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第13話
教室の時計を見上げながら、瑠生は頭の中で路線図を描いていた。
三時に学校が終わって、駅までダッシュ。乗り換えは二回、所要時間は三十分ちょっと。
よし。五時で終わる会社なら、間に合う。
出てくるまでビルの前で待つ……いや、受付の人に聞いた方が早いか。
時計の針が進むたびに、心臓が早馬のように駆けだしそうになる。
緊張で冷たくなった手を、瑠生は祈るように机の上で握り締めていた。
「じゃあ今日はここまで」
担任の声でホームルームが終わる。瑠生は誰よりも早く帰り支度を始めた。
すると、そこへ昇真がにこやかな顔で近づいてくる。
「何だよ昇真。いいことでもあったのか」
中学のときよりさらに背が伸びて、硬派に箔がついた親友を見上げながら言った。
剣道の推薦が早々に決まっていた昇真とは志望校が偶然同じで、親友として高校生活を満喫していた。
「なあ瑠生。今日って稽古ない日だろ? ラーメン食いに行こうぜ」
少し釣り上がった目を下げて、柴犬みたいにじゃれついてくる。
「あー、ごめん。今日は帰りにどうしても行くところがあるんだ。でも剣道は?」
「今日は臨時で休み。先生が出張で、三年は補習。で、休みになった」
「それでニコニコしてたのか」
「ソレダケジャナイケド……」
ゴニョゴニョと口の中で言うから、「何て?」と聞き返した。
それなのに「何でもない」と、ひょっとこみたいな顔で拗ねている。
強豪校の部活がない日は貴重だ。羽を伸ばしたいのもわかる。
瑠生は少しだけ、申し訳ない気持ちになった。
「ごめんな。マジで今日は無理なんだ。一緒に帰るの、久しぶりなのに悪い」
残念そうな昇真の顔を見ると、胸がちくりと痛む。
でも、今日は『最強の日』だ。今日、行っておかないと、また今度で引き伸ばせば決心が鈍る気がする。
「いいよ。また今度付き合ってくれよな」
いつもよりしおらしい雰囲気が気になったけれど、心の中で「ごめん」とつぶやき、瑠生はカバンを手に教室を出た。
予定通り乗り継ぎ、スマホを頼りにたどり着いたオフィスビルは、首が痛くなるような高さだ。
思わず口をぽかんと開けて見上げていると、ちょうど入り口から出てきたビジネスマンと目が合った。
わざとらしく咳払いをひとつして、ネクタイを締め直してみる。
……本当に、来てしまった。
自分の心臓の音が、街の喧騒に紛れず耳のそばで響いている気がした。
しばらくの間、少し離れた場所で入り口を見ていたけれど、神楽が現れる気配はない。
「神楽さん、出てこないな。もしかして残業? いや、見逃してたりして?」
時間が経つごとに、焦りが胸の奥でじわじわと膨らんでいく。
中に入ってみようか──そう思った瞬間、足が勝手に動いた。
自動ドアのセンサーが反応して、静かに開く。瑠生はそっと足を忍ばせ、エントランスに入った。
神楽が勤める会社が五階にあるのは確認済み。
広々としたロビーに圧倒されながらも、エレベーターを探して数歩前へ進む。
視線の先に目的の場所を見つけ、駆け出そうとしたそのとき──
「君!」
背中から、鋭い声が飛んできた。
明らかに自分に向けられた、不審者をあしらう声音に今すぐ逃げたくなる。
「そこの君! 子どもが何の用だ。ここは学生が来るところじゃない。帰りなさい」
心臓に十万ボルトの電流を受けたように、足先から震えが走る。
恐々、後ろを振り返ると、今にも首根っこを掴んできそうな警備員が睨んでいた。
……ヤ、ヤバい。
瑠生の頭に、警察に連れて行かれる自分の姿が浮かんだ。
走って逃げるか──
足裏に力を込めたとき、ふと、梅ちえたちの顔がよぎった。
エレベーターを見ると、ちょうど扉が開く一機が目に入った。
瑠生は警備員にペコリと頭を下げると、全速力で駆け出した。
「こら、君! 待ちなさい!」
追いかけてくる気配と怒声が怖い。でも、振り返った方がもっと怖い。
エレベーターの手前まで来たとき、扉はもう閉まりかけていた。
慌ててボタンを押す──けれど、無情にも扉は目の前で閉じてしまった。
他の箱を見上げると、どれも上の階で止まっている。
階段を探そうと振り返った瑠生の目に、凄まじい形相の警備員が飛び込んできた。
「どこへ行こうとしている。保護者に──いや、警察に連絡するぞ!」
がなりごえ声がエントランスに響く。
「け、警察! それはやめてください!」
警察に連絡なんかされたら、桔梗に迷惑がかかる。
バカだ、俺は。逃げないで受付の人にでも、ちゃんと話せばよかった。
後悔が胸を締めつけた、そのとき──
「あれ、瑠生君?」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには驚いた顔の神楽がいた。
「……かぐら、さん」
……よかった、神楽さんだ。
神楽が瑠生のもとへ駆け寄ると、警備員の前に立ちはだかった。
「この子、俺の知り合いなんです」
その一言で、張りつめていた全身の強ばりが一気にほどける。
振り返った神楽の笑顔にホッとすると、瑠生は全身の骨が抜かれたようにその場にへたり込んでしまった。
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