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第162話

そこまで広さのない、執務室。陳情に訪れたものが話すためなのか、部屋の中央には大きめの長机が置かれており、その両側には四つずつ椅子が置かれていた。ハリスは、その奥に置かれている執務机の向こう側に立っており、そちら側の壁には窓はない。逃げられる心配はしなくて済みそうだ、とヤーレは考える。 ハリスは、ヤーレとザイダが顔につけている奇妙なものが何なのかわからずにいた。しかし、薄い灰色の輝石でできたような眼鏡のようなものは、ザイダともう一人の顔を、特に目を見えなくさせていることに気づく。 「‥そんなもので、私のシンリキから逃げられると思ったか!」 ハリスはそう叫ぶと、ありったけのシンリキをこめてまずはザイダの目があるらしき部分を睨みつけた。そこは灰輝石で覆われていて、その中はぼんやりとしか窺えない。 ザイダはハリスの目を見ないようにして、長机の上に駆け上がりそのままハリスに迫った。ハリスのシンリキは感じない。「ゴーグル」はしっかりとその役目を果たしているようだ。 ハリスの執務机の上に飛び乗ったザイダが薙ぎ払おうとした大剣を、ハリスのすぐ左横にいた諜報員が、頑丈な短槍の柄でがしん!と受け止める。 その隙に椅子の後ろを通りながら反対側からヤーレが、ハリスめがけて投擲刺剣を投げた。ハリスの右横にいた諜報員が片手剣でカキンとそれを打ち払う。ヤーレはその隙に大剣を振り上げハリスに届くところまで迫った。 しかし右にいた諜報員が懐から出した分銅鎖を投げ、ヤーレの身体に巻き付ける。その横では左の諜報員とザイダが大剣と短槍で激しく斬り結んでいた。ザイダは相手の鋭い穂先を受けながらも隙を見て隠しに入れていた投擲刺剣を片手に握り、そのままハリスの身体めがけて投げつけた。 ハリスは咄嗟に避けようとしたが、左右で激しく斬り合っている二組がいるため、身体の動きを大きく取れずに右わき腹に投擲刺剣を受けてしまった。 「うぐっ‥!」 投擲刺剣は深く刺さったわけではなく、ハリスの右わき腹をかすめただけのようだった。カラン、と投擲刺剣が落ちた音を聞いてザイダは舌打ちをしながら、執務机の上で身体を引き、大剣を下げて相手の胴から上に斬りあげた。 その鋭い剣先は、諜報部員の胸を斬り裂いたが出血は見られなかった。随分と厚い装甲を纏っているらしい。 その向こう側では、身体に鎖を巻き付けられたヤーレが、左手で鎖を掴みしめ右手で重い大剣を振るっていた。ヤーレの相手である諜報員はかなり小柄で、19カル(=約171㎝)ほどしかない。片手で大剣を振るうヤーレの剣先はどうしても大振りになってしまい、素早くその刃を避けながら動く諜報員をうまく捉えられずにいた。 その二組の死闘を見ながら、ハリスは右の脇腹を押さえ机の抽斗を開けた。その中にはいざという時のための備えが入っている筈だ。 そのハリスの動きを見たザイダが相手と斬り結びながらも、すかさず右足でハリスの腕を蹴り飛ばす。左腕を|強《したた》かに蹴り飛ばされたハリスは、その勢いのまま後ろに倒れ込んだ。後ろにあった椅子をも巻き込み派手な音を立てて倒れ込む。それにはっと気を取られた左の諜報員が、倒れ込んだハリスを庇うようにその前に身を投げ出した。 その時、諜報員の持っていた槍はザイダから遠くなった。 「っらああ!」 ザイダはその隙を見逃さず、がしりと大剣を下向きにして両手で握ると執務机の上から、ハリスを庇っている諜報員の背中をめがけて飛び降りた。 ざぐ、と鈍い音がしてザイダの大剣が諜報員の背中を深く刺し貫いた。その様子を見ようとした小柄な諜報員も、隙を衝かれてヤーレに分銅鎖を持っていた手を斬り飛ばされた。 「ぐああああ!」 誰のものとも知れない叫び声が複数上がる。諜報員の背中に片足をつき、もう片足を床に踏ん張ったザイダは、渾身のちからを込めてぐぐぐっと大剣を押し込んだ。 「ぐ、うう」 諜報員の身体がびくり、と一度大きく震えて動かなくなる。