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第156話
アニスが腰を上げて応接室を出る。しかし誰かの足音はもう廊下にまで響いていた。玄関を開けていないのに入ってこれた、ということだ。それは鍵を持っているものが来た、ということを意味する。誰だ、と応接室にいた一同はそわりと廊下の様子を窺った。その隙にケイレンはジュセルのところまで来て抱えあげ、再び長椅子に座って自分の腕の中にジュセルを閉じ込めていた。
「みんな集まっているのか?」
と声をあげながら応接室にアニスと共に入ってきたのは、ヤーレのところから戻ってきたティルガだった。その姿を目にしたハルタカがすっと目を細めた。
「ほう」
ティルガはティルガで、目の前の風景に驚き入り口で立ち尽くしていた。
「た、龍人 様が、どうしてここに‥?」
「‥ティルガ、龍人 様と、面識があるのか‥?」
不思議そうにそう尋ねてきたアニスに、ティルガは曖昧に頷くことしかできなかった。
ティルガとハルタカが出会ったのは、今から七十二年前。
ティルガが十七歳、自分のちからのあまりの大きさに絶望しかかっていた頃だった。
ティルガは親 の顔を知らない。
物心ついた時には、既に一人だった。森の中の家でぼんやりと座っていたのが一番古い記憶だ。おそらくは三歳ほどだったのではないかと思う。
あまりにも腹が減って、家探しをしたが硬くなったパルトしか見つからず、幼い歯で必死に噛みついたのを覚えている。
その後、森へ出た。森には様々な野獣がいる。なぜこんなところの家にいたのか、今となってはティルガにもわからない。
幼いティルガは、森が危険であることもわからなかった。しかし、どうしても水が飲みたくて、必死に水を探し回った。
その時、木々に滴る水でその匂いを覚えた。その匂いを辿り、何とか川へ着いた。川で水を飲めば今度は空腹が際立ってくる。
次は果実のあまい匂いを覚えた。そして果実を探した。
そうやって飢えをしのいだ。
二日目、川へ向かった時大きな野獣に出くわした。ザルーバという危険な野獣で、ヒトを好んで食う。
目の前に迫る大きくて恐ろしい野獣を見て、三歳のティルガの足は竦んだ。ザルーバがぐわっと大きな口を開け二重になっている牙をひらめかせながら飛びかかってきたとき、ピシャン!と轟音が鳴り響いた。
ぎゅっと目を瞑っていたティルガは、いつまで経ってもザルーバが自分に飛びかかってこないのを不審に思い、そうっと目を開けた。
目の前には、ぶすぶすと黒煙をあげながら焦げた身体で横たわっている「何か」しかなかった。
恐ろしくて恐ろしくて、涙が止まらないのに、身体が全く動かない。辺りには肉が焼けた嫌な匂いが辺りに立ち込めている。幼いティルガはその臭いで吐きそうになった。
その時、ザルーバを討伐にやってきていた請負人 達が異音を聞きつけ、ティルガのもとに来てくれた。
ヒトの顔を見てから、ティルガは気を失った。
ティルガ、と名乗っているが、それが自分の名前かどうかはわからない。請負人 たちが何を聞いても、幼い頃のティルガは「てぃるが」としか答えなかったそうだ。
ティルガの能力を重く見た協会がティルガの身元引受人となり、その後育ててくれた。
高能力者 かどうかを計る測定検査は、六歳の時に受けた。その時、測定器は値を検出することができず壊れた。
八歳の時に、もっと高性能な測定器で測られたが、同じく壊れた。
あれ以来、測定器は使われていない。
成人の十六歳からは、まずは普通の仕事もしてみた方がいいのでは、という当時の協会長の方針の下、ティルガは勧められた隊商会に入って働いた。
しかし、何をしていてもティルガの意志に関わらずキリキが洩れ出てしまって、ヒトやモノを傷つけてしまうことが多かった。
そこで、すっぱりと隊商会の仕事をやめ、自分の持てるキリキを制御する訓練を始めた。と言っても、ティルガほどのちからを持っている者は他にいない。だからすべてが自己流だ。基本的な制御法だけを教わり、森の家に籠ってティルガは自分のちからと向き合った。
そして、訓練すればするほど、自分は化け物なのではないか、と思われてきた。
雷を作り出して、落とせる。好きなところに、何度でも。そしてそれで生き物を傷つけることもできる。
どこへでもほぼ一瞬で、転移ができる。一度行ったところなら。行ったことがなくても知った人の気配さえあればそこに行くことも可能だった。
自分の能力を知れば知るほど、ティルガは自分自身が恐ろしくなった。
自分は、本当にヒトなのか?
