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オーブン7(理央)
雪広の膝の上に抱き寄せられたまま、理央は身を預けていた。
聞きたいこと、聞かれることが、あまりにも多すぎて、話はすぐにあちこちへ飛ぶ。二年分の空白を埋めるように、理央も必死だった。
気づけば、言葉ばかりが先に走り、息が追いつかなくなる。
それでも、雪広は嫌な顔ひとつしない。
静かに見つめ、時折ゆっくりと笑ってから、また、そっと唇を重ねてくる。
「聞く俺も、答える君も……まとまりがないな」
唇に触れたまま、低く呟く。
「だが……今は、それでいい。君のことが知りたい。どんなことでも、教えてくれ」
そう言って、自然に引き寄せられた。
言葉はそこで途切れ、理央はそのまま、腕の中に閉じ込められる。
顔を上げると、視線が合う。
どちらからともなく、ふっと笑った。
それから、また話し始める。
フランスでの修行のこと。
パンを作るときの温度や湿度。
失敗した夜と、うまく焼けた朝。
雪広の仕事の話や、理央の家のこと。
それと__フランスで、恋人はいなかったのかと聞かれた。
理央は、人生で初めてのことは、すべて雪広だったと、静かに答えた。
一瞬、間が落ちた。
雪広は、急に眉を顰め、何かを考え込むように視線を逸らす。
思い当たる節があったのだろう。
あのときの、ぎこちないセックス。
戸惑いと、遠慮と、必死さ。
あれは、初めてだった。
「………どうして、言わなかった」
低い声だった。
理央は、少しだけ肩をすくめる。
「……引かれると思ったから」
雪広を遠くで見ていた。
自分が焼いたブールだけを買ってくれる人。そんな人に惹かれていた。だから一度でいいから抱いて欲しかったと、伝える。
軽率で、後先がない幼い考えだ。
こんな考え方、雪広は嫌いなはず。
理央は言ってから後悔した。
嫌われてしまうかもしれないと。
だけど雪広は、ぎゅっと理央を抱きしめた。
「理央……君は…」
「雪広さん…?」
雪広は、膝の上で抱き抱えていた理央を、軽々と持ち上げた。腕の中に収まると、視界が一気に高くなる。
背の高い雪広に抱えられ、理央の目線はいつもより少し遠くなる。
それだけで、胸が落ち着かなくなった。
そのまま、ゆっくりとリビングを抜け、奥の部屋へ向かう。足取りは慎重で、揺れないように、乱れないようにと、まるで、壊れやすいものを扱うみたいにと感じる。
「ゆ……雪広さん……?」
抱えられたまま歩くのは、不安定で。思わず、理央は雪広の首元にしがみついた。
その仕草に、雪広は小さく息を吐く。
「……君が、こんなに軽いって、初めて知った」
低い声で、ぽつりと零れる。
「細すぎる。……正直、心配だ」
こぼれるような言葉だった。
理央はその言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。抱えられる腕が、さっきより少しだけ、確かに強くなっていた。
ドアが開く。
そこは、ベッドルームだった。
理央は、思わず息を吸い込む。
「……もう一度」
雪広が、静かに言う。
「知り合ったところから、やり直させてほしい」
雪広は、理央を抱いたまま、ベッドの縁に腰を下ろす。膝の上にいた体を、ゆっくりと腕の中で向き直した。
距離は、もう逃げ場がないほど近い。
視線が絡み、息が触れる。
「君を、教えてくれ」
低く、確かめるように。
「……君を失わないように。その隣に、いさせてくれ」
それ以上、言葉は重ねなかった。
音を立てないように、けれど迷いなく、理央を抱き上げ直し、そのままベッドの上へと降ろす。
シーツが、かすかに沈む。触れる指先も、距離の取り方も、すべてが優しい。
理央は、恥ずかしさに身をすくめそうになりながら、それでも視線を逸らせなかった。
雪広が、目の高さを合わせる。
「理央……」
名前を呼ぶ声は低く、落ち着いている。
けれど、その奥に、熱が滲んでいる。
「……触れてもいいか」
一呼吸置いてから、静かに続けた。
「キスして……このまま、君に触れても」
命令でも、当然の確認でもない。
選択を、理央に預ける問いかけだった。
その問いかけに、胸がいっぱいになる。
「……雪広さん……」
声が震れる。
嬉しくて、泣きそうだ。
好きな人が、こんなにも近くにいる。
それだけで、胸の奥がいっぱいになった。
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