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第182話
*まだ残虐表現あります
ケイレンは何度も瞬きをして階下の光景を見つめ直した。しかしどう見ても、今ハリスをいたぶっている者は襲撃者の格好をしているように見える。それは、すぐそこで倒れている襲撃者と同じ格好であることからも間違いないと思われた。だが、眼前にいる襲撃者はケイレン達のゴーグルを装着し、ハリスからのシンリキ操作を受けないように自衛しながら、ハリスを斬り刻んでいる。彼らの話し声はあまりに低く小さな声だったので、その内容はケイレンの耳には届かなかった。
「あああ、はあ、あああ、やめ、やめて、くれ‥」
身体のあちこちを斬り刻まれ、どんどんと体内の血液と力素が失われつつあるのを感じたハリスは、普段の彼とも思えぬような情けない懇願の声を出した。生まれてこの方、「やめてくれ」などと言ったことのないハリスだったのだ。
ハリスは、生まれて初めての「恐怖」を味わっていた。これまでハリスにとって世の中というのは全て自分のために用意された舞台であって、自分にあだなす者は排除されて然るべきものであったのだ。
ツレウェは冷たい声で哄笑した。
「ナーヴのこと、‥覚えていないでしょうね。私たちの名前など、お前にとっては意味のないものだろうから。ナーヴは、やめてくれなどとはきっと言えなかった。‥言わなかったでしょうが」
そう言うと床に転がっているハリスの膝の裏に、片手剣をぐさりと突き立てた。
「ぐああああああああ!」
片手剣は床にまで貫通させられているようだ。ハリスは自分の膝の皿の骨が砕けた音を聞いた。激痛で喉が引き攣り、もう声もうまく出せないし身動きもままならない。
ケイレンは、あまりにも凄惨なその光景に、声も出せずに立ちすくんでいた。
するとイシュラが、ふと階段上にいるケイレンの方に視線をやった。思わず手にしていた大剣を掴み直すケイレンを認めて、イシュラはゆっくりと階段を上がってきた。
そしてケイレンの前まで来ると、ゴーグルを額にあげ、口元を覆っていた覆面を引き下げ、その顔を露わにした。
「ケイレンさん、とお見受けします」
「あ、ああ‥」
毒気を抜かれたケイレンが思わず返事をすると、イシュラは軽く頭を下げた。
「闇陰諜報部隊、副長のイシュラと申します。ここには、このゴーグルを貸していただくために、ハリスの命に従うふりをしてやってきました」
「従う、ふり‥?」
イシュラはこくりと頷いてみせた。
「私たちが敬愛していた首領‥隊長が、ハリスを庇って死にました。そういう任務ですし、私たちはそこに恨みはありません。‥ただ、あの者を庇って死に、その任を全うしたにもかかわらず、ハリスは‥‥隊長を侮辱した。蔑んだ。貶めた。
‥‥私たちにはなにもありません。人並みの幸せも、日の当たる世界も。その代わり、闇の世界での名誉を重んじるのです」
何も言葉を見いだせず、ただじっと立っていることしかできないケイレンに、イシュラは丁寧に説明していった。
「闇の、裏の世界での集まりで、ハリスは隊長の死を、笑いものにした。隊長自身を貶め、闇陰諜報部隊の名を貶めた‥‥私たちはそれが許せなかった」
イシュラはそこまで言うと、階下に目を落とした。そこには、呻き転がるハリスを容赦なく何度も蹴り飛ばしているツレウェの姿があった。
「‥‥あの者は、もうすぐ伴侶を得て、この世界から退くはずの者でした。しかし、理由なくその伴侶を殺された。戦いの場に駆り出されての死でなく、ただ利用するために殺されたのです」
執拗にハリスをいたぶっているその姿に、ケイレンは確かにおぞましさを感じていたのだが、その説明を聞いたあとではなぜだかツレウェが全身で慟哭しているように見えてくる。
イシュラは腰袋から何かが入っているらしき小袋を取り出し、ケイレンに差し出した。
「ハリスを謀るためとはいえ、外にいる方も含めてあなた方のお仲間を傷つけました。‥ただ使用した毒は後を引かない麻痺毒です。こちらが解毒薬になりますので、お使いください」
ケイレンは信用して受け取っていいものかどうか、迷いながらそろりと手を出そうとした。その迷いを見抜いたかのように、「ああ、」とイシュラは言った。
「これが毒ではない証拠に、私が毒見をしましょうか」
そう言うと小袋を広げ、中身をケイレンに見せてから半透明の粒を無造作に一つ、自分の口に放り込んだ。
「‥わかった。仲間に飲ませる。‥そこのお前の仲間は少々重傷のようだぞ。俺達は全力で戦ったからな」
