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第184話

*残り五話で完結です。 一方、その発行された各社の新聞を見て胸をなでおろしていたのは、ジュセルやケイレンも同じだった。せっかくハリスという魔の手から逃れられたというのに、人々の興味を変にひきたくはない。それでなくとも「ティーバッグ」の売り上げが好調で、問い合わせも請負人協会(カッスラーレ)を通じてたくさんもらっているジュセルは、これ以上の騒動は勘弁してもらいたいという気持ちだった。 ジュセルの(シンシャ)下子(きょうだい)である一つ実(ふたご)たちは、ハリスの問題が片付いたこともあって、既に自宅へ戻っていた。さらにアニスも、もうジュセルに護衛がいらないとなってからは屋敷から引きあげ、別の場所で暮らすことにしたようだった。「落ち着いたら知らせるよ」という曖昧なアニスの微笑みに、ジュセルは多くを尋ねることができず送り出したのだったが。 だから今、ケイレンの屋敷で暮らしているのは、ケイレンとジュセル、そしてスルジャだけだった。スルジャは、ジュセルの問題が解決した後もここに住み続けたいと言ってきかなかったのだ。 「だってあたしもうジュセルに甘やかされちゃったんだもん!他のご飯だけじゃ生きてけないんだもん!ジュセルのご飯食べられないんだったら楽しみなんかないんだよぉぉぉ」 といっておいおい噓泣きを続けるスルジャに、ケイレンもジュセルも呆れて何も言えなかったのだ。それをいいことに、スルジャはすっかりこの屋敷の住人となり、請負人協会(カッスラーレ)への通勤もここから乗り合い機工車を使って行っていた。 警備隊からの事情聴取も終わり、せっせと「ティーバッグ」の作成に精を出しつつ屋敷の家事をする日々を送っていたジュセルのところに、予告もなくカズリエがケイレンの屋敷にやってきたのは、ハリスが死亡してから十日余りが過ぎた頃だった。 その日は、退異師の仕事でケイレンも留守にしており、屋敷にはジュセルしかいなかった。カズリエがいつも通りジュセルに菓子をねだってくる。仕方なく、作り置きしていたサブレと朝食で余っていたパルトを使ってフレンチトーストもどきを作って出せば、ものも言わずにひと息に平らげてみせた。 相当な量だったのだが、それを平らげてもけろりとして茶を飲んでいるカズリエに、ジュセルは恐る恐る問いかけた。 「お腹大丈夫ですか‥?」 「は?なんで?大丈夫だけど?‥‥ああ、食べ過ぎの心配してんの?あっはっは、あたしは今食べたのと同じくらいの分量をあと三回は食べられるわよ」 乳酪(バター)堅果(ナッツ)がたっぷり入っている重いサブレを、全て綺麗に食べつくしたカズリエはけろりとそう言ってのけた。 机にあるものを全て腹におさめたカズリエは、居住まいを正すと真っ直ぐジュセルの顔を見つめてきた。ジュセルもカズリエのその迫力に押されて、思わず背筋が伸びる。 しかし、次の瞬間、ジュセルの目に飛び込んできたのは、長椅子の上で深々と膝に額がつくほど頭を下げているカズリエの姿だった。 「ジュセル、ごめんなさい。‥‥もう、あたしたちだけでは、あんたを守り切れないの」 ジュセルは、手に持ったままの盆を固く握りしめながら、黙ってカズリエのつむじを見つめていた。‥どういうことなのか? カズリエはしばらく頭を下げたままでいたが、ゆっくりと頭を上げて姿勢を正した。 「‥力素回復薬のことよ。ハリスが死んで喫緊の脅威がなくなったせいか、あれは今どうなっているんだって話が国軍の方から上がってるの。‥製作者は死んだってことで報告を出していたんだけど‥‥」 ジュセルはこんなに、真剣な、そして悲痛なカズリエの表情を目にしたことがなかった。ごくりと喉を鳴らし、黙ってその話の続きを待った。 「偽物の製作者の死亡届を出して、死体も用意してたんだけど‥どうも、その死体と国民登録とが合致しないことがあっちに判明しちゃったみたいで‥実際の製作者は誰なんだって厳しく問い詰められてる状態なの」 「‥‥‥俺、が‥名乗り出ないと、いけない‥状況ですか‥?」 からからに乾いた唇から、ジュセルはようやくそれだけの言葉を絞り出した。カズリエは頭を横に振った。 「そうさせないために、色々と手蔓を辿ってるところよ。‥今も請負人協会(カッスラーレ)本部に国軍の将校が押しかけてきててね。