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見放されたオメガ
オメガである己を律するため、律 と名づけられた。
下級オメガは、オメガの中でも発情期 が不安定で、いつ発情するかわからない。発情期じゃなくても複数のアルファに襲われやすく身内と番 う事故が一番多い。
だから物心がつく頃には両親から距離を置かれ、上級アルファの弟が生まれると見向きもされなくなった。
妹が生まれる頃には「おい」とか「おまえ」としか呼ばれなくなり、中学へ上がると僕の部屋は妹の部屋になって物置小屋へ追いやられた。
上級アルファの夫婦にとって僕は、邪魔な粗大ごみだったのだ。
授業参観に顔を出したことは一度もない。運動会の日に僕だけ除 け者 。遠足でもお弁当を作ってもらえない。
誕生日やクリスマスにプレゼントはなく、家族が出かけるときは、いつも留守番を任された。
学校の子どもたちや保護者も触らぬ神に祟 りなしで遠巻きにし、教師も両親の顔色を伺って一切口出ししない。
拠り所は――お父さんの生みの親だけど、オメガだからアルファのおばあちゃんの愛人として囲われていた――上級オメガのおじいちゃんだけ。
優しいおじいちゃんは、いつも僕の面倒を見てくれて愛情を注いでくれた。
『律、辛いことがあったら、お稲荷さんにお話しするんだぞ』
『お寿司の?』
『違う、違う。狐を従えた神様だ』
おじいちゃんは子どもの僕の手を引いて、石でできた階段を上っていく。
『お稲荷さんは、商売に衣食住、縁結び、なんでも願いを叶 えてくれる』
『ふーん、すごいね』
話の内容がピンと来ない僕は適当に相 槌 を打った。
おじいちゃんは前を向いたまま『ああ、そうさ』と快活に笑う。『じいちゃんはな、律が笑っていると胸が温かくなって、とても幸せな気持ちになれるんだ』
『僕も! おじいちゃん、大好き。ずっと側にいてね』
『それはできないな。いずれ、お迎えが来るから』
『お迎えってタクシー? だったら運転手さんに遅く来てもらわなくちゃ』
『そうさな。……律、悲しいときは、この神社へ来るんだよ。苦しく、辛いことがあっても投げやりにしない。じいちゃんとの約束だ』
『うん!』
大好きなおじいちゃんは、僕が中学を卒業した春に旅立った。
おじいちゃんが褒めてくれた料理を作る仕事につき、高校卒業後は正社員として真面目にコツコツ働いた。
両親や兄弟の元を去り、オンボロアパートで暮らす生活は静かで平和だったのに……両親の手で壊されてしまったのだ。
「五億ですか?」
「そっ、おまえの両親がこさえた借金」
龍の入れ墨を腕に入れた男が黒いジッポのライターを使ってタバコの火をつける。
名前も知らないジャズに耳を傾けながら味のしないアイスコーヒーをカラカラに渇いた喉 へ流し込んだ。
紫煙をくゆらせ、男が微笑する。
「親父さんは新規事業を行おうとして失敗した。傲 慢 な性格で金遣いも荒い。銀行の融資や資金援助を得られず、闇 金 に手をつけたんだ」
「だとしても僕には関係ありません。家族とは、すでに縁を切っていますから」
「それはどうかな」
サングラス越しに男は、猫のように目を細めた。黒革の鞄 から白い紙を取り出し、机の上に載せる。
妙な胸騒ぎを覚えながら紙を手に取り、目を落とす。そこには、両親の借金を長男である僕が肩代わりする内容が書かれ、署名捺 印 があった。
「おまえの親は、サインを済ませるなり、大切な子どもを連れて海外へ高飛びした。だから金を払うのは、おまえの役目だ」
「は?」
頬 や口元の筋肉が引きつるのを感じながら男の顔を凝視する。
「でしたら一ヵ月ごとに決まった額をお支払いします」
「悠長だなあ。利子が発生するんだぞ」
「俺らが棺 桶 に入るのを待って踏み倒すの?」
「違いますよ。調理師として昇給し、いただいたボーナスも払います」
「自分の立場がわかってねえな」
背の高い、中級アルファである男に顔を覗 き込まれる。
ニコチンと腐った食べ物のようなフェロモンに鼻が曲がりそうだ。
「おまえに残された道はふたつ。臓器を売るか、風俗で働くかだ」
男たちが下卑た笑みを浮かべる。
「親に売られてヤクザの商売道具になったんだよ。痛い思いをしたくなきゃアルファの男どもに尻 尾 を振るんだな。どっちを取るか決まったら連絡をくれ。会計は俺が済ませとく。お祝い金代わりだ」
「赤ん坊ができても安心しろよ。堕胎のうまい産婦人科を紹介するぜ」
「慣れたら俺らにサービスしろよ。全身ザーメンまみれにしてやるからさ!」
そうして男たちのバカ笑いが聞こえ、ベルの小さな音が鳴り、木製のドアがバタンと閉まった。
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