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第183話

驚いた表情のまま床に倒れ、どくどくと赤い血を流しているグンデの首に手を当てて絶命していることを確認したサイリは、血振りをしてから片手剣を鞘に納めた。 「‥この者は、カルカロア王国から手配の回っているお尋ね者だ。その命を奪うことが一番の目的であったため、王命を受けていた私が成敗した。この者が、どこで研究を行っていたか知っているか?」 普段、あまり聞かないようなきびきびとした口調で、そう説明しながらそこにいる一同を見回したサイリに、足の腱を切られた襲撃者が返事をした。 「それなら、イェライシェン辺縁部にある、村はずれの森番小屋だ‥イシュラ様」 イシュラはこくりと頷いてみせた。 「必要とあらば、後日案内させよう」 サイリはイシュラの方を向いて言った。 「後日、ではなく今日中、遅くとも明日朝までには案内してもらいたい。この者が行っていた研究は、それがいかなるものであろうとも今の世の中には害をなすものだと王国は判断している。可及的速やかにそのすべてを焼却処分したいのでな」 イシュラはサイリの方を向いて言った。 「‥ではその代わりに、我らをカルカロア王国に入国させてもらえるか。できれば国民票もいただけると助かる。仕事などはこちらで勝手に探す」 サイリは眉を顰めた。 「我が王国は、暗殺者部隊を抱える予定はない」 その固い言葉を聞いたイシュラは、ふっと笑みをこぼした。 「‥心配せずとも、カルカロアでの国民票がもらえるならば我らとて真っ当に働くさ‥我らはみな、どこの国にも登録のない流浪の民(はぐれもの)だからな」 イシュラの静かな言葉を聞いて、諜報部員たちは少し肩を落としたように見えた。サイリはそれを見て、天を仰ぎ軽く息を吐いた。 「‥すぐに鳥を飛ばすが、王都カルロまでの距離は遠い。何度か中継地を経由するから返事がくるまでに時間がかかる。 だが、グンデの研究は一日たりとも長くこの世に置くわけにはいかないものに違いない。‥そちらの要求に対する確約はできぬが、できれば先に研究室を教えてもらいたい」 イシュラは、サイリの言葉を聞いてほんの少し思案するそぶりを見せた。が、割合すぐに頷いてみせた。 「‥わかった。キュイザ、歩けるか。案内してやれ」 キュイザと呼ばれた諜報員は腕を胸に当てて頭を下げた。それを見たサイリはケイレンの方を見る。 「ケイレン、馬を借りたい。辺縁だというからには、ここから結構距離もあると思うからさ。いいかな?」 「それは構わないが‥」 ケイレンは先ほどの凄惨な光景を思い出すと、サイリをこの怪しげな者たちに任せても大丈夫なのか、と不安を覚えた。その不安を察したのか、サイリはにやりと笑ってみせた。 「大丈夫、心配いらないよ。これでもけっこう修羅場はくぐってきてるからね」 ジュセルとキャスルが隠し部屋から出られた時には、既に諜報員たちの姿はなかった。玄関ホールに転がされたままのハリス、グンデの死体には布がかけられ、知らせを受けた市中警備隊が何人も玄関ホールにやってきている状態だった。その内、国軍の方からも責任者がやってくるということで、ケイレンの屋敷は大勢のヒトでごった返していた。 その日の深夜になってようやく、遺体が引き上げられ、警護隊の面々も帰っていった。また後日何やらの口書きを取られるかもしれないが、とりあえず明日一日はゆっくりさせてくれる、ということだった。 サイリは結局その日のうちには帰ってこなかった。思ったよりもかなり遠方に研究室があったことと、意外にグンデが村の人々に溶け込んでいたことで村人への説明も求められたからだ、と鳥が飛んできていた。 その他にもサイリは、様々な後処理で相当に忙しいらしく、あれから一度も屋敷に戻ってきていない。夜になってから帰ってきたスルジャと、どこからか報せを聞いたのか夜遅くに戻ったアニスとで、屋敷の中には四人しかいなかった。警護者がいないのが久しぶりで、しんと静まり返った屋敷内はなんだか居心地の悪ささえ感じさせた。 疲れた時こそしっかり食べないと、と謎の使命感に駆られたジュセルが、寝かせておいた熟成肉を使って豪快な「焼肉定食」を作って出した。ジュセルとケイレンだけは、炊き上げたコモ、アニスとスルジャにはコモ(エン)と組み合わせて出された肉の炒め物は、香味野菜と共に甘辛く味付けされており、炊いたコモやコモ(エン)によく絡んでうまかった。カッソの出汁で作られた汁物も優しい味わいで、強い味付けの炒め物によく合った。 一同は、「うまい」「美味しい」「お替わり」以外の言葉はほとんど発せずに食事を終えた。 襲撃のさなかに何が起こったか、については、ケイレンがジュセルを二階の主寝室に連れて行ってから話してくれた。まさかの土壇場での造反劇を聞いて、ジュセルも絶句した。 「‥‥ヒトを軽く扱っていると‥その報いが来る、っていう典型的な例だな‥」 ケイレンも深く息をつきながら応えた。 