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第179話

この人数の少ない日を、無論ハリスの諜報部隊は見逃さなかった。ケイレンの屋敷の人の出入りをずっと張りついて見張っている者から、警護が薄いうえに一級と三級の請負人(カッスル)もおらず、元野獣狩りもいない、という情報がすぐさまハリスの元へ届いた。 『今日だ、今日行くぞ。‥腕利きを集めろ」 そう言われた世話係が、びくりと体を震わせた。 「あ、あの、護衛にと、雇われた方々は‥今日は皆さんお休みで、あの、諜報部隊の方々しかいらっしゃらないんですが‥」 びくびくと怯えながらそう告げる世話係を、ハリスはじろりと睨みつけた。‥勝手に休みを取るとはどういうことだ。確かにこれと言って休みの日は設定していないが、だからと言ってハリスに黙って勝手に休んでいいことにはならない筈だ。 苛立ちを隠しもせずハリスは鋭く舌打ちをした。護衛の者達が帰ってきたらこのような勝手な行動はできないよう、もう一度シンリキ操作を強くかけておかなければならないだろう。そう言えば、最近は色々忙しくてあいつらにシンリキ操作を重ねがけしていなかった。 苦々しくそう考えながら、ハリスは言った。 「仕方がない。イシュラに連絡をして人数を集めるように言え」 「カ、かしこまりました!」 世話人は焦ったように返事をすると、飛び上がるようにしてその場から駆け出していった。 ハリスは自分の装備を確かめながら考えた。 とうとう、望みのものが手に入る。しかも、力素回復薬さえあればシンリキ操作をいくらでもかけることができるだろう。そうすればまた別の場所にでも、強制性交幻覚剤(パルーリア)の精製工場を作ることもできるはずだ。 このサッカン十二部族国を、裏から操って我がものにしてやる、という野望をハリスはまだ捨てていなかった。そのためにはジュセルとかいうキリキシャが必要だし‥何よりも自分の傍に、あの美しいケイレンを置いておかなければならない。 今日こそは自分のものにして連れ帰り、とりあえず強制性交幻覚剤(パルーリア)をのませ、あの身体を貪ってやろう。 そう考えると、先ほどまでの苛立ちも軽減されるような気がしていた。 呼ばれたイシュラは時を置かずにやってきた。そもそも情報を送ったのがイシュラの部隊の者なので、ある程度予測はしていたらしい。 「ハリス様、すぐに動かせるのは私を含め六名でございます」 「六名?‥他にもっといないのか?」 「あいにく他の仕事に回っておりまして‥ハリス様が雇われている方から人数を出していただくわけには参りませんか?」 ふん、とハリスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。 「‥今日は都合がつかぬようだ。これだから流れ者は困る‥まあ仕方ない、お前たちが六人もいれば大丈夫だろう」 「‥ハリス様もお出になられるので?」 ハリスはにやりと笑った。 「私がいなくては、シンリキ操作できるものがいないだろう?」 「無論でございます。助かります」 平坦な声でイシュラが言うのに、ハリスは満足そうに薄く笑った。 「用意ができ次第出るぞ。目的地は南アラマサ地区にあるケイレンの屋敷。生け捕りにするのはジュセルというキリキシャとマリキシャのケイレンだ。それ以外は殺しても構わない」 「‥オクロトで見られたという、怪しげな目の覆いがあった場合どういたしますか?」 イシュラが横からハリスに尋ねる。またもハリスは傲岸な嘲笑を口の端にのせた。 「そんなもの、矢で射通して壊せばいい。始めからあるとわかっていれば何も怖れることはない。強い石矢を準備しておけ。‥ようやく宿願が叶う‥!」 そう言いながらくつくつと笑うハリスの横で、イシュラは感情を見せない顔のまま佇んでいた。 ケイレンの屋敷の外を見回っている警護者は、大体常時四人ほどはいる。このところ大きな変化も襲撃の兆候もなく、警護者の中には何となく倦んだ雰囲気が漂い始めていた。それでも請負人協会(カッスラーレ)の協会長直々の依頼だ。ともすれば抜けそうになる気を引き締めながら、警護者たちは辺りの警戒に当たっていた。 万が一の時に備えて、警護者たちは腰帯にシンリキ操作阻害のゴーグルを提げている。ただ、外からは見えぬように外套で隠れる位置に提げるよう指示が出ていた。 屋敷の敷地はかなり広い。表側と裏側の二手に分かれ、それぞtれ二人組になって警戒するのが常だった。とはいえ、この屋敷は住宅街の中でも少し外れたところにあり、人通りは少なめだ。毎日、来るかどうかもわからない襲撃者にこれだけ怯えるというのは、余程この屋敷に住んでいる者は臆病なのだろう、と警護者たちは益体もない軽口を叩いていた。 外担当の警護者たちには無論、なぜここを警護しなければならないのかという詳細な理由は伏せられていたからだ。 