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第159話

マヒロは何も言わず、ハルタカとティルガのやり取りを眺めているだけだった。 そのマヒロの傍にハルタカが近づいてくる。そっと肩を抱き寄せ、またつむじに唇を落とす。 「用事は終わった。あの薬剤は、もう作られることもない。あの者の健康にも問題はない。帰ろう、マヒロ」 マヒロは口を少し開いて何か言いたげではあったが、ハルタカの顔を見てその口を閉じた。共に過ごしたこの四十年で、色々とハルタカのことも理解できてきている。これはもう、絶対に帰る心づもりの顔だ。 「うん」 そう言って頷くと、ナジェルに肩を抱えられているサイリの傍に駆け寄った。そしてナジェルから奪うようにしてその腕の中にサイリを抱き込む。ややサイリの方が背が高いのだが、マヒロは精一杯手を伸ばしてサイリを抱きしめ、その頭をくしゃくしゃと撫でまわした。 「‥久しぶりに会えたのに‥あんまり一緒に過ごせなくて寂しいな。サイリ、無理はしないでね。怪我には気をつけて、また何かあったらすぐに報せるんだよ?はい、これ新しい鳥」 そう言って腰に提げていた袋から、淡い桃紅色の紙の束を取り出し、サイリに渡す。 そのやり取りを見ながら、ジュセルはマヒロが去ってしまうことを悟って、何か言わなくてはと焦っていた。 何を?再会を期す?お礼?もっと話したい、とか? ぐるぐると考えているジュセルの傍に、マヒロがふわっと近づいてきた。反射的にケイレンがぎゅっとジュセルを抱きしめる。 それを見て、マヒロはくすっと笑った。 「ジュセルを害するつもりなんてないってば!‥でも、そのくらい大切なんだね。‥ジュセル、よかったね、こうやって愛してくれる人や、心配してくれる人がいて」 マヒロの柔らかく優しい言葉の中身に、ジュセルは気づく。 ひとりではない、と。 異世界に転生してしまったけれど、ここで生きていくしかないのだと。 そして、自分の周りには自分を大切にしてくれる人々がいると、 マヒロに、そう言われたように感じたのだ。 ジュセルは言葉の出ないまま、マヒロの顔をじっと眺めた。その視線を受けて、マヒロは唇の端を上げ、綺麗な笑顔を見せた。 「‥‥ひょっとしたら、もう一回くらい、会いに来れる、かな?」 マヒロがそう言いながら、すぐ隣に来ていたハルタカを見上げた。ハルタカはむっすりした顔で応える。 「‥考えておく」 ハルタカはその言葉を言い終わるや否や、ひょいとマヒロを抱えあげるとそのまま恐ろしい速度で走り去っていった。 そのあまりの速度に、残された人々が呆気に取られているとサイリがぼそりと呟いた。 「‥龍人(タツト)様、めちゃくちゃ足が速いから‥多分、どこかに飛竜を待たせてるんだと思う。遠距離移動の時はだいたい飛竜を使ってたみたいだし」 「ひ、飛竜!?って、ドラゴン?うわ見たかった‥」 「‥ジュセルの世界では、飛竜のことドラゴンって言うのか?」 ジュセルの言葉を受けて、ケイレンがそう尋ねた。しん、といきなり静寂が辺りを包む。 先ほどの様々なやり取りから、ここにいる者たちは、別の世界からジュセルが魂だけ|帯壁《たいへき》を超えてこちらにやってきたものだ、ということをのみ込んでいた。 それを、みなわかっているという前提での、ケイレンの言葉だった。 ほんのわずかな静寂の後、ジュセルがこくりと頷く。それを見たスルジャが急に大きな声を出した。 「あ〜すっきりした!ジュセルの知ってる色々な知識って、帯壁(たいへき)の向こうの世界(トワ)の知識だったんだね!」 「そう言われれば、色々と納得できるな」 アニスもそう言って微笑んだ。 ジュセルはケイレンの腕の中から、頭を巡らせてそこにいる人々を見渡した。アニス、スルジャ、ナジェル、サイリ、ティルガ、‥そしてケイレン。 みな、「別の世界から魂だけこの世界にやって来た者」という怪しげな自分のことを、そのまま受け入れてくれたのだ、ということがわかる。 立場を逆にして考えてみれば、自分はかなり怪しい人物に見えるはずなのに。日本で自分の周囲に「私は異世界転生してきました」などという人物がいたら、きっと前世のジュセルは距離を取っていただろう。 何につけ、自分は事なかれ主義だったから。 