「‥ハリスがあの襲撃者たちにいたぶられているのを見たときには、血が凍るような思いだったよ。あれだけ困らされ、酷い目に遭わされた相手だというのにな‥」 ケイレンが淹れてくれたジュセルの「鎮静」効果のあるお茶を飲みながら、二人は黙り込んだ。 この半年余りの騒動に、ようやく決着がついた、という実感が、まだ二人にはなかった。 「‥パルシン、って、結局何の薬だったんだろう‥?」 ふとジュセルがそう呟くと、ケイレンも首をひねった。 「俺も聞いたことのない名前だから、どんなものかはわからないが‥いずれにせよハリスの依頼で作られていたものなら、碌なもんじゃないんだろうよ。だから、サイリはすぐにでもその研究を闇に葬るために、出かけていったんだと思う」 「そう、だね‥わからない方がいいのかも‥」 科学技術が進み、様々な殺傷能力のある武器や化学兵器が生み出されていた前世の世界のことを思う。本当ならこうやって、無理にでも闇に葬られた方がいいものもあったんだろう。だが、それのもたらす効果や利益に目がくらんだものたちが、それを生み出し利用することをやめなかったから、あの世界はあんなことになってしまっているのだ、とジュセルは思いを馳せた。 「ハリスが死んだ‥?」 ザイダはヤーレから飛んできた速信鳥紙を見て思わず声を上げた。そこにはなるべく早く知らせるためにか、ごく簡単なことの経緯しか記されていなかった。市中警備隊にも知らせてあると書いてあるから、そちらからの連絡もそのうち来るだろう。おそらくそこで詳細な報告が聞けるに違いない。 速信鳥紙をぎゅっと握りしめ、額に当てたまま机に肘をついた。落命したのはハリスと、カルカロア王国から手配書が回っていたグンデとかいうヨーリキシャ二名だけだったとある。ハリスには様々に裏社会の手蔓があったと思われるのに、こんなに簡単にやられてしまったということがザイダには腑に落ちなかった。 しかし、いずれにせよハリスが死んだことには間違いないのだろう。 幼い頃からヒトを睥睨するようにして、いつも口元に薄笑いを浮かべていたハリスの顔を思い出す。どこかで、ハリスの性根を矯正できる場面はあったのだろうか。生まれながらの悪人がいるとは思いたくないが、ハリスに関してはどこかで矯正の機会があったとはどうしても思えない。 それでも、できれば同じカラッセ族である自分の手で、引導を渡してやりたかった。 そして、お前は一体何を欲していたのかと、問い質してみたかった。 だが、もはやその機会は永遠に訪れない。 ザイダは長いため息をつくと、机の上の小さな鐘を鳴らしヒトを呼んだ。 ハリスの(シンシャ)である、ゼーダにもこの知らせをせねばならない、と考えたからだった。 明日は、長い一日になりそうだ、と思ったザイダは、やってきた事務員に強めの酒も一緒に持ってきてくれるように頼んだ。 抑制腕輪を解錠して逃亡していたシンリキシャが、捕まって死亡した、という知らせは、翌日の昼頃にはイェライシェンに住む人々の耳にも入っていた。 情報の伝達手段が限られるこの世界(トワ)で、様々な事件、事象などが一般庶民に伝わるのには、口から口への噂話か、幾つかの新聞社が発行している新聞によるものかしかない。新聞と言っても、前世のように毎日発行されるわけではなく、大きな事件や事故などが起きたときに発行されることがほとんどだった。 それで新聞社の経営がやっていけるのか、と思われそうだが、普段は街の中のちょっとした情報や求人、他国や他大陸の情報などを乗せる「情報誌」としての役割を担ったものを発行している。中にはちょっとした読み物や、街の有名人への取材など多岐にわたる内容が盛り込まれていることが多い。 娯楽の少ないこの世界(トワ)の庶民にとって、安価に色々な情報が得られる新聞は楽しみの一つでもあり、様々な「新聞」が都市部では発行され、それぞれによく売れていた。 だからこそ、事件、事故などが起きた時に発行される「特別新聞」は、凄まじい売り上げを上げる。ヒトによっては複数の新聞を買う者もいるので、どの新聞社も「特別新聞」の売り上げはよかった。 つまり、「特別新聞」が発行されればたちまちにイェライシェンの市民にはその内容が広まる、という仕組みができていたのだ。 どの新聞社も正確さを期すため、様々な関係者に取材をして紙面を作成する。どういった関係者の人脈を持っているか、は新聞社で働く者達にとって非常に大事なものだった。 だが、今回どの関係者からも、ハリスが「どこで」「誰に」仕留められたのか、ということは徹底的に伏せるよう緘口令が出されていた。これでは盛り上がる紙面は作れない。 そこで代わりのように共に大きく報じられたのが、グンデについてだった。カルカロア王国から逃げてきた天才でありながらも人格破綻者であるヨーリキシャの記事は、人々の興味を引いた。各新聞社の記者たちは、紙面を見ながら歓声を上げて騒いでいる市民たちの姿を見て、ほっと胸をなでおろしていた。

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