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第167話
「‥‥ちょっと、まずいわね」
カズリエはそう独り言ちた。手には、ロザイから飛んできた速信鳥紙が握られている。
ハリスの潜伏先の情報に繋がりそうであることはありがたい。しかし。
「回復系の薬剤を探しているんだとしたら、そのうち力素回復薬のこともかぎつけるわ。‥きわめて数が少ないことも、その効果が著しく高いことも、‥‥そして、ある時からぱったりと供給が止まっていることも、あいつの手蔓があればおそらくすぐに突き止められる」
カズリエの身体に対して大きな執務机に、くしゃっと丸めた速信鳥紙をぽいと投げた。そして深く椅子に座り背を預けて、両手で顔を覆う。
ジュセルの身体の状態と今後については、ケイレンとナジェルからも詳しい報告が来ていた。まさか、噂でしか聞いたことのない龍人 とやらがやってくるとは思いもよらなかった。請負人協会 会長という要職にあるカズリエでさえ、龍人 に直接会ったことはない。遠目に見たことが二度ほどあるだけである。
‥言われてみれば、アツレンで生まれ育ったというサイリが龍人 とつながりがあってもおかしくなかった。同じところには滅多に姿を見せない筈の龍人 が、アツレンではよくその姿を現すというのはそこそこ知られていることだった。
ふーと長く、深い息を吐いたカズリエは、机の上の機工通信を起動させた。もう少し、ジュセルとケイレンの警備は減らしてもいいかと思っていたが、これまで以上に厚くするべきかもしれない。
「‥いずれにせよ、ハリスの怪我は思ったより重いということね。その猶予を、うまく使わないと‥」
そう呟いたカズリエは機工通信の鍵番を押した。
「‥え?屋敷内も?」
ヤーレに言われてジュセルは思わずおうむ返しをした。ヤーレは、これまでにないほど眉間に深い皺を寄せている。その横で、ケイレンも険しく厳しい顔をしていた。
「ああ‥今、もう新しい力素回復薬は売られていない。だが、売られていたという事実はある。ハリスが、それを探ろうとしても不思議じゃねえ」
「そ‥‥っかぁ‥」
作らなくなったからもう終わり、ということではないのだ、とジュセルはしみじみを思い知る。自然と顔が下を向いてしまったジュセルの肩を、ケイレンが優しく抱いた。
「心配するな、俺も傍についてる」
「‥ケイレン、仕事を再開しようかなって言ってなかった?」
ジュセルが心配そうにケイレンの顔を見上げる。ケイレンはできうる限り優しい顔を作ってみせた。
「今すぐに仕事をしないと困るってことはないよ。それより俺がいない時にジュセルに何かあったら、って考える方が怖い」
ケイレンはそう言ってぎゅっとジュセルの身体全体を包むようにして抱きしめた。いつもなら揶揄いながらそれを引き剥がすヤーレが、何も言わずに黙って思案していることがジュセルには気がかりだった。
ケイレンの腕をそっとほどいて顔を出すと、ヤーレに向かって尋ねる。
「ヤーレさん、‥何か気になることがある?俺、なんかした方がいい?どっかに行くとか‥」
ジュセルの言葉を聞いて目を剝いたケイレンをよそに、ヤーレは冷静に首を振った。
「いや、見知ったところの方が守りやすい。ここは協会本部にも近いし‥色々な状況を考えてみてもここにいるのが一番いいと思う。それから‥万が一を考えて、ジュセルの家族も呼んだ方がいいかもしれない」
そう言われて思わず息をのんだ。言われてみれば、身を守る手段を何も持っていない親 と一つ実 に、ハリスの手が伸びないとは決して言いきれないのだ。なぜ、今まで思いつかなかったのか。ジュセルは、自分のことばかり考えていて、そこまで配慮できていなかった自分が情けなくなった。
そんなジュセルの表情の変化を見てとったケイレンが、また抱きしめる。ぎろりと鋭い視線をケイレンから食らったヤーレは、ああ、と努めて表情を緩ませながら優しい声を出した。
「自分を責める必要はないからな?ジュセル。お前は巻き込まれた側なんだから‥こういうことは、俺達が考えていればいいんだ。ただ、手紙を書いてくれるか?急にいかつい請負人 なんかが迎えに行っても、きっとお前の家族に怪しまれるだけだからな」
「うん、それはいいけど‥」
どこにアミリと、サンカ、リーエンを泊めればいいのだろう。
