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第175話
ジュセルの茶葉の売り上げは順調だった。「ティーバッグ」の名前で売られたそれを見た茶葉業界は、驚くとともに素早く動いた。ラッサ―レン隊商会がそれに応じて、一般で売られる茶葉にもティーバッグが使われることになった、という連絡がニルゼから来ていた。
それはつまり、ジュセルにこの先不労収入が入ることが確実になった、ということでもある。ラッサ―レン隊商会での売り上げが確定してからしか入ってこないので、実際にジュセルの手元にその利益が来るまではまだ時間がかかるだろう。そのせいもあってニルゼからの手紙を見ても、ジュセルはあまり実感がなかった。
アニスやスルジャは自分のことのように喜んでくれたが、ケイレンは「‥俺だって稼ぎがないわけじゃないし‥」と一人ぶつぶつと何やら言っていた。ジュセルは、ケイレンに何もかも世話になっておきながら自分に収入が増えたことが嫌なのか、と誤解して
「ごめんな‥でも、ちゃんとこれからも家の仕事はするし、できないときは家賃としてお金で払うから‥」
と申し訳なさそうに頭を下げた。
ケイレンは驚愕し大慌てで「なにもジュセルに不満はない」ということを必死に説明したが、どちらかと言えば自分に自信のないジュセルに納得してもらうまでに随分と時間がかかっていた。
その様子を見ていたスルジャは勿論、ナジェル、サイリにまで冷たい目で見られたケイレンはすっかり落ち込んでしまい、しばらくまたジュセルのあとを子どものようについて回り「俺にはジュセルだけだから」「ジュセルが笑っててくれたら俺は何にも要らないんだから」「俺はジュセルのせいで不機嫌になんかならない」と、延々と繰り返した。
とうとう終いには、茶葉の製作で忙しくなってきているジュセルに「もうわかったからっ(怒)!」と半ばキレ気味に言われる、というオチまでついた。
そんな二人を、周囲の人間がまた生温かい目で見守る、という流れまでが、当たり前のようになっていて、厚くなった物々しい警護にもかかわらずケイレンの屋敷には明るく和やかな空気があふれていた。
その一方で、族都イェライシェン、ある裏通りの小さな家。
そこには、ハリスの諜報隊副長のイシュラと諜報員三人が息をひそめていた。彼らは幾つかの拠点を持っており、ここはその一つである。今ここで寝起きをしているのはイシュラを含むこの四人だった。
そして今、くすんだ赤毛の諜報員が一人、目の前に置かれた粗末な食事にも手をつけず身体を震わせていた。
「‥‥じゃあ‥もう、ナーヴは‥」
「死んだ。‥‥キュイザたちが焼いたそうだ」
ナーヴ、というのは先日ハリスの命によってグンデのところへ送られたレイリキシャだった。ナーヴはくすんだ赤毛の諜報員、ツレウェの恋人だったのだ。
今の仕事が終わったらこの稼業から退いて、二人は伴侶になることになっていた。それは今は亡き隊長も認めていたことだった。それを目標に、この二人は多少無茶な仕事も受けて頑張ってやってきたのだ。
「‥ツレウェ、すまぬ。‥グンデというやつを甘く見ていた私の落ち度だ。あの手練れであるナーヴが、たかだか研究者にしてやられるとは思ってもみなかった」
「ナーヴは‥ナーヴはどんな死にざまだったんですか‥?苦しめられて死んだ‥?」
かすれた声ながら、必死に淡々と話そうとしているツレウェの肩に、イシュラは手を置いた。
「‥力素枯渇症の症状が出ていたらしい」
「力素を‥じゃあ、ナーヴは全力で戦って死んだんですね‥」
イシュラは何かを言いかけ、そのまま口を噤んだ。キュイザからの知らせでは、傷一つ見られなかったというナーヴの遺体。おそらくナーヴは戦う暇もなく無力化され、あるだけの力素を無理やりに吸い取られたのだと思われたが、イシュラはこれ以上ツレウェに精神的な苦痛を与えるつもりはなかった。
「これを」
渡されたのは、艶やかな白髪の小さな束。ナーヴの遺髪だった。
「どうするかは、お前が決めろ。キュイザが一応取っておいてくれたものだ」
「ありがとうございます‥」
ツレウェはその髪を受け取り、胸に押し抱いた。そのまま俯いて何も言わないツレウェに、イシュラは軽くその肩を軽く叩いた。
同じ机についているほかの二人も、何も言わずにイシュラとツレウェを見守っている。しばらく沈黙が続いた後、黙っていた一人が口を開いた。
「副長、この後はどうする予定ですか」
