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第150話

「‥‥いい加減もういいだろ、私はジュセルのところに戻る」 寝台から物憂げに身体を起こして、アニスは顔にかかった赤髪をかき上げた。事後のけだるい雰囲気が残っていて、随分と艶めかしく感じさせる。まだ寝台に横たわっていたロザイは、腕を伸ばしてアニスの肩を引き寄せ、自分の胸に抱きしめた。 「もういい、ってことには一生ならねえよ」 そう言ってアニスの目尻に口づけを落とす。 アニスはため息をつきながらも、それをやめさせようとしない自分に内心呆れていた。 客として花宿に来ていたときのロザイの愛撫は、しつこく長くねちっこかった。一晩借り切りにしているのをいいことに、何度精を注がれたか数えきれないほどだ。 あれだけ昔やってるのにまだ飽きないとは‥とぶつぶつ文句を言っていると、ロザイがアニスを寝台にあおむけに押さえつけ、その顔を両手で挟んできた。 「‥莫迦言うなよアニス。あのときは、俺はお前の身体しか手に入れられなかった。だからせめて身体だけでも俺に落とそうと必死だったんだ、だが」 そう言ってアニスの唇を塞ぐ。 ぬる、と入り込んできた熱い舌をアニスはぴくりと体を震わせながら受け止めた。まだ、身体が愛された熱を覚えている。 無論、交わされる唾液は堪らなく甘かった。その唾液の甘いことに、毎回アニスは恥ずかしくなってロザイの顔を見られなくなってしまう。今もぎゅっと目を瞑っているアニスの顔を間近に見ながら、ロザイは満足げに舌先でアニスの上顎を擽った。 「ンン、」 ぞくりとする身体の感覚に、これ以上翻弄されてはたまらない、と腕を突っ張ってロザイの身体を押しのける。ロザイは愉快そうに、くっくっと笑っていた。 「‥だが今は、お前の心も手に入れた‥だろ?その心も身体も手に入れて通じ合った挙句の性交が、ほんの何回かで満足できるわけがない」 「‥わかった、わかったから」 アニスはたまりかねたように言い返してまた体を起こし、そのまま寝台から立ち上がった。長い赤髪が美しい裸体を覆う。 そのまま椅子に掛けられている衣服を身につけ始めたアニスに向かって、ロザイは自分も身体を起こしながら言った。 「アニス、また五日以上も全く連絡がなかったら、連れ戻しに行くからな」 「‥わかったよ!鳥を飛ばせばいいんだろ!」 「ここに住んでくれるのが一番いい」 「ハリスの件がケリつかないうちは無理だな、ジュセルの手伝いも頼まれてるし」 ロザイは目を細めて、じっとアニスを見た。 「‥何だよ」 「やたらその若者(ワクシャ)に肩入れするな‥。突っ込みてえのか」 少し離れた場所に立っていた筈のアニスの姿が、一瞬にしてロザイのすぐ前まで迫りその頬をアニスの拳が抉った。 「‥っぐ、ふ」 「ホロ鳥も鳴かなきゃ掴まらねえのにねえ。‥莫迦言ってんじゃないよロザイ」 アニスは短くそう言い捨てて長い髪をまとめて結うと、すたすたと部屋を出て行ってしまった。何の手加減もなく打ち込まれた拳の跡を、いててと手で押さえながらロザイはふっと笑った。 アニスが屋敷に帰ってきたとき、奥の方から玄関まで響く大きな声が聞こえてきた。 扉を開けてくれたスルジャに「どうしたんだ?」と尋ねるも、スルジャは首を横に振って「応接室行ってみたら?」というばかりだ。 そのまま向かっているとまたケイレンの声が聞こえてきた。 「なんでそんな勝手なことをするんだ!」 ケイレンの怒号が応接室に響き渡っている。びくっと震えたサイリの肩をナジェルが抱き、ケイレンを冷たい眼差しで睨みつけた。 「サイリに怒鳴るな。うるさい」 「そんなことどうでもいい!なんで、ジュセルのことをその、龍人(タツト)なんていう訳のわからないやつに知らせたんだよ!?そんな必要ねえだろ!」 「‥ケイレン、ジュセルに聞こえるんじゃないか?」 音もなく部屋に入ってきたアニスに、ケイレンは少し驚いたようだった。ナジェルはわかっていたようで顔色一つ変えていない。 