現在、空いているのは使用人部屋が一つだけだ。そこにも寝台はない。ジュセルの部屋は広くて使いやすいが、寝台は一台しかない。‥しかも隣は内扉で繋がっている主寝室だ。さすがにそこに泊めるのは気まずく、憚られる。
考え込んでいるジュセルにヤーレが言った。
「俺は一度ここを引き上げる。そうすれば使用人部屋が二つと団欒室が空くだろう?その三つの部屋をうまく使えば、ジュセルの家族を泊められるんじゃないか?」
しかしその言葉にケイレンが反応する。
「住み込みの高能力者 が減るのは不安がある。‥ティルガもナジェルもこのところ留守がちだし‥俺が守るつもりではいるが、数は欲しい」
「ケイレン、ヤーレさんだって忙しいんだし、俺のことばかりで引き留められないよ」
ジュセルが慌ててそう口添えをすると、ヤーレがジュセルの頭をぽんと撫でた。
「悪いな、気を遣ってもらっちまって‥ケイレン、屋敷の中にも警備はおくし、要人警護に慣れたものを配置する予定だ。屋敷内の警備は不寝番だから寝台の心配もいらん。三交代制を取るつもりだからな」
「‥交代の時には、こちらの誰かを立ち会わせてくれるんだろうな」
またもぎろりと睨むような目つきをするケイレンに、ヤーレは苦笑した。
「ここにいる者たちには手間だろうが頼むつもりでいる。‥ティルガにはもう少しここにいてくれるか訊いてみるが、あいつは依頼を自分で受けているからその兼ね合いもあるし難しいかもしれんな」
「なんか、俺のせいでみんなの予定を狂わせちまって、申し訳ないな‥」
少し俯いたままのジュセルがぼそりとそう呟くと、すかさずケイレンが抱きしめた。
「ジュセルのせいじゃない、回復薬を作るきっかけを作ったのは俺だし、狙ってくるハリスも悪い。ジュセルは悪くないよ。‥もっと守られることに慣れてくれ。俺はいつだってジュセルを守りたいし、ジュセルの願いを叶えたいんだから」
そう言われたジュセルは、一瞬顔を赤くして恥ずかしそうにしていたが、ハッと何かに気づいた様子を見せて冷静な表情になり、ケイレンの腕の中から顔をあげた。
「ん?どうしたジュセル?」
「‥‥‥じゃあ、俺の家族が来ているときはあんまりこうやってべたべたしないでくれるか?俺は‥やっぱり恥ずかしいって思っちまうから‥」
「え、」
「俺の願い、叶えてくれるんだよな?」
「そ、そう、だな、うん‥できるだけ、気をつける‥」
ぼそぼそと返事をするケイレンを見て、たまりかねたヤーレが盛大に吹き出してまた睨まれていた。
使用人部屋へ新しい寝台や窓の覆い などを急ぎ搬入して体裁を整え、ジュセルの家族を迎えたのはヤーレの提案からわずか二日後だった。家具などの手配もカズリエが口利きしてくれたおかげで、随分と早くできたらしい。わざわざ手紙をつけてよこし、「御礼は甘めのお菓子でいいわよ」と書いてあったのにはジュセルも笑ってしまった。
ジュセルの親 であるアミリは、ジュセルの手紙を受け取っても、最初あまりいい顔をしなかったようだった。自分が仕事をもらっている工房から離れるのにも不安があったようだし、何より一つ実 が毎日楽しく通っている共通学校から遠くなることに難色を示していた。
さらには、そんな「危ない仕事」をしているだろうジュセルへも、その心配は及んだ。
「‥‥請負人 にも、色々あるとは知ってたよ?でもあんたは、配達や原料調達なんかが主になるって言ってたから納得してたのに、‥いつの間にかそんな怖ろしい目に遭っているなんて‥」
ジュセルからの手紙を受け取り、請負人協会 からの迎えが来ていたので仕方なく渋々ついてきたアミリは開口一番、そう言ってジュセルをじろりと睨んだ。団欒室で、ジュセルとケイレンのみが出迎えている状態である。
サンカとリーエンは、広い屋敷に大興奮して中を探索しに行くと言って出ていったきりだ。
つまり、団欒室にはジュセルとケイレン、そしてアミリだけが残されていた。
「‥えと、俺はこの屋敷からは出てないし‥危ない仕事、ではないんだけど‥」
「でも命の危険があるんでしょう?しかも、私たちを呼び寄せないと安心できないほどの。‥‥まさか、最近噂になっているシンリキシャの脱走犯と何かかかわりが‥?」
あまりに鋭いアミリの指摘に、ジュセルはごくりと喉を鳴らした。どこまで説明すればいいものだろうか。
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