「ああ、ありがとうございます、大丈夫です」
イシュラはそう言うと、つかつかと床に転がっている諜報員に近づき、何やらの水薬を飲ませた。
「‥万能薬か」
イシュラはケイレンの方を見て、薄く笑った。
「私たちの雇い主‥‥いえ、元雇い主と言いましょうか。あのヒトにはもう必要のないものですからね」
そこから、呻き声を上げ全身を小刻みに震わせているハリスはそのままにして、それぞれ傷ついた味方の治療に当たった。解毒薬は効果が高く、カムレもサラクもすぐに意識を取り戻した。二人ともこれといった傷は負っていなかったのは、多少なりとも相手が致命傷を与えないように配慮をしていたからなのだろう、ということがその様子からもわかった。
反対に、全力で警護者たちに当たってこられた諜報員たちの方はなかなかの重傷だったが、イシュラが潤沢に様々な治療薬を持っていたおかげで、みな自力で動けるまでには回復できていた。
その頃になると物音が静まったことでハリスを仕留めた、と悟った諜報員と、あまりに静かなことに不審を感じたサイリも玄関ホールに出てきて合流した。そして、何とも言えないこの事件の顛末を聞いていた。
後は、無様に小さな呻き声を上げながら転がっているハリスをどうするか、という問題である。
イシュラとツレウェのいたぶり方から見て、今すぐ殺そうという明確な意志は感じられなかった。だからケイレンは率直に訊いてみた。
「ハリスのことは‥どうするつもりなんだ?」
イシュラは、ふ、と口の端を上げた。
「‥さあ‥どうしましょうか。簡単に殺す気はありませんのでしばらくは生かしておくつもりですが‥ここに置いておくのは邪魔でしょうから、どうにかして運ばせねばなりませんね」
ぜえぜえと喉が鳴るような喘鳴音を出し、傷だらけ、痣だらけの身体を小刻みに震わせているハリスは、かつてケイレンが知っていたハリスとはもう全くの別人に見えた。
ちらりと二人がハリスに目を落とした時、玄関だったところからこの場にそぐわない頓狂な声が響いた。
「派手に爆破したものだな!この火薬は、アマス火薬か?いや毒性を感じないな!ソイル鉱か?」
そんなことを大声で話しながら近づいてきたのは、中肉中背のヨーリキシャだった。
イシュラはわずかに顔を歪ませて、「グンデ‥!」と呟いた。
グンデはずかずかと何にも怯むことなく屋敷内に入ってきて、ぐるりと辺りを見渡すと戦闘中でもないその様子に
「どういうことだ?」
と首をかしげた。
その、グンデがかしげた視線の先に、小さく呻きながら床の上で血まみれになっているハリスの姿があった。
「あーーーー!ハリス!もったいない、力素が減ってる!」
グンデはそう言うなり、床に転がっているハリスめがけて何かを投げた。
ブシュ、という音を立ててハリスの身体に突き立った小さな刺剣のようなものは、瞬く間にしゅうしゅうという音を立ててその色を金色に変えていく。
それと同時に、呻いていたハリスの声がどんどんと小さくなった。
ハリスから絶えず聞こえていた喘鳴音がぱったりと止んだとき、剣のようなものはひときわ強く金色に光った。
何が起こったのかさっぱりわからない一同は、呆気に取られてグンデの行動を見ていた。グンデはすたすたとハリスの身体に近づき、ひょいとその剣のようなものを抜いた。
「おお!さすがにたっぷりだ、色も濃い!これなら‥」
ぶつぶつとそんな独り言を言いながら、腰袋から硝子瓶らしきものを取り出し、金色に光る剣のようなものをその口に突っ込んだ。
金色のふわふわとした光が吸い込まれるように硝子瓶の中に混じっていく。剣のようなものが無色になったとき、グンデはそれをぽいと放り投げて硝子瓶を慎重に振った。すると、ガラス瓶の中にあった液体が見る見るうちに美しい紫紅色に変化していった。
グンデはそれを見て飛び上がって喜んだ。
「うわあああ、やっぱりそうだ!!シンリキだったんだ!うわああできたできた!精神操作洗脳性交剤 ができたぞぉぉ!」
飛び上がって喜んでいるグンデの背後へ、気配を殺したサイリが近寄っていることに、そこにいる者達はまだ気づいていなかった。
サイリは硝子瓶を振りかざしながら喜んでいるグンデを、背中から思い切り片手剣で突き通した。
ガシャン、という音と共に、硝子瓶が落ちて割れ、中身が床に広がっていった。床に落ちた水薬は紫紅色ではなくなり、白いタイルの上で黒灰色に変じていた。
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