたのかとか詳しいことを聞く前に私はバタバタ出発になっちゃったから、後の詳しい経緯は知らないけどね」
「そう、か‥すまん、ありがとう」
ケイレンは少し考え込んでいた様子だったが、ナジェルの言葉を受けて顔をあげ礼を言った。
「目の前にジュセルがいないのが‥本当に怖いんだ‥」
不安げにそう呟いたケイレンに木筒 を返しながら、ナジェルは微笑んだ。
「ジュセルはあなたのことを色々心配してましたよ。あなたのためにもなれば、と回‥あれを作るのも頑張ってたみたいですし」
ピリ、と唇に軽く麻痺が奔ったのを感じ、ナジェルは言い換えた。無論、ナジェルもシンリキ誓書を書いている。
ナジェルの言葉を聞いて、ようやくケイレンの顔に薄い笑みが浮かんだ。その顔を見て、ナジェルは自分とサイリが思いを通じ合えた頃のことを懐かしく思い出した。
「想い合っているんだから‥ケイレンの気持ちもちゃんとジュセルに伝わってるよ」
「‥ああ、ありがとう」
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