イシュラは発言者の方を見た。もうそこには何の感情も見せない、いつも通りのイシュラの姿があった。
「今、あの屋敷について探らせている。ぱっと見にはわかりづらいが随分と警護を手厚くしているようだ。手練れの請負人 、しかも荒事に慣れているやつばかりが警護についている‥中にいるのも一級、二級、三級の手練れだしな」
イシュラはそう言って、三人の方を見た。ツレウェだけはまだ髪を抱いたまま俯いて身体を震わせている。
「‥一番、警護や中の人数が少ない日を探っている。該当日が判明次第、襲撃の計画を立てる。その時にはハリスにも出てきてもらうつもりだ。シンリキ操作をしてもらわなければならないし、何よりあいつは執着してる請負人 を自分の手で連れ去りたいと思っている筈だからな」
「報酬については、何か言ってきていますか」
もう一人がそう尋ねると、イシュラはクッと口の端を上げた。
「先日、まとめて共金貨二十枚。次の襲撃が成功した場合には共金貨三十枚を約束している」
「‥隊長が死んだ、その補償‥補填は」
イシュラはくくくっと音を立てて冷笑した。
「それも、話をつけてある。襲撃を防ぐことはできなかったが、その命をもってハリスを守った隊長に免じ、別に共金貨十枚。先ほど、口座に併せて共金貨三十枚の入金を確認できたところだ」
一同はその言葉を聞いて黙り込んだ。全員、諜報員らしくその表情に感情は見えない。ツレウェの身体の震えも今は止まっていた。
「‥とにかく、次の襲撃に向けて牙を研いでおけ。わかったな」
イシュラのその言葉に、全員が深く頷いた。
机の上の粗末な食事からは、もう湯気もたっていなかった。
久しぶりにティルガが、ケイレンの屋敷に戻ってきた。今回は屋敷にいない時間が長かったので、厨房で水を飲んでいるティルガに遭遇したジュセルは「ひゃっ!?」と変な声を出してしまった。
「ああ、悪い悪い、驚かしちまったな」
コップを置いたティルガは口を拭いながらそう言って笑った。ジュセルはぶんぶんと首を振ってから自分の非礼を詫びた。
「いえ、ごめんなさい、誰もいないと思い込んでたもんで‥」
「いやそれはそうだろう。ジュセルは何も悪くないさ」
そう言ってティルガは厨房にある粗末な丸椅子に腰かけた。作業台に肘をつき、組んだ両手の上に顎をのせながらジュセルの方を見上げる。
「‥時間がうまく合わずに、昼飯食いっぱぐれたんだ。なんか作ってくれねえか?」
「あ、勿論です!やっぱり、たくさん食べたいですか?」
ちょうど昨日、肉屋のオスラが来ていい肉をたくさん置いていってくれた。さすがにオジャンの肉、とまではいかないがそれなりにいいものばかりだった。
塩と香草に漬けておいたホロ鳥の肉がありますよ、と言えばティルガがわかりやすく相好を崩した。
「うっわ、いいな!俺、あれ作ってほしい、あの‥なんだっけ、コローゲ‥?」
「ああ、から揚げですか?」
「そうそれ!あれはうまかったなあ~、鳥肉で美味いと思ったの、初めてだったよ」
しみじみとそう言ってくれるティルガに思わず笑みがこぼれたジュセルは、腕まくりをした。
「唐揚げだとちょっと揚げるのに時間がかかっちゃうけど、大丈夫ですか?」
「ああ、今日はこの後予定が入っていないからな‥このところ詰め過ぎてしまってたから、少し休むことにしたんだ。‥まあ、明日からも予定は入ってるんだけどな」
「最近、見かけないから心配してたんです。でも、保存庫に入れてある食事は減ってたから、ご飯は食べられてるんだなとは思って、少しだけ安心してました」
料理の仕度をしながらそう言うジュセルに向かって、ティルガは優しい目を向けた。
「‥ジュセルは、本当にいい子だな」
ジュセルは思わぬ褒め言葉に顔を赤くした。そんなに褒められるような、立派な人間ではない。
「いや、別にそんなことない、です‥結局自分のために、龍人 さんやティルガさんにも面倒をかけちゃったし‥あ、お礼を言うのが遅くなってすみませんでした。あの時は、本当にありがとうございました。その後、体調とか‥変わりないですか?大丈夫ですか?」
ティルガは組んでいた手をほどいて顔の前でひらひらと振った。
「何も変わりはないよ。『枷』が外れても溢れるほどの余剰のちからはないから、その分制御が今までよりもうまく行ってるくらいだ。気にすることはない』
「‥本当ですか?俺のために‥‥何か無理をしているとかじゃないですか?」
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