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第138話

「パルシン?」 ハリスからその名を聞いて、グンデは首をひねった。 ハリスはゼーダの暗殺に失敗したことを知って、また別の地区に住まいを変えていた。無論、元の持ち主には遠くに行くよう暗示をかけて追い出してある。今度は前よりも大きな屋敷で、一階には隊商会の事務所もあったので使い勝手はいいだろう、と判断して手に入れたものだった。 元々の隊商会の雇人達には、会長家族が長い旅行に出たのでしばらく休暇だと言い置いてあった。 そこにグンデを呼び寄せて相談を持ち掛けたのだった。 グンデは、研究さえできればいい、という倫理観の欠如した人物である。その結果、人々に甚大な被害を及ぼそうが、自然の生態系を破壊しようが、異生物の異常発生を招こうが気にしない、という道徳心や良心の欠片もないヒトだった。 だからこそ、今自分が見聞きしたことのない薬品の名前を聞いて首をひねったのだ。 「強制性交幻覚剤(パルーリア)を作った人物が、症状緩和剤(パロクシア)を開発したのは知っているでしょう?」 目の前に立たせたままのグンデを、上目遣いに見やりながらハリスは続けた。グンデはどうせ椅子を勧めても座らないし、茶菓を出しても口にはしない。 「無論だ。他にも 麻痺毒(パルローク)なども生み出したと聞いている。名は知らぬが、ヨーリキシャだったという話だ」 胸を反らせて誇らしげにそう言うグンデに、ハリスはわざとらしいため息をついてみせた。 「そこまで知っているのに、パルシンは知らないのですか?」 嫌味っぽく言われたグンデは、じわじわと顔を赤くさせた。怒りに震えているのだ。この感情の起伏がわかりやすい、しかも天才のヨーリキシャは、ハリスにとって非常に扱いやすいコマだった。 「パルシンは精神操作洗脳の作用を含んだ強制性交幻覚剤(パルーリア)だ。そのことを、精神操作洗脳性交剤(パルシン)と呼んでいるんです」 「‥‥一つの薬剤に、そこまで複雑な効能を持たせるなんて‥不可能に近い。それは偽りの情報ではないのか?」 「いや、これは私がかなり昔から集めている情報だから間違いはない筈です。‥ただ」 グンデは赤い眉毛をきゅっとひそめた。 「ただ、なんだ?」 「‥‥詳しい材料まではわかっているんだが、今一つ思ったような効能にならないんですよ。何か欠けていると思うんですが、そこがわからなくてね」 「そうか!」 グンデは再びぐっと胸を張った。今、顔が赤いのは怒りではなく興奮からだろう。ハリスは内心、嘲笑いながらグンデの言葉を待った。 グンデはせわしなくハリスの机の前をうろうろと歩き回りながら言った。 「お前は、その精神操作洗脳性交剤(パルシン)がほしい。でもその製法(レシピ)は決め手を欠いている。だからこの天才であるグンデに頼みたい。そういうことだな?またグンデの才能を使いたいのだな?」 きっとこちらを見てそう言うグンデに、ハリスは嗤いを噛み殺しながら頷いてみせた。 「そうなんです。必要なものはなんでも揃える。作れますか?精神操作洗脳性交剤(パルシン)を」 グンデはばん、とハリスの机を叩いた。 「グンデはできる!グンデは天才だからな!金と道具さえくれれば何でも作ってみせる!」 「頼もしいことだ。‥これから、強制性交幻覚剤(パルーリア)症状緩和剤(パロクシア)の生産本拠地を構えようと思っているんです。お前にはそこで、精神操作洗脳性交剤(パルシン)の研究をしてほしい」 グンデはすっと机上の手を引いて直立になり、こくりと頷いた。 「いつだ、いつ移動する?どこに本拠地を構える?」 「まあ、はっきりと決まったら教えますよ。それまでは機工車の改造を頼みます。大型の車庫に入っている機工車は、どう使ってもいい」 「わかった!グンデは素晴らしい機工車を作ろう!」 機工車についての注文はすでに受けているグンデは、そう言うや否やハリスのいる部屋を出て、せかせかと歩いていった。 手元にある紙を見る。材料はこれで合っている筈だ。しかしなぜ、思うような効能が出ないのか。 それをあの「天才」に探ってもらわねばならない。 