137 / 138

第135話

カズリエとロザイは互いの依頼表を突き合わせ、何とか人員の配置まで含めての調整を終えた。それでも取りこぼしてしまう依頼は公的機関に助けを仰ぐことにする。国が助けてくれる可能性は極めて薄いが、申請をしなければ取り組んでもくれないのでまとめてカズリエの方でやっておくと請け合った。 ある程度の話し合いがすんでようやくお茶が出され、乾ききった喉をロザイがごくごくと潤しているときにカズリエが言った。 「あんたの方には来てるんでしょ」 「っ、何が?」 茶を飲み干したロザイがしれっとそう言うと、カズリエもそのまま言葉を継いだ。 「ハリスの暗殺依頼よ。何件くらい来てるの?」 ロザイは茶器をコトンと机上において、カズリエの目をぎろりと睨んだ。 「‥あのなあ、そこまで馴れ合う義理はねえぞ」 「何言ってんのよ、この混沌は、あいつさえ死んでくれればすぐにも収まる混沌なのよ?それを把握するなって方がおかしくない?」 カズリエと話していると、それこそ頭が混乱してきそうだ。今までの業界の常識を全部ひっくり返す勢いのカズリエに、ロザイは心の中で両手をあげ、心底ヤーレに同情していた。無論表には出さないが。ロザイは仕方なく、声を潜めて話し出した。 「‥‥具体的に金額を提示して依頼があったのは三件だ。だが、」 「その内一件は国からでしょ」 ずばりと言われてロザイは二の句が継げなかった。黙ったままのロザイに、カズリエはフンと鼻を鳴らした。 「国ってのはそんなもんでしょ。裏も表も上手に使い分けることができるやつが、国の舵取りしてんのよ。それくらいわかってないと会長なんかやってらんないわ」 そしてじろりとロザイを見上げた。 「うちは完全に人手不足だからそっちに人手は割けないの。それに関してはあんたのところでうまくやってくれる?その代わり」 そう言ってカズリエはにやりと笑った。 「力素回復薬は、ヤーレと取り交わした約束の数より多めに回すわ。それでどう?」 ロザイは、黙って頷いた。 ハリスは一枚板の豪奢な書き物机に向かって、これからの予定を紙に書き出していた。こうすると考えがまとまってきて効率がいいのだ。無論書き出した紙はいつもその場で燃やしてしまっている。下手に証拠は残すものではない。ヨキナが自分の知らぬうちに、音声や動画を取って残していたことは大きな衝撃だった。 自分の身を護るためには、これからはより一層慎重を期さねばならない。 まずは偉そうに長々と自分を糾弾していたカリエを殺してやった。元から気に入らなかったハーナの(シンシャ)でもあったのですっきりした。ハリスはハーナのことも嫌いだった。それでも強制性交幻覚剤(パルーリア)を使って花売り(パレイラ)(=売春者)にし、多少は金銭を回収できたからよかったものの‥うるさい(シンシャ)だった。ハーナを、あんな役立たずに育てたことを反省するべきであるのに。 手元に書き綴った計画表を見て、ハリスは考えた。 暗殺したい人物は山のようにいるが、相手側の警戒の度合いを考えると、殺せるのは現実的にはあと一人くらいだろう。その一人に誰を選ぶか‥ずらりと書き綴った名前の上に指を滑らせながら考える。 そうしているときに、一番下に書いてある名前に目が止まる。その上にゆっくりと指を滑らせた。 下の方には、「手に入れるべきもの」が列挙して書いてある。一番上に書いてあるのは、ケイレンの名前だった。 「‥薬剤の安定供給ができるようになったら‥私の元に攫ってきて、薬漬けにする」 そう小さい声で呟いて、ハリスはくくっと笑った。 美しいケイレン。凛としたあの目、しなやかな身体つき。あの身体つきでは、誰かに抱かれたことなどないだろう。後ろの初物は自分が奪うのだと、出会った時から決めている。 「強制性交幻覚剤(パルーリア)を飲ませてから、症状緩和剤(パロクシア)を飲ませて‥ふふ、私の意のままに動くように精神改造して‥」 もう自分の能力を大きく抑制していた忌まわしい腕輪はないのだ。これからいくらでも自分の思うさま、シンリキを使うことができる。 「だが‥」 久しぶりに全開で能力を使ってみたら、子どものころのようにはいかなかった。子どもの頃はいくらでも何人でも操ることができたのに、今回脱獄の時に十人ほどにシンリキ操作を仕掛けたところで息切れしたのだ。 「大人になって‥自分の身体を維持するための力素も多く必要になったせいか‥?」 ハリスはそのように考えていた。 しかし、ハリスはまたふっと笑ってハルミ酒のグラスを手にした。 