そうやって軽口を叩きつつ表を回っていた二人のうち一人が、急に「うがっ!?」と妙な呻き声をあげてその場にくずおれた。残る一人が「どうした!?」と声をかけた途端、ひゅん、という音が響き同じようにもう一人の警護者もその場に倒れた。 同じころ、裏手でも警護者二人が凶刃に倒れていた。 ひくひくと痙攣している二人の姿を満足そうに見たハリスは、「よし、中に入るぞ」と指示を下した。 諜報員は、倒れ込んでいる二人に刺さっている投擲刺剣を素早く抜き取って、ハリスの後に続いた。 諜報員は屋敷の周りに展開されている防護機工を、少し時間をかけて解除した。そのためにヨーリキシャの諜報員が付帯してきていたのだ。 防護機工を無効化し、堂々と玄関までの道を歩いていく。そして玄関わきの呼び鈴を横目に見ながら扉を開けようとした。が、案の定鍵がかけられている。 舌打ちをしたハリスが目で合図したのを見て、諜報員が呼び鈴を鳴らした。ビーッという 無機質な音が響き渡る。 すると、扉の向こうから小さな声が聞こえた。 「どうした、何か異常か?」 中の警護者の声だと判断した諜報員は、低い声で言った。 「ちょっと気になるものがある、一緒に確認してほしい」 諜報員がそう言うや否や、扉の向こうでピィーーー!という鋭い呼び子の音がした。 「敵襲!敵襲だ!」 外の警護の者が中の者に話しかけるときには合図の言葉を言うよう、取り決めてあったのだが、それはなかったことで中の者が敵襲と判断し、他の者達に報せたのだった。 諜報員たちは歯噛みしたが、その声を聞いてすぐ、玄関扉に小さな爆発物を取り付けた。「ハリス様、下がってください」と指示し、取り付けた爆発物から少し距離を取る。そこから起動機工を操作すると、ドン!という鈍い爆発音と共に分厚い玄関の二枚扉が吹っ飛んだ。 玄関の方から聞こえた呼び子の音は、屋敷中の人々を驚かせた。 だが、屋敷内に残っているのは警護者の中でも手練れと言える者たち三人であり、こういった場面を何度も乗り切ってきたケイレンとサイリであった。 呼び子が響いてすぐ、警護者の一人が厨房に駆けてきて有無を言わさずジュセルを隠し部屋の避難室に押し込んだ。自分もともに入って慎重に扉を閉め、出入り口の痕跡を隠す。ジュセルは以前同じように、スルジャとここに隠れたことを思い出した。 自分はいつも誰かに守られて、誰かの命を盾にしている。 そんな気持ちが胸を灼くようで、椅子の上でしょんぼりと項垂れた。‥きっと今頃、他の警護者やケイレン、サイリたちが侵入者と戦っているのだろう。呼び子の後に聞こえてきたあの爆発音は、おそらく扉を爆破して入ってきたのに違いあるまいから。 つまり、今までより大掛かりに襲撃できる者達がやってきたということだ。 油断なく、扉の近くで両手に小剣を握り様子を窺っているマリキシャに、思わずジュセルは言った。 「すみません、俺のせいで‥皆さんを危険な目に遭わせてしまって‥」 「いえ、こういう仕事ですから。お気になさらず」 ジュセルを守ってくれている警護者のマリキシャは、何も気にしていないようにきびきびとそう答えた。このマリキシャは身長こそジュセルとあまり変わらないが、身体は隆とした筋肉で覆われ、荒事で生きてきた歴史を思わせる傷跡がいくつも衣服の隙間から見えていた。 この隠し部屋には、逃げ道はない。この扉を突破されたら戦うしか道はないのだ。ジュセルには戦う術がないから、矢面に立つのはこのマリキシャになる。 自分を守るために、このヒトはきっと命をかけるのだろう。そういう仕事だから。 それでも。 「‥‥俺なんかを守るために、‥みんなが命を懸けて戦ってるのに‥俺は、俺はいつも隠れて待っていることしかできないなんて‥俺なんかのために‥」 ジュセルのその呟きを聞いたマリキシャは、ジュセルの方を振り返った。そして、構えは解かないまま、静かに話し始めた。 「ジューさん(念のため、ジュセルは警護者たちには本名を隠していた)。じっと待つ、ということも戦いの一つです。待つことは辛い。特にこの場所で待っていることは、外の状況もわかりませんし、苛々も狼狽もするでしょう。だから、愚かな者は待つこともできず、耐えかねて安全なところから飛び出し、命を無駄にすることもある。‥その結果、他の仲間たちが必死で戦っていることを台無しにしてしまうことになるんです。 戦うものより、守られるものの方が辛いんですよ。守られた結果、自分のせいで誰かが傷ついたり命を落としたりするその結果を受け止めなければなりませんから。‥‥それでも、守られる側は守りたいと思ったヒト達の想いがあることを無碍にしてはならないのです。待つことも戦いです。状況がわからぬまま、じっとその場にとどまっていることも戦いなのです。武力を持たない、あなたにできる最大の戦い方なのですよ」

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