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第148話
「ジュセル‥ジュセルに、言っておきたいことがある」
サイリの、常にはない苦しげな様子に驚いたジュセルは、横になっていた身体をゆっくりと動かして、長椅子に座り直した。
ナジェルがサイリを促して、ジュセルの向かいにある長椅子に並んで座る。
「うん、何でも言って?どうした?」
サイリは少し下を向いて唇を噛んでいたが、すっと顔をあげて言った。
「ジュセルは‥知られたくない、のかもしれないけど‥ジュセルは多分、『カベワタリ』なんじゃないかって私は考えてる」
「かべわたり‥?って何?」
不思議そうに首をひねっているジュセルに、サイリは続けて言った。
「この世界 を取り囲む、帯壁を超えて別の世界 から来たヒトのことを言うんだ」
その言葉を聞いて、ジュセルは胸がどきりとした。そしてその拍動がどんどんと早くなってくる。
異世界転生のことを、ここではかべわたりって言うのか‥ていうか、そういう言葉があったことも知らなかった。しかし、なぜサイリが今になって、そのようなことを自分に言ってきたのだろうか?
ナジェルに肩を抱かれ、少し顔を青ざめさせながらジュセルの方を見ているサイリを、ジュセルもじっと見つめ返した。
サイリは言葉を続けた。
「‥‥前、話したことがあるだろ?龍人 様について、それから‥龍人 様の、番いのマヒロの話‥」
「ああ、うん‥『ポチ』って名前のなんか飼ってるヒト‥‥」
「飛竜だよ。‥実は、ジュセルが色々と使ってる言葉、私はマヒロからも何回か聞いたことがあるんだ。ジャム、とかハンバーグ、とか‥あと、あのホイップクリーム?とかも」
ジュセルは背中がどんどん冷たくなるのを感じていた。‥やはり、マヒロというヒトは日本人なのだ。そうでなかったら『ポチ』なんて名前を付けるはずがない。ジャムだってハンバーグだって、こちらにはない言葉だ。
しかし、サイリは何を考えてこんなに顔色を悪くしているのだろうか?
「力素回復薬は‥ヒトの世を変えてしまいかねない、大きな発見だ。‥そういうことがあったらマヒロに知らせてくれって私はずっと言われてた。そしてそれ用の、特別な速信鳥紙を預かってた。‥今日、‥‥私は、それをマヒロに宛てて、出した」
ジュセルはくっと息をひいたまま、呼吸するのを忘れた。‥では。そのマヒロという日本人らしきヒトは、ここにやってくるかもしれない‥?
主人公コースの人とその他大勢 コースの俺が、交わることになる‥?
それって、この世界 的に大丈夫なのか?
血の気が引いた顔のまま固まってしまっているジュセルの腕を、ナジェルが立ち上がって腕を伸ばし、優しく叩いた。その衝撃で、無意識に止めていた呼吸が再開され、ぶはっという音がしたのをジュセルは遠く聞いたような気がした。何もかも、自分の身の上に起きていることとは思えなかった。
「‥‥‥迷ったんだ‥でも、このところのジュセルの不調が‥怖くて。ずっとこのまま不調が続いて、‥急に‥悪くなったりしたらと思うと、怖かったんだよ」
とうとう緊張の糸が切れたのか、サイリがぽろぽろと涙を零し始めた。その横でナジェルがサイリの頭を抱え込むようにして撫でている。ナジェルは、相変わらず何も言わないままだった。
ジュセルは、正直サイリが何を気にしてここまで顔色を悪くしているのか、やはりよくわからなかった。ただ、サイリが自分の身体のことを心配してくれているのだけはわかった。
「あの、サイリ?俺のこと心配してくれて、ありがとう。でも、なんでそんなに、あの‥怯えてるんだ?」
そう、先ほどからジュセルに向かってくるサイリの感情は、「不安」に加えて大きな「怯え」だった。
サイリは、涙を拭ってずずっと洟をすすると、咳払いをしてまた話し出した。
「‥‥マヒロが来る、ってことは間違いなく、龍人 様もやってくる、と思う。龍人 様は生涯唯一の番い様から離れることはほとんどないから。それくらい、番い様のことは大事にしてる」
「うん‥それで?」
サイリはもう一度、ごくりと喉を鳴らして言った。