「大勢を操ることが難しければ、長の立場にある者を操ればいいだけだからな‥」 とりあえずはあと一人を殺してから、具体的な行動に移るつもりだ。本来なら族長という権力も併用しながら少しずつ進めるつもりだった計画を、こうなってしまえば一気に仕上げてしまおうと思っていた。 そのための情報だけは、あらかじめ集めてある。 次代族長という、狙っていた権力は逃してしまったが、そのお陰で表の顔という(くびき)から離れられたハリスは、いっそうきうきとしながら今後の計画を練っていた。 カリエの「巡り送り(=葬儀)」は簡略で寂しいものだった。この場をハリスが狙ってくるかもしれないからと、大きく執り行うことを国から制限されたからでもあるが、それでなくとも皆、ハリスの能力を恐れて表に出たがらなかった。 ザイダは、カリエとハーナが好きだった花を組み合わせて花束にしたものを腕にして、カリエが燃やされている碧の炎を眺めていた。巡り送りで燃やされる人を焼く炎は碧だ。 カリエの伴侶がゆっくりとザイダの傍に近寄ってきた。ザイダは、その感情のない顔を見て、思わずその場に膝をついた。 「ダフネ‥すまない、俺のことを支援したばかりに」 「いいえ、ザイダ、違うよ」 カリエの伴侶‥ダフネは淡々と返した。 「私たちが、ハーナに色々なことを要求しすぎていたところから、もう決まっていたんだ。私たちのせいなんだよ。ザイダは何も悪くない」 そう言って、ダフネはザイダが腕にしている花束を見つめた。 「カリエに?」 「‥はい」 ダフネは花束の方に向けて腕を広げた。ザイダはそっとその腕に大きな花束を抱かせてやった。ダフネは碧の炎が燃え盛る横で、ゆっくりと花の匂いを吸い込んだ。 「いい香り‥カリエと‥ハーナが好きだった花だね。ザイダは、優しい子だ」 「いえ‥」 結局二人とも死なせてしまった。ダフネは一人で生きていかねばならない。他にも子供はいたが、そちらも既に亡くなっている。 悲痛な顔をしてこちらを見ているザイダに気づいたダフネは、にこ、と笑顔を作った。そして手を差し伸べてザイダに立つよう促した。 「ありがとう。あなたの気持ちは受け取った。もう帰りなさい。あなたの命は決してあいつに取られることのないように、気をつけて。あなたの安全を私も祈ってるから」 「‥ありがとう、ダフネ・・」 その言葉を聞いた護衛たちがすっとザイダの周りを囲んで小型機工車に乗るように促す。ザイダは促されるままに機工車に乗り込みながら、空高く上っていく煙を見つめていた。 (無駄にはしない、何も。‥あいつの圧力に、俺は負けない) ザイダは目を瞑り、ハリスに殺された人々の巡りを祈った。 その時、外で少し揉めているような声が聞こえた。護衛と誰かが言い争っているようだ。何とかと窓の覆いを少し開けてみてみると、言い争っていたのはヤーレだった。 「ヤーレ!どうしたんだ、こんなところで」 「やっぱりお前か。お前なら今日、ここに来てると思ったんだ」 護衛が、本当にザイダの知り合いなのだと確信してようやく少し離れた。胸ぐらでも掴まれたのか、少し乱れている胸元を直しながら、ヤーレはずいと機工車に乗り込んできた。 「‥相変わらず人の都合を訊かないやつだな‥」 そう言いながらも、ザイダはヤーレの顔を見てほっとしている自分を感じていた。いつもならここでヤーレの軽口が飛び出すところだが、その代わりにヤーレは輝石の嵌まった組紐のようなものを差し出してきた。 「これ、腕につけとけ。匙や肉叉(フォーク)を持つ方にだ」 「は?‥何だこれ」 「どっちだ、右だったか」 ザイダの質問には答えず、ヤーレは勝手にザイダの右腕に組紐をぐるりと巻いて結んだ。 「外すなよ。マリキ流せ」 「は?だから何だこれ」 「早く流せ」 言い張るヤーレに根負けして自分のマリキを少し流す。嵌められていた輝石が少し光って漆黒に染まった。 「‥よし、飯食う時はこれを近づけろ。毒の類が入れられていたら色が薄くなる」 「わざわざ、俺のために誂えてくれたのか」 ヤーレはそっぽを向いて頭を掻いた。 「俺は、お前の近くで守ってやることはできねえからな」 「‥‥ありがとう、ヤーレ」 ザイダは心からそう言ってヤーレの手を握った。するとその腕をぐいっと取られて引き寄せられた。 「!‥っ」 ヤーレは深くザイダに口づけた。 苦みはなかった。 ヤーレの大きな舌が、ザイダの咥内をするりと愛撫する。ぞくっとした感触がザイダの身体を襲った。今まで感じたことのない、感覚だった。 舌で咥内を一撫でしたヤーレは、すぐに身体を離した。そして笑う。 「すまん。勝手に」 「いや‥」 苦みは、なかったのだ。ザイダは自分でもそのことに驚いていた。 