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第164話

もともと忙しかったのに加え、ヨキナの殺害、ハリスの暴走に関わる様々な影響もあり、このところのロザイは目も回るような忙しさだった。その忙しさの中で、全く連絡をしてこないアニスに我慢の限界が来て、思わず迎えに行ってしまったのはあまり自分らしくない行いだったとロザイは思っている。それでも、アニスと過ごしたあの甘い時間は、何物にも代えがたいものだった。 その甘い記憶があるから、今またロザイは様々なことに忙殺されていても一定の余裕を持っていられるのだ、と自分でもわかっている。 まさかに、アニスが自分の求愛に応えてくれるとは思ってもみなかったロザイは、わかりやすく浮かれていた。この上機嫌が続いているからこそ、殺人級の忙しさを何とかやりくりできているのだ、とはロザイの右腕サレーニの言である。 今の忙しさに加え、将来的に主頭を穏便に退くための根回しもしなければならない。ロザイはサレーニを次の主頭にと考えているのだが、サレーニは頑としてそれを承知してはくれなかった。 「主頭が、裏で俺を操ってくれるってんならやりますけどね」 などと嘯いている。それでは裏請負会(ダスーロ)から退いたことにならない、と文句を言えば、 「じゃあ他のやつに任せればいいですよ。ドルグとか?」 と、もう一人の腹心の部下の名を挙げる。挙げられたドルグは目を丸くしてぶんぶんと首を左右に振っていた。 「‥お前らには野心ってものがねえのか‥」 半ば呆れたようにため息をつきながらロザイが呟くと、サレーニは肩をすくめた。 「野心なんかないですよ。俺ぁ主頭の傍で働いていたいだけなんで」 「俺はヒトの上に立つなんざ無理なんでね。頭も悪りいから、へへっ」 サレーニとドルグにそう言われて、またロザイはがっくりと首を落とすのだった。 あれこれと指示をして、それを受けた二人が主頭執務室から出ていった。大きな椅子に思い切り背中を預けて顔を覆い、目のあたりを揉むようにする。今日こそは寝台で横になりたいもんだ、と考えながら机の上の茶器に手を伸ばそうとした。 その時、ゆら、と空気が揺れるのを感じた。 今までに感じたことのないその気配に、ロザイは机の横に置いていた剣の柄をすぐさま手に取った。揺らぎの発生源らしき空間を眺めていると、そこがあからさまに歪んだ。 そのすぐあとに、そこには今までいなかった人物が現れた。 「‥迅雷(ゼッツ)‥!」 そこに立っていたのは、光級請負人(カッスル)のティルガだった。 「よう、忙しいんだなあお前。なかなか一人になる機会がないから、いつ転移すればいいかわかんなくて焦ったぞ」 ティルガは暢気にそう言いながら頭を掻き、ゆっくりとロザイの方に近づいてきた。ロザイはふっと息を吐いて、剣の柄から手を離し、椅子に座り直した。 「天下の光級請負人(カッスル)が、裏請負会(ダスーロ)主頭の俺なんぞに何の用だ」 つっけんどんにそう言うロザイに気を悪くした様子も見せず、ティルガはにっと笑った。 「アニスと、伴侶になるんだって?」 思わぬ言葉に、ロザイの身体は硬直した。‥それを知っているということは、アニスから聞いた、ということになる。アニス自身が、昔焦がれていたティルガにそう告げたのだろうか。 言葉を失っているロザイに、くくっと喉を鳴らしてティルガは笑った。 「『俺は、俺のやり方でいつかアニスを手に入れる!その身体も‥心も!』だったかな?何十年前だかな、お前がそう言っていたのは」 「‥‥四十年、くらい前だ」 若かった頃の自分の言動を掘り返され、渋い顔をしながらロザイは答えた。そのロザイの前の机の上に、ティルガはがちゃりと重そうな袋を置いた。 「アニスが‥落ち着いた、柔らかい表情(かお)をしていた。俺は安心したよ。これは、伴侶成立の祝いだ。まあ‥この様子じゃあお前が裏から足を洗うのにはもう少しかかりそうだが、俺の都合もあるんでな。前渡しだ」 ロザイは机上の袋に目をやった。中身が何の硬貨であれ、随分な量が入っていそうだ。 「俺じゃなくてアニスに直接渡せばいいだろう」 「いや、お前に渡しておきたかった。