これを使って、ハリスはケイレンを自分の思うようにするつもりなのだ。‥しかし、まずは自分の足場をしっかりとしたものにしなくてはならない。 「ふふ‥忙しくなりそうだ」 そう呟いて、ハリスはまだ温かい香り高いお茶をゆっくりと楽しんだ。 サッカン十二部族国とカルカロア王国の領土は、サッカン大陸の北部を東西に二分割したようなかたちに位置している。北部の方では、ヒトが踏み入ることのできない高山地帯の大龍山脈が実質的に国境とみなされていた。 南の方はサッカン十二部族国の方が張り出しているので、広さで言えば、この大陸では十二部族国が一番広い領土を持っていることになる。 その大龍山脈が途切れる辺りから海岸線まで、多少の屈曲はあるがほとんど真っ直ぐに流れているタツエルという川がある。河川としては大きい方ではないが、水源近くにある山村タシュグから海岸沿いにある漁村オクロトまでほぼ一定の速度で流れており、その長さは5ゴルカ(=約450㎞)にもなる。 山岳地帯の特産物を海岸側に送る輸送線として、また人々の移動を助ける移動手段として、地域の住民にとってはなくてはならぬ河川だった。 タツエル川の河口付近にあるオクロトは、住民のほとんどが漁業に関わるような小さな村である。港も漁船が停泊できるほどの小さなものしかなく、オクロトに事務所を置いている隊商会は一つだけだった。 人口はおよそ八百人余り。子どもは少なく、百歳を過ぎた壮年の世帯が多い。子どもを授かる子果清殿に行くためには、ここから機工車を乗り継ぎ3ゴルカ(=約270㎞)離れた町まで行かねばならないのだ。 ルフカはまだ十一歳の子どもで、シンリキシャだった。珍しいことに、ルフカの(シンシャ)二人もシンリキシャで、オクロト村の人々からは「あの家族はどこにいてもわかる」と言われるほどに、三人ともきらきらした金髪を持っていた。 ルフカの(シンシャ)は二人とも屈強な漁師で、ルフカの憧れだった。しかし(シンシャ)達に比べ、ルフカの身体の線は細く顔立ちもどこか優しい。大きくなっても自分は(シンシャ)達のような漁師にはなれないのではないか、というのがこのところのルフカの悩みだった。 今日は、(シンシャ)達が忘れた弁当を届けるために港に来ていた。二人とも本当によく食べる。余りによく食べるので、村の人々からは「お前ら本当は高能力者(コウリキシャ)じゃねえのか?」と揶揄われることもよくあるくらいだ。 だから今、ルフカが担いでいる弁当の包みはなかなかの大きさで、細いルフカの肩にぎしぎしと食い込んできていた。 (こんなもんくらい運べなかったら、漁師になんかなれねえ) ルフカはその気持ちばかりで必死に重い荷物を肩に担ぎ、足を運んでいた。 ようやく漁港についた、と思った時、ルフカはいつもと違う様子に気づいた。 静かだ。 いつもなら漁師たちが大騒ぎしながら今日の成果を船から揚げ、獲れた魚介類に色々と加工をしている時刻だった。 それなのに、今漁港はシン、としている。 港の傍にある建屋にはヒトがいつもいっぱいいるはずだ。何となく、足音を立てないようにそっと近づいてみた。 「!!??」 いつも陽気にガハガハ笑っている漁師たちは、一様にぼんやりとした顔をしている。しかしその手にはそれぞれ棍棒や銛などが握られていた。 漁師たちの真ん中にいるのは十人ほどの見慣れないヒト達だった。そして‥その視線の先にいるのは、ルフカの(シンシャ)二人だった。 「シンリキシャには効きづらい‥とは周知の事実ですが‥。あなたたちは多分、そこそこにちからもあるんでしょうねえ、私のちからが全く効かないというのは」 「‥‥何が目的なんだ!村の人たちを正気に戻せ!」 「こんなこと、バレずにはすまねえぞ!」 二人が口々に言うのを、余所者のシンリキシャはへらりとした笑顔で聞き流していた。 「バレようがバレまいが関係ないんですよ‥私が、したいようにするだけ。‥‥さて、あなた方には死んでもらおうかな」 世間話の延長のように言われたその言葉に、ルフカの身体は硬直した。

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