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 頭を下げたまま、視線だけでそっと相手を窺う。  短い黒髪をうしろへ撫で付けた彫りの深い横顔には、気品と傲岸不遜が入り混じっていた。正面に向いたままの視線は自分以外のあらゆる者を見下して憚らないさまが見てとれる。  上背のある身体に纏う濃い臙脂色の豪華なローブには、王都の北西ドレーヌ領を治めるドレンヌ公の家紋が入っていた。  イテュール王国第一王女の夫、ドレンヌ公ニコラウスだ。 「それが件の者か?」 「は。仰せのとおりにございます」  ニコラウスの質問に案内役が答える。 「ふん、淫売め」  ニコラウスははっきりと蔑みの言葉を口にした。  さらに続けて、 「カシウス殿下にも困ったものだ。アルファでありながら平民のオメガひとり御せぬとは嘆かわしい。このようでは我が国の行く末も安泰とは言い難いな」  と、カシウスをも軽んじる発言をした。  まぁそれも一理あるな……と思いつつ、平民の身分ではここで口をきくことも許されるはずはなく、ジェレミーは黙ってやりすごす。 「あの世間知らずの王子が王位につくくらいなら、このニコラウスが即位するほうがどれだけ国のためになることか……それがわからぬほどにアーロン王も耄碌されたということかもしれんな、ははは!」  誰に憚ることなくそう言い放ち、ニコラウスは去っていった。  聞いているジェレミーのほうがひやりとするような発言だった。だが、その場にいる誰ひとり彼を諫める者はいない。  いや、諫められる者がいなかった、と言うべきなのか。  ニコラウスが去ってゆくのを見送りながら、ジェレミーはひと月ほどまえのことを思い出す。あのときのカシウスの視察は身内に尻を叩かれたからとウワサされていたが、その尻を叩いた張本人こそニコラウスだったのではなかろうか。  カシウスはようやく生まれた世継ぎの男子として身内に甘やかされまくっているという話だが、ニコラウス卿は身内といってもカシウスの義兄に当たる。血のつながりのある家族や親類とは視線が異なって当然だろう。  王家といっても一枚岩ではない。世界じゅうを見渡せば、複雑に絡み合った血筋やらしがらみやらで骨肉の争いをくりひろげる国とて珍しくないのだ。  このイテュール王国もおおむね平和だというだけで、確執のひとつやふたつあって当然ということだろう。  それにしても自分の存在が王子の義兄にまで知られているとは。  此度の件、予想以上に大事になっているのかもしれない。  ジェレミーはあらためて気を引き締める。

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