こんな、化け物のような生き物だから、親 は自分を捨てて出ていってしまったのではないか。
そんな怖ろしい問いに身を苛まれながらも、ティルガは「ヒト」であるために必死にちからを制御しようとした。
しかし、日を追うにつれ膨れ上がっていく自分の中のちからを制御することがままならず、ティルガはある時ふっと諦めた。
死のう。
自分に雷を落として死ねばいい。
いつか誰かを傷つけるかもと怯えながら生きるより、こんな化け物は自らの手で始末した方が、世のためにもいいのだ。
そう決意すると、森の中の開けた場所に移動しキリキを練り始めた。万が一にも助かることのないよう、特大の雷を発生させて落とすつもりだった。
頭上で、バリバリビキビキという雷の音がする。
よしこのくらいならいいだろうと判断し、目を瞑って真っ直ぐ自分の上へと落とした。
ビシャーーン!!という音がしたのがわかった。
しかし、ティルガは生きている。不思議に思ってそっと目を開けたとき、その身体にチリチリと小さな雷を纏わせながら立っている偉丈夫がいた。
十九カルあまり(=約172㎝)ほどしかないティルガからすると、見上げるような大柄で立派な体格の偉丈夫だった。おそらく二十一カル(=189㎝)は優に超えているだろう。
真っ直ぐで腰ほどにも伸ばされたその髪の色は銀。今までティルガは、そんな髪色のヒトを見たことがなかった。
呆気に取られ、腰を抜かして地べたに座り込んでいるティルガを、偉丈夫はじろりと上から見下ろした。
「‥‥まだ子どもか。お前はなぜ、ここであのようなちからを乱発しているのだ」
子ども、と言われたことにむっとしたが、低く心に染み入るような偉丈夫の美声はすっかり抜けているティルガの腰を、またへにゃりと脱力させる。
「子、子どもじゃない!俺はもう十七を過ぎている!」
「ほう」
パリ、という小さな音がして偉丈夫の身体から雷の気配が消えた。すると、偉丈夫自身のちからなのか、大きく恐ろしい気配がしてくる。ティルガは口の中で、自分の奥歯がカチカチとなっていることに今気づいた。
「‥しかし、見たところお前は本当にヒトの子だな。なぜ、そのように過分なちからを持っている?」
ティルガには、偉丈夫が言っていることの意味がわからなかった。しかし、『過分なちから』で困っていることは事実だったので、地べたにへたり込みながらも偉丈夫の足元ににじり寄った。
「お、俺はヒトか‥?ヒトなのか?‥俺も、なんでこんなにちからがあるのかわからないんだ‥どうやって制御すればいいのか、ここで何か月も訓練したけどさっぱり制御の仕方がわからない。‥だから死んだ方がいいと思ったんだ‥」
「なるほど」
銀の髪を揺らしながらその大柄なヒトはティルガの目の前にしゃがみ込んだ。目線がばちりと合う。
その時初めてその顔を正面から見たティルガは、そのあまりの美しさに茫然とした。そのヒトは今までティルガが見たどんな生き物よりも美しかった。高級な陶器のような滑らかな肌、すっと通った眉の下には青銀色のびっしりとした睫毛に覆われた美しい金色の瞳が輝いている。やや太めの鼻梁は形よく、その下にある少し厚い唇は淡い桃紅色だった。
「手を出せ」
ティルガは何かに浮かされたように、言われるがまま腕を伸ばした。そのヒトはティルガの手を取り、軽く握った。その大きな手の滑らかな感触に、ティルガは自分の顔が真っ赤になっているだろうことを悟った。
思わず手を引こうとしたティルガを、銀の髪のヒトは許さなかった。ぐっと握られたその手から、何やら温かいちからのようなものが流れ込んでくるのがわかった。
「あ、ああ」
その感触は不思議なもので、快いような気持ち悪いような、癒されているような痛みを与えられているような。何とも説明のしがたいものだった。それがティルガの体内を遠慮なく駆け巡っていく。
身体中を巡っていった、と感じたときには、ティルガはぐったりとなって地べたに寝転がってしまっていた。銀の髪のヒトはそんなティルガをひょいと抱えあげた。
「とりあえず休んだ方がいい。お前の家に連れて行こう」
教えてもいないのに、そのヒトはティルガを抱えたまま恐ろしい速さで駆け出し、すぐにティルガのねぐらについた。小屋の中に入って粗末な寝台にティルガを横たえる。
狭い小屋の中で、大柄なこの人物はかなり窮屈そうに見えた。
ティルガがいつも使っている小さな椅子を引っ張ってきて、その椅子を掴みふわりと青銀の光を宿らせる。そしてどっかりとその椅子に座った。
ちからがうまく入らず、横になっているティルガに向かって、またその人物は話し出した。
「私は、この大陸に住む龍人 のハルタカというものだ。龍人 のことは知っているか?」
首を横に振ったティルガを見て、ふむ、とひと息吐くとまたハルタカは話を続けた。
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