‥アニスを頼む」 ティルガは真面目な顔でそう言った。その目は、とても静かだった。ロザイはそんな目を見たことが何度かある。 あれは、死を覚悟したものがする目だ。 「迅雷(ゼッツ)、お前」 「ティルガって呼べよ。これでもアニスの親代わりのつもりだったんだぞ?」 「親は‥子どもを抱かねえだろ」 ティルガは目を丸くした。 「知ってたのか」 「‥この四十年、アニスのことはいつでも情報を掴んでた。あいつのことはあいつ以上に知っている」 ティルガは困ったようにまた頭を掻いた。 「まあ、あれはなあ、俺もちっと軽率だったな。せめて一度だけでもってあいつが酷く泣くから‥」 「そんな話は聞きたくねえ」 「おっと、これは俺が悪かったな。‥まあ、お前がどう思っていようと俺はアニスの親代わりのつもりだったんだ。だから、頼むぜ」 「なぜ死ぬつもりなんだ、ティルガ」 いきなりそう切り込んできたロザイに、ティルガは苦笑した。 「‥ん〜‥お前には言っておくか。‥疲れたのさ、大きなちからと共に生きることに。安全に命を(しま)えそうな算段が付いたんでね。‥誰にも言うなよ」 柔らかな笑顔でありながら、その決意が固いことをうかがわせる表情である。それを見て、ロザイは大きくため息をついた。 「‥面倒なことを教えやがって」 「心外だなあ、お前が訊いてきたんじゃないか」 そう切り返されてロザイがうっと言葉に詰まる。それを見たティルガがまた声をあげて笑った。 「まあそういうわけだから。アニスのことは頼むな。‥四十年、会ってなかったんだ、また四十年会わなくても、アニスもなんとも思わねえだろ」 「どうだかな‥」 アニスが抱えているティルガへの複雑な思いを、ロザイが知らないわけはない。ティルガの言葉に苦々しげにそう返したロザイの頭を、立っているティルガがくしゃりと撫でた。 「座ってるから撫でられるな。あの時の若者(ワクシャ)が立派になったもんだ」 「‥やめろ」 ロザイの言葉に構うことなく、ひとしきりくしゃくしゃとロザイの頭を撫でまわしてティルガは離れた。 「じゃあな」 ゆら、と空気が揺らいで。 もう、ティルガの姿はなかった。 ロザイは両手で顔を覆うと、大きくため息をついた。 呼ばれた医師は、ハリスの怪我の状態を見て顔を顰めた。随分と酷い状態だ。これで意識を保っているなどとは、信じられないことだった。 「万、能薬、は、ないの、か」 「今、そういう回復系の薬剤が市場から払底してるんですよ。私の手元にはありませんし‥手に入れるとしても、通常の値では手に入りません」 「幾ら、でも、いいから‥早く」 息を荒げながら鋭い目でそう命令してくるハリスに、医師は頷いてみせた。 「まあできるだけ早く手配をしますよ。金さえ払えばまあ何とかなるでしょう‥いやこれは酷いな。とりあえず応急処置はしますが‥痛みますよ」 ハリスの身体の中には、力素の棘、と呼ばれる細かい針のような力素の欠片が無数に入り込んでいた。色は黒いからきっとマリキだろう。力素の棘は、相当に大きなちからの持ち主からの攻撃、または相当に強い感情による攻撃で生まれると言われている。 (‥ま、随分と恨まれてはいるだろうしな) 心の裡でそう呟きながら、医師は自分のマリキを操って膨大な数の力素の棘を一つ一つ取り除いていく、 体内を医師のマリキが這い回り棘を摘み出していくその過程は、想像を絶する痛みをハリスに与えた。 (くそ‥!私が味わった苦しみを百倍にしてザイダに返してやるからな‥!) 全ての処置が終わったとき、ハリスは息も絶え絶えの状態だった。 医師を下がらせ、自分の周りにシンリキで覆いをかける。万が一、自分に触れようとするものがいたらすぐ覚醒できるようにしてあった。 ハリスは基本的に他人を信用していない。ヒトは利害関係の(もと)にのみその関係性を保てるものなのだと、信じて疑わなかった。 だから、自分を守るのは最終的には自分しかいない、といつも考えていたのだ。 ハリスは、自分の安全を確保してからようやくその意識を手放した。

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