13 / 24

第13話

 教室の時計を見上げながら、瑠生は頭の中で路線図を描いていた。  三時に学校が終わって、駅までダッシュ。乗り換えは二回、所要時間は三十分ちょっと。  よし。五時で終わる会社なら、間に合う。  出てくるまでビルの前で待つ……いや、受付の人に聞いた方が早いか。  時計の針が進むたびに、心臓が早馬のように駆けだしそうになる。  緊張で冷たくなった手を、瑠生は祈るように机の上で握り締めていた。 「じゃあ今日はここまで」  担任の声でホームルームが終わる。瑠生は誰よりも早く帰り支度を始めた。  すると、そこへ昇真がにこやかな顔で近づいてくる。 「何だよ昇真。いいことでもあったのか」  中学のときよりさらに背が伸びて、硬派に箔がついた親友を見上げながら言った。  剣道の推薦が早々に決まっていた昇真とは志望校が偶然同じで、親友として高校生活を満喫していた。 「なあ瑠生。今日って稽古ない日だろ? ラーメン食いに行こうぜ」  少し釣り上がった目を下げて、柴犬みたいにじゃれついてくる。 「あー、ごめん。今日は帰りにどうしても行くところがあるんだ。でも剣道は?」 「今日は臨時で休み。先生が出張で、三年は補習。で、休みになった」 「それでニコニコしてたのか」 「ソレダケジャナイケド……」  ゴニョゴニョと口の中で言うから、「何て?」と聞き返した。  それなのに「何でもない」と、ひょっとこみたいな顔で拗ねている。  強豪校の部活がない日は貴重だ。羽を伸ばしたいのもわかる。  瑠生は少しだけ、申し訳ない気持ちになった。 「ごめんな。マジで今日は無理なんだ。一緒に帰るの、久しぶりなのに悪い」  残念そうな昇真の顔を見ると、胸がちくりと痛む。  でも、今日は『最強の日』だ。今日、行っておかないと、また今度で引き伸ばせば決心が鈍る気がする。 「いいよ。また今度付き合ってくれよな」  いつもよりしおらしい雰囲気が気になったけれど、心の中で「ごめん」とつぶやき、瑠生はカバンを手に教室を出た。  予定通り乗り継ぎ、スマホを頼りにたどり着いたオフィスビルは、首が痛くなるような高さだ。  思わず口をぽかんと開けて見上げていると、ちょうど入り口から出てきたビジネスマンと目が合った。  わざとらしく咳払いをひとつして、ネクタイを締め直してみる。  ……本当に、来てしまった。  自分の心臓の音が、街の喧騒に紛れず耳のそばで響いている気がした。  しばらくの間、少し離れた場所で入り口を見ていたけれど、神楽が現れる気配はない。 「神楽さん、出てこないな。もしかして残業? いや、見逃してたりして?」  時間が経つごとに、焦りが胸の奥でじわじわと膨らんでいく。  中に入ってみようか──そう思った瞬間、足が勝手に動いた。  自動ドアのセンサーが反応して、静かに開く。瑠生はそっと足を忍ばせ、エントランスに入った。  神楽が勤める会社が五階にあるのは確認済み。  広々としたロビーに圧倒されながらも、エレベーターを探して数歩前へ進む。  視線の先に目的の場所を見つけ、駆け出そうとしたそのとき── 「君!」  背中から、鋭い声が飛んできた。  明らかに自分に向けられた、不審者をあしらう声音に今すぐ逃げたくなる。 「そこの君! 子どもが何の用だ。ここは学生が来るところじゃない。帰りなさい」  心臓に十万ボルトの電流を受けたように、足先から震えが走る。  恐々、後ろを振り返ると、今にも首根っこを掴んできそうな警備員が睨んでいた。  ……ヤ、ヤバい。  瑠生の頭に、警察に連れて行かれる自分の姿が浮かんだ。  走って逃げるか──  足裏に力を込めたとき、ふと、梅ちえたちの顔がよぎった。  エレベーターを見ると、ちょうど扉が開く一機が目に入った。  瑠生は警備員にペコリと頭を下げると、全速力で駆け出した。 「こら、君! 待ちなさい!」  追いかけてくる気配と怒声が怖い。でも、振り返った方がもっと怖い。  エレベーターの手前まで来たとき、扉はもう閉まりかけていた。  慌ててボタンを押す──けれど、無情にも扉は目の前で閉じてしまった。  他の箱を見上げると、どれも上の階で止まっている。  階段を探そうと振り返った瑠生の目に、凄まじい形相の警備員が飛び込んできた。 「どこへ行こうとしている。保護者に──いや、警察に連絡するぞ!」  がなりごえ声がエントランスに響く。 「け、警察! それはやめてください!」  警察に連絡なんかされたら、桔梗に迷惑がかかる。  バカだ、俺は。逃げないで受付の人にでも、ちゃんと話せばよかった。  後悔が胸を締めつけた、そのとき── 「あれ、瑠生君?」  名前を呼ばれて振り返ると、そこには驚いた顔の神楽がいた。 「……かぐら、さん」  ……よかった、神楽さんだ。  神楽が瑠生のもとへ駆け寄ると、警備員の前に立ちはだかった。 「この子、俺の知り合いなんです」  その一言で、張りつめていた全身の強ばりが一気にほどける。  振り返った神楽の笑顔にホッとすると、瑠生は全身の骨が抜かれたようにその場にへたり込んでしまった。

ともだちにシェアしよう!