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第141話
ザイダは挑発するようなヤーレの言葉にも構わず、ぐいっと腕を引いてヤーレからもぎ離した。そして何も言わずにヤーレに背を向け、立ったまま机に向かって速信鳥紙に何やら書き付け始める。
「おい、聞けよ!何かあいつに対抗する策があるわけでもねえんだろ!?なんで無鉄砲に敵の本拠地に行こうとするんだよ!」
「うるせえな、お前が引き込んだんだろうが!!」
ずっと黙って作業をしていたザイダが、ばっと顔をあげて叫んだ。その勢いにヤーレは口を噤む。だがザイダの言葉は止まらなかった。
「お前が!俺を、やりたくもなかった政治の道に引き戻したんだろ!?‥確かに俺だってハリスの専横は見過ごせないと思ったよ。だからお前にだけ責任があるとは言えんし言うつもりもねえ。だが、お前は、俺のところに来た!」
胸の裡から溜まりにたまったものを絞り出したようなその叫びを、ヤーレはただその顔を見つめていた。ザイダの言葉は止まらない。
「だから、俺はあいつを糾弾してカラッセの次代になったんだ!‥なった以上は、この国の民に対して責任があるんだ!守るという、助けを呼ぶ声には応えるという責任だ!‥元凶であるハリスが、そこに行ったということには少なからず俺も関係している。‥だから行く。シンリキシャを中心に、少人数で隠密行動をする。‥‥それ以上の対策は、確かに今は何もない。だが、できることをやるしかねえんだよ!!」
普段、あまり口数の多くないザイダの、血を吐くようなこの叫びを聞いて、ヤーレは拳を握りしめ、目を瞑った。ヤーレが何も言わないのを見て、ザイダは再び机の上にある速信鳥紙に向かって書き出そうとした。
そのザイダの身体を、後ろからヤーレがぎゅっと包み込むように抱きしめた。
びくっとザイダの身体が僅かに震え、硬直した。力強く腕ごと抱きしめられて、ペン先が速信鳥紙に届かない。何も言わずザイダを抱きしめるヤーレの身体もまた、小さく震えていた。
ザイダは、ふうと息を吐いてペンを置き、言った。
「離せ、ヤーレ。‥俺は忙しい」
「嫌だ」
「嫌だじゃねえだろ莫迦。お前だって協会関連で色々忙しいくせに、いちいち俺のところに来るなよ‥」
最後は、弱々しい調子になったザイダの言葉に、ヤーレはますます抱きしめている腕に力を込めた。
「来るさ。惚れたやつのところだぞ?‥しかも、そいつが自ら進んで危険なところに行こうとしてんだぞ?‥‥大した策も持たずによ‥」
ほんの半カル(=約4,5㎝)ほどザイダより背の高いヤーレが、ザイダのつむじに顔を擦り付けた。
ザイダは、そんなことを言われるとは思っておらず、どう対応していいかわからなくなった。心の奥に秘めていた淡いアニスへの想いはいつの間にか霧散していて、ちゃっかりその場所にヤーレが入り込んできている。
しかし、こいつとつきあうとなったら、‥‥俺は絶対挿入 られる方じゃねえか。
これまで、ザイダは一度たりとも「挿入 られる方」で恋愛をしたことがなかった。それも、ヤーレとのことを考えられない理由の一つではあった。
しかし今はそんなことに気を取られている場合ではない。
ザイダはそう思って、自分を抱きしめているヤーレの腕におずおずと手をかけた。そしてその腕をほどこうとする。
それに気づいたヤーレは、自分の腕を取って抜け出そうとするザイダの身体をぐいっと引き寄せ自分の方に向けさせた。
至近距離で顔と顔が向き合い、目が合う。
そのまま、ヤーレの手はザイダの頬を捉え、また口づけてきた。今度は、唇に触れるだけの、軽いものだった。
ちゅっ、という音とともに唇を離したヤーレは、ザイダの後頭部を手で押さえて、その額を自分の額に押しつけた。
「死ぬな。‥‥死にそうなところに行くな。だいたいなんで次代が自ら足を運ぶんだよ‥他に幾らでもいるだろ‥」
「‥‥その、責任あるところに俺を押し上げたのはお前だ。そしてそこにいることに決めたのは俺だ。だから‥行く」
ヤーレは片手でぐいとザイダの腰を引き寄せた。
「‥行けねえくらい、抱き潰してやろうか」
「俺は何ひとついいとは言ってねえぞ」
ザイダはそれだけ言うと、今度こそ全身の力を使ってヤーレの身体を押しのけ、その腕の中から抜け出した。そのまま、ヤーレの顔を見ることなく速信鳥紙に続きを書き始める。