「‥龍人 様は、‥世界 の調整者なんだ。ひょっとして‥ジュセルの力素回復薬が、世界の均衡を崩すものと判断されたら‥それを作成できなくされるかもしれない」
思わぬ内容に、ジュセルもぐっと身体中にちからが入るのがわかった。
「龍人 様は、番い様にはとても甘くて優しいけど、‥‥基本的に私たちヒトとは考え方がまるで違う。見た目は美しいヒトだけど、‥‥まったく、違う生き物だと思ってる」
そこまで言ってしまうと、サイリは深く長いため息をついた。
専用の機工車を仕立て、ハリスのいるオクロト村に向けて乗り込んだのは、ヤーレとザイダに加えて九人と、機工車を動かすためのセキセイ(=機工躯体を動かす動力を作り出す二人組)の二人、合わせて十三人だった。二両編成の機工車は十二部族国軍の所有するもので、乗り合い機工車よりはゆったりした座席の配置になっている。セキセイ用の小部屋もついており、長い距離も走れる仕様だ。
簡単な煮炊きくらいはできる厨房もついており、いざという時には宿舎の役割も果たせるようなものだった。座席は取り外しができ、雑魚寝と吊り網での就寝ができるようにもなっている。
この機工車を借りることができたのは、ロス族の族長トロケの口添えがあったからだった。ザイダはそれに深く感謝していた。トロケは機工車だけでなく、その動力源を生み出すセキセイも派遣してくれたので、非常に助かった。無所属のセキセイなど、なかなかその辺に転がっているものではないのである。
族都イェライシェンを出て、まずはミチェルの街へ向かう。ミチェルまでは直線距離で2ゴルカ(=約180㎞)だが、万が一にもハリス側に知られないようにと、できうる限り主要街道は通らないような経路を取った。
機工車は、専用の綺麗な街道があればかなり滑らかに速く走るが、舗装の甘い道路や舗装されていない荒れ地などを走ると、途端に速度は遅くなる。また、どうしても乗り合いではない機工車が走っていると目立ってしまう。一応、国軍の紋章をつけた旗を車体につけ、国軍を装ってはいるが、ハリスの情報収集がどこまで広がっているかわからないこの状況では、このくらいの偽装と経路選択がせいぜいのところだった。
こういった事情もあって、ミチェルの街に着くまで丸一日かかってしまった。ミチェルでは情報収集に丸一日かける予定だ。また、その間に「ゴーグル」に慣れる、という訓練もしておく必要があった。
今、ヤーレたちの手元にあるのは、二枚の灰輝石を削り出して作った視界のやや良好なものが二個、少し幅広い灰輝石を何枚も継いで作ったものが十四個の計十六個だった。
「‥主に攻撃で動くやつが、この二枚継ぎのやつを使った方がいいな‥まあ、作戦をどう立てるかは、もう少し情報が入ってきてからじゃねえとわからねえから‥」
ザイダも、その言葉には頷きながらゴーグルを手に取る。
「だから、全員がこの二枚継ぎのやつと五枚継ぎのやつを試しておいた方がいいだろうな。特に投擲刺剣や弓矢が得意なやつは念入りに訓練した方がよさそうだ」
「‥その訓練の時間も、やはりほしいな‥だが、この先にはミチェル以上に大きな街はない。機工車を停車しておいて目立たないのはここが最後の場所だ。‥‥やはり、二日取っておいた方がいいな』
ザイダのその言葉に、その場にいた何人かが頷いた。おそらく、弓矢や投擲刺剣を得意とする者達だろう。
結局、ミチェルに駐留している国軍基地の端に機工車を置いてもらうことにして、二日間の予定を組んだ。カズリエにもそのように鳥を飛ばす。カズリエにはできれば幾つか、力素回復薬を都合してほしいと頼んでおいたのだ。ここにいる間に届いてくれるのが一番ありがたいのだが、こればかりは色々な機関の思惑もあるうえ、生成の都合もあるだろうから何とも計ることはできない。
ゴーグルはこの隊の面々には、概ね好評だった。原材料が灰輝石と知って驚くものも多かった。灰輝石、という名前よりもハズレ輝石、という呼び名の方が一般的な代物だ。無理はない、とヤーレは考えた。
ヤーレ自身も装着してみて意外に視界があることと、頭部に固定する帯が伸縮する素材でできているのでしっかりと固定されていることに驚いていた。
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