ヤーレはすぐに機工車の扉を開けて外へ出た。扉を閉めようと少しかがんだときに、じっとザイダの顔を見つめてきた。 「死ぬなよ、ザイダ」 ザイダは、無意識に頷いていた。 「なあ、いい加減屋敷の中でもずっとついてくんのやめてくんねえ?」 困惑気味にそうケイレンに言っているのは、菓子を作っている最中のジュセルだ。乳を泡立てるのを頼んだだけのはずなのに、終わっても相変わらずケイレンはジュセルの傍から離れようとしない。 カリエの暗殺は、色々なところに翳を落としていた。 請負人協会(カッスラーレ)にも裏請負会(ダスーロ)にも、護衛警備の依頼は殺到している。上級の者たちはみなそれ関連の依頼に駆り出されている状況だ。今、ナジェルやアニスがケイレンの屋敷に詰めていられるのは、力素回復薬の安定供給が今こそ必要だ、と判断したカズリエの裁量によるもので、そうでなかったら今頃二人ともここにはいない。 ティルガの場合は、仕事を受けるかどうかの判断はティルガ本人に任されているらしく、カズリエも何も言わなかった。 ヤーレはカリエの巡り送りの日、少しの間協会から姿を消してカズリエに死ぬほど罵倒されていたが、どこに行っていたかは誰にも言わなかった。 下級の請負人(カッスル)達は、ほとんどがシンリキ遮断頭環の材料や、万能薬や力素回復薬、一般的な回復薬の材料調達に追われていた。中でもシンリキシャは操作を受けにくいということで、下級でも警護に駆り出されている者もいた。 ケイレンは、ハリスが殺しを優先しているのだと悟ってからは、片時もジュセルの傍を離れなかった。鍛錬の時でさえ自分の視界から外れるのを禁じた。回りの人々は、仕方ないと半ばあきらめていたが、さすがに当事者であるジュセルは少しずつ窮屈さを感じ始めてきていた。力素回復薬を生成しているときも、同じ部屋でじっとジュセルを見つめているのだ。 夜は言うまでもなく、伴侶用の大きな寝台で共に寝ていた。あれから、ジュセルはしみじみと自分の体力のなさを痛感し、ソウイウコトをするのは三日に一度、いっぺんには多くても二回まで!とケイレンに厳命して泣きつかれていた。 あの後、身体を重ねたのは一度だけだが、それでもごっそりと体力を持っていかれた。こんな時に誰かが襲撃してきたら、役に立つ立たないの前に完全に足手まといだ、とジュセルは考えていた。 今日はスルジャのリクエストに応えて、ミルクレープを作っている。しかし、今この屋敷には高能力者(コウリキシャ)ばかり七人もいるのだ。何枚クレープ焼けばいいんだろ‥とため息をつきながら、ジュセルは延々とクレープを量産していた。 「俺はもう絶対ジュセルの傍から離れないって決めてるんだ。少なくとも、ハリスの脅威が無くならない限りは離れない」 「‥じゃあ、夜も‥するなよ‥」 「それは別!毎日はしてないだろ!」 「一回でも俺のHPは削られるんだよ!」 そう叫んだジュセルに向かって、ケイレンは不審げに首をかしげた。 「えっちぴーってなんだ?」 ジュセルは苛々して、焼くのに失敗したクレープ生地をケイレンの顔に投げつけた。 「もううるさい!俺が疲れるって言ってんの!」 「‥ジュセル」 ぺろりとクレープ生地を食べてから、ケイレンは長い腕を伸ばしてジュセルを捉えに来た。ぎゅっと抱き込まれるのに抗って身を捩る。 「鍋、鍋が熱くなり過ぎちゃう!」 「わかったわかった」 ケイレンは用石コンロの栓をひねって切ると、改めてジュセルを抱きしめた。ジュセルも渋々ケイレンの背中に腕を伸ばす。 「‥‥ジュセルと二人で、ゆっくりこの家で暮らしていくつもりだったのに、全然二人になれない」 「‥‥‥それはまあ‥そうだな‥」 ぎゅう、と抱きしめられる腕の力が強くなった。 「ハリスを見つけて、殺してやりたい」 「それはダメだろ!」 「わかってる。‥それくらいの気持ちってこと」 「うん‥」 ケイレンは腕を緩めてジュセルの顔を見つめ、ちゅっと触れるだけの口づけをした。その甘さに、ジュセルの顔はかっと赤くなる。 「なんか、ケイレンずりいぞ‥」 「ジュセルが好きなだけ」 そう囁いてまた抱きしめる。ジュセルも大人しくその腕の中に収まっていた。文句を言いながら、ここが一番安全で、安心できる場所なのだ、とジュセルもわかっている。 ジュセルには見えないケイレンの顔には、昏い光を凝らせた瞳がぎらぎらと光っていた。 何があろうとも、ジュセルといる。 何があろうとも守ってみせる、どんな手を使っても。 そんなことを考えているケイレンの頭を、何も知らないジュセルは愛しげに撫でていた。

ともだちにシェアしよう!