「‥ジュセルは、主寝室で寝てるから大丈夫だ」 「また、調子が悪いのか?」 そう尋ねるアニスに、ケイレンは肩を落とした。 「‥少し作業したり、動いたりすると、疲れてしまうらしいんだ‥寝ると少しマシになって、また色々しようとするんだけど‥最近、何もできてないから、って思ってるみたいで、無理に色々なことをやろうとしてる。だから‥たまに厨房や廊下とかで倒れるみたいにして寝てるときもある‥」 「だからだよ!」 ナジェルの腕の中からサイリが叫んだ。 「だからマヒロに伝えたんだ!医者に診せても原因がわからない疲労なんて、普通じゃないじゃないだろ!?お前はあの子が心配じゃないのか?!」 「‥っ、しん、ぱいしてる‥」 「じゃあなんで怒ってるんだよ!私はあの子に急に何かが起こる方が怖いよ!お前はそうは思わないのか!?」 「そんなこと思いたくねえ!!」 「はいはい、落ち着いて二人とも」 かちゃりと扉が開いて、スルジャがお茶と菓子をのせた盆を持って入ってきた。息を弾ませているサイリとケイレンの前を遮るようにしながら、机の上に人数分のお茶と菓子を配っていく。 「さすがに最近、ジュセルは菓子作りできてないから、これは買ってきた焼き菓子だけどね」 そう言いながら、ごくありふれた素朴な菓子を置いた。 そして自分も長椅子に座ると真っ先にお茶を飲んだ。 スルジャの様子に押されて、ケイレンもストンと長椅子に腰かける。その隣に座る形になったアニスが、ケイレンに訊いた。 「ケイレンは、何が怖いんだ?」 ケイレンは、自分の前に置かれ茶器をじっと見つめたままだ。その目はごく真剣で、何かを思いつめたようなものだった。 「‥俺は、今まで生きてきて龍人(タツト)なんて生き物に会ったこともねえし、話だって聞いたことはねえ」 「‥まあ、政府高官とかではない限り、あまり聞けるような話でもないからな。カルカロアの、アツレン辺りが異常なんだよ」 変わらずにサイリの肩を優しく抱きしめたままのナジェルが静かにそう応えた。ケイレンはそれを聞いているのかいないのか、視線は茶器に注いだままだった。 「そいつが、ジュセルが作った回復薬に、難癖付けねえ保証はねえってことだろ?どっちかって言えば難癖付けに来るんだよな!?」 「‥ケイレン、いい加減に落ち着かないなら俺にも考えがある」 サイリに向かって恫喝するような発言が続いたことに、ナジェルが静かに怒りを滲ませた。アニスは二人の前に手を差し伸ばし、ひらひらと振った。 「はい、落ち着いてって言ってるだろ?ナジェルももっと落ち着いて」 「‥‥先に、サイリに暴言を吐いてるのはこいつだ」 スルジャが、はああと聞こえよがしに大きくため息をついた。その大きなため息に、そこにいた全員がスルジャを見る。 「みんなさあ、自分の恋人が大事なんだろうけど!もっと単純に考えてよ。‥あたしだってジュセルの健康状態には責任を感じてるし、どうにかしてやりたいと思ってる。その気持ちは、みんな持ってるよね?」 そこにいた面々が皆、ぐっと息をのんだ。いつも明るく、笑顔で料理を作り、家の中のことを整え、一生懸命回復薬づくりに励んでいた年若いジュセルのことに対して、この屋敷に住むもの全員が慈しむ気持ちを持っている。 心配しているのも、皆同じなのだ。 スルジャは、ケイレンとサイリ、ナジェルの顔を順番に見て言った。 「ケイレンの気持ちはわかるよ。聞いたこともない、龍人(タツト)ってものに、ジュセルが何かされるんじゃないかって不安なんだよね?」 ケイレンは、無言でわずかに頷いた。スルジャはまた続けて言う。 「サイリはサイリで、ここで知り合ったジュセルがどんどん衰弱していくのが怖くてたまらない。‥ひょっとしたら龍人(タツト)ならこの症状を見て何か解決策を提示してくれるかもしれない。そのための餌として、回復薬のことや色々なことを言わずにはいられなかった。‥そんなとこでしょ?」 ナジェルの腕の中で、サイリも涙を滲ませながら、「‥うん」と小さく返事をした。

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