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思い出したいのに思い出せないこと1

 瞬間、背中から頭部にかけて電流が走る。  僕は天さんの肩に額を押しつけ、熱い息を吐いた。  ――発情期だ。  いつもは腹の奥が(うず)き、グルグルと熱がこもって身体の中で暴れ狂っているような――脳みそがドロドロに溶かされて我も忘れてしまいそうな苦痛を伴う衝動じゃない。  温かいお湯に浸かっているみたいに心地いい。  天さんのすべてに触りたい、あの大きな手でいっぱい触ってほしいと懇願したくなる。  僕の頭は目の前の彼を「怪しい人物。信用すべきじゃない」と警戒しているのに、本能は、彼が魂の番であるアルファだと確信している。   「このレモンのにおい……」  天さんは僕の両腕を掴み、僕を引き()がした。 「待ってろよ。あいつらに抑制剤を持ってくるよう頼んでオレも抑制剤を飲んでくる。絶対に、ここから出るんじゃねえぞ」 「天さん……待ってください」 「なんだ、巣作りしたいのか?」と彼は、とんちんかんな回答をする。「ここはオレんちじゃねえんだ。悪いけど、これで我慢してくれよ」  そうして灰色の背広をつっけんどんに渡してきた。  彼のフェロモンがたっぷりついた、温もりのある上着を受け取って、肺いっぱいに香りを吸い込むと、木陰でまどろんでいるような気分になる。  でも、僕が今、本当に求めているものじゃない。 「うわっ!」  踵を返し、部屋を出ていこうとする彼の背中へ抱きつく。  身体に巻きつけていた毛布と腕の中にあった背広の上着がカーペットの敷かれた床に落ちていった。 「どうした、律!? ……いってぇ!」  背伸びをし、振り返った彼の唇へキスをしようと思ったら、彼の顎へ歯を強打したのだ。  痛みに悶絶し、その場でうずくまっていたら、「おい、大丈夫か!?」と左肩を揺さぶられる。 「……行かないでください」 「あ? なんだって」  顔をおもむろに上げて眉を八の字にしている天さんを見据える。 「僕はあなたも、この世界のことも何も知りません。だけど、あなたは僕を知ってる。警察の人たちに名乗ってないし、名前を書いたメモを肌見離さず持っていたのに『律』って名前で呼びました」  息を詰めた彼は視線をさまよわせてから作り笑いをした。 「それはオレの妖力のおかげさ。狐妖怪は修行をしていくうちに強い力を持つようになるんだ。神通力なんかも」  じっとり汗ばみ、熱を持った一回り大きな手を握る。嫌悪感を感じるどころか、まるで誂えたみたいにピッタリ馴染んだ。  この手を知っていると直感が告げる。 「ごまかさないでください」 「おい、律」 「あなたと僕は、以前どこかで会っているんですね?」  おじいちゃんが連れていってくれた稲荷神社。  そこで誰かと会っていたんだ。それなのに――「どうして何も思い出せないんでしょう」  辛いものを食べたときのように鼻の奥がツンとして涙が滲む。  何もない真っ暗闇の中へ、ひとり放り出され、跡形もなく消えてしまいそうで心細くなる。 「泣くな」  手を握り返され、視線を上げると彼の整った顔が近づき、やわらかく弾力のあるものが唇に触れた。  研修中、身体を弄られてもキスはしなかったから、これが初めてのはず。  だけど、この感触を何度も味わった気がするのは、気のせいじゃない。 「会えねえ間も、家族からひどいことをされて泣いたり、ほかのやつらにひでえことをされてんじゃねえかって心配で、けど手も届かねえくらい遠くにいて見守ることも、助けることもできなくて歯痒かった。  だから『今日も律が笑顔で過ごせるように』って祈って、もう一度、おまえと会える日が一日も早く来るように努力したんだ。結局、今日までかかっちまって、おまえにつらく、苦しい思いをさせちまったな……悪かった」 「いいんです。今、一緒にいられるから」  気づいたら、そんな言葉が自然と口をついて出ていた。 「思い出したのか?」 「いえ、何も」とゆるく、かぶりを振る。「でも僕の本能が、天さんは敵じゃないって教えてくれます。それに……あなたと同じように『側にいたい』って思うんです」  恐る恐る顔を近づけて、先ほどと同じ失敗をしないように気をつけたら、今度はちゃんと天さんの唇に触れられた。  互いの視線が交差し、どちらからともなく口づける。  手を重ね、唇を触れ合わせているだけで、頭の芯が解けてしまいそうなくらい心地いい。雲の上にいるみたいに、ふわふわする。  この時間が永遠に続けばいいのにって思う。  唇が離れると天さんは――眉間にしわを刻み込み、鬼のような形相をしていた。  どうして、そんな顔をするんだろうと困惑していたら、手を引かれて出入り口の横にある扉のところまで連れていかれる。  ドアを開くと、そこには大きな鏡と清潔感の漂う白い洗面所、トイレに繋がっているだろう木製のドア、そして透明なガラスで隔たれたバスルームがあった。 「脱げよ」 「へっ?」 「それ、てめえが好きで着たもんじゃねえだろ」  そうだ。オメガとして保護してもらったものの、着ているのは風俗店で渡されたベビードールのままだった。  思い出した途端に猛烈な恥ずかしさと気まずさが襲い、さあっと血の気が引く。 「すみません、不快な姿でお目汚しして」

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