ヤーレは、そこから動かなかった。そして、絞り出すような声で言った。
「‥‥頼む、三日‥いや、二日でいい。時間をくれ。俺も何か対策を考える。そして何も出なかった時には‥俺も一緒に行く」
ザイダはペンの動きを止めた。だが、ザイダの方を振り返ることはなかった。ヤーレはそんなザイダにもう一度尋ねた。
「ダメか‥?」
ザイダはその縋るような声を聞いて、ヤーレに悟られないようごく小さく息を吐いた。そして振り向かないままで言った。
「わかった」
「何とかなんねえのか‥頼むよカズリエ‥」
「あ~~~!うるさい!仕事をこなさねえならとっとと部屋から出てけ」
「‥ちゃんと書類はさばきながら訊いてるじゃねえか‥」
「ろくでもない繰り言ばっか言ってるせいで手が遅いのよ!キリキリ働けうすのろ!」
だらしなく机に寄りかかりながら書類をさばいているヤーレに、情け容赦ないカズリエの罵声が飛んだ。それでも、ザイダにもらった期限に余裕のないヤーレはくじけることなく、カズリエに追いすがる。
「カズリエ、シンリキの高能力者 だろ?なんか、あいつに対抗できる‥」
「るっせえな!んなもんあるならとっくにあたしのところにお偉いさんの行列ができてるわ!」
イライラが最高潮に達したのか、口調も荒くカズリエがぴしゃりとヤーレを黙らせた。
ヤーレにも、カズリエの能力 は、精神操作系ではないことはわかっているのだ。それでも、今のヤーレには他に縋る糸が毛筋ほども見つからないのである。
「‥シンリキ遮断頭環 に使う素材も高騰しまくってて、全然手に入らねえしな‥」
「もともと自然にあるもんじゃなくて、異生物由来の素材でしょ?急に数が増えるわけないわよ。今は、素材を投資目的で所持して寝かせてたやつらが、ほくそ笑んで少しずつ在庫をはき出してる状況だとみていいわね」
素材の高騰に喜んでいるやつらは、下手をすればこの状況を長引かせようとハリスに接触でもしかねない、と考えているカズリエは苛々した様子を隠そうともしない。その言葉を聞いて、ヤーレがもう何回目かもわからないため息をついた。
「はあ~~~‥みすみす危ない場所にあいつだけで行かせられるかよ‥でも俺もあいつもシンリキ耐性は特にはないし‥」
まだぶちぶち言っているヤーレに、とうとうカズリエは癇癪を起こして手元にあった機工通信の子機を思いっきり投げつけた。そこそこの大きさと重さのある子機はヤーレの額に命中して、がいん!とものすごい音を立てた。
「痛っってえええっっ!!」
「うるさ~~~~い!この部屋から出てけ!他所で仕事やれ、黒剣のところに帰れ!」
そう言って飛び蹴りの態勢を取ろうとしたカズリエを見て、ヤーレは慌てて書類をひっつかみ、会長室から逃げ出した。
会長室を出てから書類をきちんとまとめていたら、ぬるり、と額を何かが伝う感触がした。
「‥血ぃ出てんじゃねえか‥容赦ねえなあいつ‥」
ヤーレは書類を持っていない方の袖で額を押さえ、会員たちが詰めている事務室に向かって自分で応急処置をした(このところ会員たちは膨大な事務処理に忙殺されており、とてもではないが個人的な処置を頼める状態ではなかった)。
そして、ケイレンの屋敷へと向かった。
ヤーレの帰宅を受けて、ジュセルがお茶にしよう、自分が今から菓子を作るからと提案した。しばらくして菓子が出来上がったと聞いた屋敷にいた者たちは、応接室に集まってきた。今日、屋敷にいたのはジュセル、ケイレン、スルジャ、アニスとサイリだけだった。ティルガは政府の依頼で転移を使った輸送の仕事、ナジェルは日照りが続いている辺縁地域から、泣きの要請が入ってそこへ出張中である。
未決済の大量の書類を抱えたヤーレが、しょぼくれながら帰宅したのを見たジュセルは「パンケーキを焼く!」と宣言したのだった。無論、ケイレンとアニスの膂力を当てにしてのことである。ヤーレがめそめそと書類を片づけている間に、ケイレンには生クリームの泡立て、アニスにはメレンゲの泡立てを頼んで、いわゆる「ふわふわ系パンケーキ」をいくつも焼き上げた。
ジュセルがちまちまと集めた果実で作った様々なジャムの瓶も並べられ、ケイレンの腕力で泡立てられたたっぷりの生クリームのかかったふわふわとしたこの焼き菓子に、全員が歓声を上げた。
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