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第139話
漁港から少し離れた場所に、大竜 の牙、と呼ばれている断崖絶壁がある。崖の先が大きく張り出していて、覗き込んでも真下が見えないようなところだ。高さは3カート(=約27m)ほどもあり、そこから落ちればどうなるか誰にでもわかるような場所だった。
ルフカの親 達二人は、操られた漁師たちに小突かれるようにしてそこに移動させられた。崖の先の方へ二人を追い詰めると、シンリキシャ‥ハリスは言った。
「ヒトは、殺すと死体の処理が面倒なんですよね。幸い、ここなら海に投げ込んでしまえばどうにかなりますから楽でいい」
「‥‥」
|親《シンシャ》達二人は唇を噛んだまま、ハリスを睨みつけるだけだ。少し離れた場所から隠れて見ているルフカの心臓は、拍動の激しさで爆発しそうだった。
「じゃあ、さようなら。この村は私が上手に役立ててあげますからご心配なく」
ハリスの部下が大槍をもって二人を薙ぎ払うようにした。二人はそれを避けるようにした際に均衡を失い、そのまま二人とも崖の下に落ちていった。
ハリスはふふっと満足そうに笑うと、部下に合図をし、ぼんやりとした顔のままの漁師たちと共にどこかへ引き上げていった。
ルフカはこみ上げる涙を拭うことも忘れ、そこにうずくまっていた。人々の足音も、物音も聞こえなくなってから初めて、ルフカはゆっくりと立ち上がった。
弁当の荷物を草むらの中に隠し、大竜 の牙から少し離れた海岸線へ走る。そこは大竜 の牙より高さはなく、せいぜい1カート(=約9m)あるかないか、という場所だ。
ルフカはそこをめがけて走っていくと、そのままの勢いで海に飛び込んだ。
村のものしか知らないが、ここが大竜 の牙と呼ばれているのには理由があった。
崖から少し下の部分に、顎のように突き出た場所があるのだ。そしてそこには、草鷲 の巣がいつも作られている。
つまり、大量の草で作られた柔らかな布団のような巣があるのだ。
きっと親 達は何とかして、あそこに引っかかるように落ちているはず、ルフカはその一心だけで海の中を必死に泳ぎ、ようやく崖下まで来てそこにしがみついた。
そのまま、岩肌に手をかけて崖をよじ登っていく。子どもの手足で、2カート(=約18m)もの高さのある崖を命綱もなしによじ登っていくのは、大変なことだった。
爪が割れ、ズボンも破れて膝は傷だらけになっている。靴もあちこち破けてしまって、足の小指の爪は剝がれてしまったようだった。
しかし、ルフカは必死だった。とにかく自分の親 の無事を確認したい、そういう気持ちしかなかったのだ。
「顎」と呼ばれる場所は張り出しているから登れない。その横に張り付くようにしながら腕を伸ばし、なんとか「顎」の横までたどり着いた時には、すっかり日も落ちて辺りは暗くなり始めていた。
何とか「顎」の部分に足をかけ、草の中に身体を転がした時には、息が弾み、声が出せなかった。荒く呼吸をしていると、身体中の怪我をしているあちこちの痛みも急に襲ってくる。
唸りながら転がっていると、声が聞こえた。
「誰だ‥!誰か、そこにいるのか‥?」
ルフカは苦しい息の中からも、涙がこみあげてくるのを感じた。鼻が痛くて肺も痛くて呼吸ができない。でも安堵のあまり出てくる涙を抑えられない。ひっくひっくとえずきつつしゃくりあげるその呻き声を聞いて、誰何する声が急に優しくなった。
「誰‥まさか‥‥ルフカ?」
「うあ、あ、あああ!」
こらえきれず声を上げたルフカに、親 が駆け寄って抱きしめた。薄暮の中でも我が子の顔はわかった。身体を触ってみれば、海水ではないぬめった感触もする。こんなに血を流しながら、自分たちのところに来てくれたのだと思うと、親 ‥‥カジャの胸も目頭も熱くなった。
草鷲 は、様々な種類の柔らかい草を集めて営巣する習性がある。巣に対するこだわりが強く、いつでも新しい草を集めて巣の中にどんどん敷き詰めていくという性質を持っているから、巣の中は常に柔らかく新しい草で覆われている。
ルフカが落ち着くのを待って、カジャはもう一人の親 である、ナルグの傍へ連れて行った。ナルグは崖から落ちるときにカジャを庇って、頭を強く打ったようなのだ。
草鷲 の巣材の中には、いくつかの薬草も含まれていたので、それを使って血止めをし、どうしようかと考えていたところにルフカがやって来たのだった。