それでもザイダは大剣から手を離さなかった。諜報員越しに、ハリスの身体をも貫いている感覚はある。しかし、ハリスにはまだ動きがあった。‥致命傷にはなっていない。 「ザイダ!」 小柄な諜報員の喉を掻き切ったヤーレがすぐにやってきた。そしてヤーレも大剣を構え、諜報員の身体の下から覗いているハリスの顔目がけて大剣を振り下ろした。 ガツッッ! ヤーレの重い剣先は、使い古された木の床にめり込んだ。 ハリスの姿は、消えていた。 屋敷にいたハリスの手の者たち七名のうち、生け捕れたのは一名だけだった。それだけ相手の腕もよく、死闘であったと言える。 こちらも、ピオとタカエが大怪我を負った。回復薬が足りないので一つを二人に分けて飲ませる。タカエは骨まで見えるほど太腿を切り裂かれていたが、包帯でぎゅうぎゅうに縛り上げ額に脂汗を滲ませながら何でもないと嘯いていた。 生き残った一名は、主に厨房仕事をしている者のようだった。だからこそ、腕利きの襲撃者たちに怯え厨房に身を隠していたのだ。そこをノースが見つけて捕まえた。 しかし、ハリスの深いシンリキ操作を受けているせいか、ハリスに関することは何も話さなかった。話せなかった、というべきかもしれない。 ザイダはノースにミジェのところまで走らせ、力素神鐘(りきそしんしょう)を持ってこさせた。まだミジェたちが林の広場に向かっている途中だったので、思いのほか早く村長宅まで戻ってきた。 鐘を鳴らし続けると、厨房の者は一枚何かが剝がれたように表情が変わった。怯えているのには変わりはなかったが、「ヒト」らしい動きになった。 「さて、操作も解除されたことだし、知っていることは洗いざらい話してもらおうか」 ヤーレがどすをきかせた声でそう言うと、厨房の者は縮みあがった。 「お、俺は、無理やりイェライシェンからここまで連れてこられただけで、詳しいことなんて知らない!も、もともと、イェライシェンの飯屋で働いていたのに、‥あのハリスってやつが気に入ったからとか言って俺を連れだしてきたんだ‥」 「‥なるほど。その時もシンリキ操作されて、誰も逆らえなかったんだな」 厨房の者は赤い瞳からポロポロ涙を零しながら頷いた。 ザイダはその者の前に座り込んで目線を同じ高さにした。そしてふっと笑いかける。 「‥‥大変な目に遭ったな。その上、俺達が脅かしてしまって申し訳なかった」 ザイダに優しい声をかけられた厨房の者は、辺りを憚らず大声を上げて泣き出した。ザイダはそれを咎めることもなく、優しく背中をさすってやった。 厨房の者はしばらくしゃくりあげて泣いていたが、少し落ち着くとごくりと喉を鳴らし、目の前にいるザイダを見た。 「‥あの、‥あんまり役に立たないかもしれないけど‥」 「何だ?何でもいいから知ってることは全部教えてくれ」 厨房の者は、片手を頭に当てて目を瞑り考えながら話し始めた。 「あいつ‥ハリスは、危なくなってもいざとなったら自分は逃げられるって言ってた。何か‥転移紙?ってのを持ってるって‥イェライシェンにある隠れ家に転移できるようになってるんだって」 そこにいた者達が、全員顔色を変えた。 「転移紙」とは、転移ができるキリキシャが誰でも転移ができるよう、キリキを封じ込めた紙である。そもそも転移ができるキリキシャが少ないこと、転移紙を作るのにも大きなキリキが必要なことから、莫大な値がついてしまうため一般には流布していない。 この大陸で転移ができるのは、ティルガを含めたった三人しかいない。その内の一人はその膨大なちからを私利私欲にしか使わないことで有名なものだった。 「‥あいつから‥いつの間にか転移紙を買ってやがったのか‥」 ヤーレが呟くと、ザイダが優しく尋ねた。 「その、イェライシェンの隠れ家はどこにあるかわかるか?」 「わからない‥でも、賑やかなところだとは言ってた。その方が紛れやすいからって‥」 ザイダは、努めて表情を変えぬようにしながら、拳をぎりりと握りしめた。

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