事務員をあたしに見えるよう暗示をかけてここにきてるってわけなの」 ジュセルは、盆を握ったまま震えている手をもう片方の手でぐっと抑え込んだ。 「俺は、何を‥どうすればいいんですか?‥‥守り切れない、ということは‥国軍に連行、されて、回復薬を作らされる‥?」 「断じてそんなことはさせないわ」 カズリエは力強くそう言った。 「まだ、ジュセルにまでは辿り着いていないから、もう少し猶予がある。でもそんなに余裕はないの。よくあたしの話を聞いてちょうだい」 ジュセルはこくりと頷いた。 「サイリを通じてのことだったから、うまく行ったんだけど‥」 そう前置きをしながらカズリエは話してくれた。 「ジュセルはもう、この国にいない方がいいと思うわ。できれば百年くらいは帰ってこない方がいいわね」 大きく目を見開いたジュセルは、驚きで声も出ない。ハリスに狙われているときにもそのような話が出たことhがあったが、今一つ現実的には受け止めきれていなかったのだ。 「具体的には、隣国のカルカロア王国に亡命という形にしようと思ってる。国民票‥サッカンで言うところの国民登録もしてくれるそうよ」 「カルカロア、王国‥」 この世界(トワ)で暮らす人々は、ほとんど長距離の移動をすることはない。職業に伴う移動以外には、子果清殿に子果をいただきに行く旅か、ごく近郊療養地や景勝地に行くくらいしかしないものなのだ。 それなのに、いきなり亡命。‥亡命、ということは、もうサッカン十二部族国に戻ってくる可能性はほぼない、ということだ。 「か、家族‥俺の(シンシャ)下子(きょうだい)たちは‥」 「‥ごめんなさい、そこまで移動させられるほどの余裕がないの」 ケイレンは。 ケイレンは請負人(カッスル)でもあるが、二位退異師でもある。退異師は余程の事情がない限り簡単に出国はできないように決められている。 ケイレンと、会えなくなるのか。 もう、二度と。ケイレンと会えない。 ジュセルの青い瞳にみるみる涙が盛り上がってきた。それを見たカズリエは席を立って、ジュセルの横に移動してきて座り、精いっぱい手を伸ばしてジュセルの頭を撫でた。 「心配しないで。‥ご家族を移動させられない分、黒剣はあんたについて行かせるつもりだから」 ジュセルは涙が零れるのも構わず、ばっと顔を上げた。カズリエが見たこともないような優しい顔をしている。 「で、でも、ケイレンは退異師なのに‥簡単には出国できないんじゃないんですか‥?」 「だからティルガに頼んでおいたのよ」 そう言って腰袋からカズリエが取り出したのは、薄青色の二枚の紙だった。大きさは手のひらほどだが、何やら文様が記されており、ほんのりと蒼く発光している。 カズリエは、震える手で盆を握りしめていたジュセルの掌をほどいて盆を取り上げると、そこに二枚の紙を握らせた。 「転移紙よ。ティルガに無理を言って作るのに協力してもらったの。これがあれば国境は関係ないわ。かなり遠いところに転移の座標を登録してもらったから、転移後は地獄のように気分が悪くなると思うけど」 転移紙、というものの存在自体を知らなかったジュセルは、きょとんとして握らされた紙を見つめた。不可思議な文様が細かく書かれており、その文様と紙自体がうっすらと薄青色に発光していて、見ているだけでも綺麗な代物だった。 「え、これって‥すごく、高い、貴重なもの、なんじゃ‥」 カズリエはニッと笑って答えた。 「ティルガは快くタダ働きしてくれたから、実費くらいしかかかってないわよ。またいつかティルガに会うことがあったらお礼を言っておくことね。まあ、ティルガ自体もジュセルに協力してやりたい気持ちがあったみたいよ。だから、短時間で作るのも引き受けてくれたみたいだし、ありがたく受け取っておけばいいのよ。使い方は多分黒剣が知ってると思うけど、一応説明しておくわね‥」 ひとしきり、転移紙の使い方と使う際の注意を話してから、カズリエはジュセルの肩をぽんと叩いた。 「私の一存で、黒剣と一緒に行けるように手配したんだけど‥よかったかしら?」 ジュセルは少し考えてから、こくりと頷いた。 今さら、ケイレンと離れて暮らすことなど考えられなかった。あの愛を受け止め、感じることに馴れてしまったら‥それなくして生きていくことなんて、無理だと思った。 しかし、自分がいなくなった後の家族の安否は、どうしても気になる。

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