巣材の草にくっついていた小さな草の実をルフカに食べさせて、カジャは何とかルフカを落ち着かせた。暗くなってきたからそろそろ草鷲 が巣に戻ってくる頃だ。草鷲 はとても大人しい大型の鳥で草食ではあるが、特段ヒトに慣れやすいわけではない。
できる限り、巣の端によって刺激しないようにする方がいいだろう、と考え、ルフカとナルグの身体を端の方に動かした。
時が過ぎ、真っ暗になる前に草鷲 は帰巣した。まだ独り身の個体だったようでカジャはホッとした。産卵の時期ではなかったから余計に助かった。
草鷲 は、自分の巣にいる小さな生き物を見て、少し不思議そうにしていたが、両足にいっぱい掴んで持ってきた草束をばさりとカジャ達にかけた。邪魔だから草で埋めようとでも思ったのだろうか。
草鷲 を刺激しないよう、カジャは意識のないナルグと震えているルフカを抱えてじっとしていた。陽の匂いがする草束が温かいのは僥倖だった。
自分の羽根に嘴を突っ込んだ草鷲 がぐっすりと眠り込んだのを見て、ようやくカジャは動き出した。
「ルフカ、血は止まったか?」
「‥わかんない‥まだ、痛いけど‥」
「そりゃあしばらく痛む。‥何が起こったか、わかってるか?」
ルフカはぶんぶんと首を横に振った。
「わかんないよ。なんでみんなカジャ達を助けなかったの?」
カジャは苦いものを飲まされたような顔をしたが、闇の中でルフカにその表情は見えなかった。
「‥どういうやつか知らないが、シンリキのかなり強いやつがいて‥みんな操られてるんだ」
「えっ?シンリキがそんなに強いヒトは、抑制腕輪をつけさせられるんじゃないの?」
カジャは少し考え込み、言葉を継いだ。
「‥‥法を犯して腕輪を外しているやつかもしれん‥あいつは少なくとも建屋にいた十六人を操っていた。村長もその中に入ってたから、村長の言うこととして、操られてなくてもあいつらのいうことをきかせられることになるヒトもいるだろう。そうやって村を制圧するつもりに違いない。‥あいつの狙いは、多分この村そのものだろうから」
ルフカにはカジャの言っていることが半分もわからなかった。こんな田舎の漁村を欲しがって、あのシンリキシャは何がしたいんだろうか?
「‥ねえ、ナルグは大丈夫なの?」
一向に目を覚まさないもう一人の親 のことが気にかかって、ルフカは尋ねた。暗闇の中で、カジャはぎゅっと目を瞑り唇を噛みしめた。だが、声に出しては優しく言った。
「今は血も止まっているし、寝息も落ち着いているから‥大丈夫だ。それよりも、俺達でやらなきゃならないことがある。夜明けを待って動くぞ。ルフカ、お前も手伝うんだ。怪我が多くて痛いかもしれないが、俺達の村を取り戻すためには俺とお前でやり抜くことが必要なんだ。わかるな?」
闇の中でカジャの大きな手で頭を優しく撫でられたルフカは、恐ろしいという気持ちをぐっと飲み込んで大きく頷いてみせた。
イェライシェンから2ゴルカ余り(=灼190㎞)程離れた、中規模都市ミチェル。子果清殿があることで、近隣の市町村から子を望む多くの伴侶たちが集う場所でもある。
また、北部へ向かう途中経路としては最後の大都市でもあるので、様々な交易などを行う人々でも賑わう都市だ。
だから市中警備隊や退異師会支部、十二部族国軍の駐留地なども整備されている。
そのすべてに同じ内容の手紙が届いた。
村を、シンリキシャに乗っ取られそうになっている。
ぜひ助けてほしい。強力なシンリキシャで対抗する手段がない。
それは、草鷲 の巣からどうにか逃げ出したカジャ達が、近くの町まで出て何とか書きしたためた書状だった。
一か所では聞き届けてもらえないかもしれない、という危惧から、市中警備隊、退異師会、国軍駐留地の三箇所に書状を出したのだ。
カジャは意識を取り戻したナルグとともにルフカを連れ、近くの小さな町に潜伏していた。もし、あの書状が「偉いヒト」たちの目に留まれば、自分たちが詳しい事情を聞かれることになる。無論村の人々をも助けたい。そういう気持ちで近くにとどまる危険を承知しながらも、そこで待っていたのだった。
知らせを受けたミチェルの人々は、これはイェライシェンで今騒ぎになっている人物の仕業ではないか、とすぐに中央政府へと連絡をした。
その連絡を受け、厳戒態勢の中で緊急の全部族長会議が開催された。ただ、カラッセ族族長であるゼーダはまだ襲撃の傷が癒えておらずとてもではないが参加できる状況ではなかったので、代わりにザイダが出席することとなった。
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