ことを荒立てたくない、騒ぎの中にいたくない、注目されたくない。 そういう考えを持ち、その通りに行動した人生だった。 だから、自分が傷ついた分だけあの元婚約者のことも傷つけたし、あの営業先の企画課の男性にも、何も言えずに死んだ。 もう、そんな自分にはなりたくない。 自分を信じて、心配してくれるヒトを、大事にしたい。 前世では、それができなかったのだから。 ジュセルはこみ上げてくる涙を隠すこともせず、しゃくりあげながら言った。 「‥‥みんな、ありがとう‥俺‥この世界(トワ)に生まれてこれて、よかったよ‥」 地図を見ながらセキセイ(=機工動力を作り出す、ヨーリキシャとキリキシャからなる二人組を指す)の二人と相談し、距離や時間を逆算して機工車を移動させる。うまくその目論見が当たって、あまり人目につかずに機工車両を林の中に隠すことができた。そこで準備をしてから、徒歩でカタラニエの街へ向かう。用心のために、人数を分けて二手に分かれて向かった。 カタラニエでの目的は、オクロト村から逃げ出してきた漁師親子に会うことだ。随分と用心して身を隠している、と聞いていたので、こちらも慎重にならざるを得ない。 何人かの仲介を経て、ようやくその親子の一人に会うことができた。カジャと名乗るそのシンリキシャは、漁師らしく日に灼けた肌とがっしりした身体つきを持ったシンリキシャだった。 「ナルグとルフカは、目立たないところに隠れてもらってる。俺がここに来たのは、オクロトに行くなら俺を連れて行ってほしいからだ」 開口一番、カジャはそう言い放った。ザイダをはじめとする討伐隊の者達は、思わず顔を見合わせた。カジャはそれを見て頷いた。 「戦闘の訓練をしてない俺がついていくのはきっと邪魔になる、と思ってるんだろう。確かにそうかもしれないが、俺は誰一人としてオクロトの連中を傷つけてほしくない。みんな気のいいやつばかりだ。操られているのならそれから解いてやりたい」 「その、気持ちはわかるが‥」 そう言いかけたザイダの言葉を、カジャは鋭く遮った。 「そもそも俺がいなきゃあんたたちは、相手が操られているやつなのかあの悪いやつの仲間なのか、見分けられねえんじゃねえのか?」 潮に焼けたがらがら声でそういうカジャの目が、じろりとそこにいる人々を見回した。ザイダは一つため息をつくと、カジャの言うことを肯定した。 「確かに、お前の言う通りだな」 「‥俺は戦闘には加われねえが、自分の身くらいは自分で守れる。オクロトの連中の顔はみんなわかる。‥‥どうしてもの場合を除いてそいつらを傷つけないでほしい。それを約束してくれるなら、俺が道案内をする」 そうきっぱりと言い切ったカジャに、ザイダはどうすべきかと隣にいたシンリキシャの顔を見た。ヤーレは別動隊にいる。 シンリキシャは、カジャの顔を見ながら言った。 「いいんじゃないですか?あいつのシンリキ操作が効かないことは、もう証明済みなんですし‥それにこの者が言うように、ハリスの手の者と村人の区別がつく人物がいる方が、作戦も実行しやすいと思いますし」 その言葉を聞いて、ザイダの心は決まった。 「‥わかった。ただ、命の保証はできない。どうしてもの場合はあんたを見捨てなくちゃならない場合もあるかもしれん。それでもいいのなら、随行させよう」 カジャは灼けた肌に目立つ白い歯を見せ、にっと笑った。 「伊達に荒海を渡って漁をしてきたんじゃねえ。てめえの身くらい守れるさ」 「頼もしいことだ」 「いつ、村へ向かう?」 そう尋ねてくるカジャに、ザイダは尋ねた。 「強制性交幻覚剤(パルーリア)を作らせてる工場みたいなのは、どのくらいの時間稼働してるんだ?」 カジャは少し考えていった。 「村には、時計を置いてる家がほとんどねえ。だから正確な時刻はわからんが‥おそらく夜明けから二時間から三時間後くらいに稼働し始めてる。終わりはいつも陽が沈むときだ。完全に暗くなる前に、みんな家に戻れるからだろうな。それから」 カジャの目が急に鋭くなった。 「‥おそらく、俺達みたいに操作できないやつもいたんじゃねえかと思う。村の子どもたちが‥一か所に集められて監禁されてるんだ。人質ってことなんだろうな」

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