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第14話

「ごめん、お待たせ」  カフェで待っていると、「一件だけ電話してくる」と言っていた神楽が戻ってきた。 「神楽さん。すいません、俺……」 「いいよ、気にしないで」  立ち上がろうとした瑠生の肩に、神楽の手がそっと触れる。労るように軽く押されて、瑠生は再び椅子に腰を下ろした。  不法侵入者扱いされ、あわや警察に突き出されるところを助けてくれた神楽。  一度しか会っていない高校生が会社まで押しかけたのに、怒るどころか、ずっと柔らかい笑顔を崩さない。 「あの、すみませんでした。いきなり会社を訪ねて……迷惑、かけて」  テーブルすれすれまで頭を下げると、神楽が苦笑まじりに言った。 「大丈夫。頭を上げなよ。……でもびっくりしたな。まさか瑠生君が会いに来てくれるとはね」  そう言いながら、神楽は頬杖をついて軽く首を傾げる。 「名刺、渡してなかったのに。どうして俺の会社がわかったの?」  覗き込むような視線に、瑠生は少し目を伏せた。  ふく里の芸者の一人──梅ちえから名刺を見せてもらったことを話した。 「なるほど。そういうことか」  神楽が小さく笑う。 「で、瑠生君がわざわざここまで来た理由は?」  カップの縁を指でなぞりながら、瑠生は小さく息をのんだ。 「すいません。俺、どうしても神楽さんに聞きたいことがあって」 「聞きたいこと? 何だろう。俺がわかることかな?」  優しい笑みを向けられて、瑠生は一瞬、言葉を失った。  その笑顔が、まるで大人の『追及を受け流す術』のように見える。  神楽がゆっくりと珈琲を口に運ぶ。カップを置く音が、静かな空間に小さく響いた。 「あの、いきなりだけど……神楽さんの仕事って、えっと、会社を売りたい人と、買いたい人の仲介……とか、ですか?」 「へえ」  ほんの一瞬、神楽のまなざしが光った。だがすぐに笑みが戻り、軽く感嘆したように言う。 「よく知ってるね。最近の高校生はそんなことも授業で学ぶの?」 「いえ、自分で調べました。M&Aの意味を」 「ふーん。買収に興味があるのかい?」  その二文字が、ズンッと頭にのしかかる。 『買収』──ふく里、たけだ屋、そして沖の顔が、順に脳裏に浮かぶ。  言いたいことが多すぎて、どれから口にすればいいのか分からない。  神楽がなぜ、たけだ屋の予約を取れたのか。沖という人を知っているのか。  頭の中で言葉が渋滞して、息が詰まる。  眉を曇らせていると、神楽が瑠生の手に自分の手を重ねてきた。  ……な、何でまた触ってくるんだっ。  ギョッとして神楽を見ると、にっこりと微笑まれた。 「俺の仕事は名刺の通り。M&Aのコンサルティングと、アドバイザーなんだよ」  名称通りの言葉が返ってきた。  もっと詳しく教えてほしい。知識を蓄えないと無知ではふく里を守れない。 「何となくはわかります……」 「アドバイザリーっていうのはね、企業の戦略立案や業務改善、リスク管理──あと、売却や買収を検討している人の背中を押す仕事だよ」  わかる? と神楽は笑顔を崩さない。 『売却や買収』の言葉が、瑠生の胸をざわつかせる。  所々わからない単語はあったけれど、要するに沖と同じ側の人間だ。 「大体は……わかりました。あと、もう一つ教えてください」  瑠生は意を決して続けた。 「沖って人──おきコンサルティングって会社、知ってますか」  瑠生の質問に神楽の片眉がピクっと反応した。けれど、すぐ親しみのある顔に戻る。 「その前に、俺からも質問」  神楽が瑠生を見据え、柔らかく問い返す。 「瑠生君は、どうしてそんなことを聞くのかな」  想定していた質問だった。だけど、心臓がどくんと跳ねる。  全てを話すべきか、それともまだ探るべきか。  敵か味方かわからない。逡巡していると、神楽が軽く笑った。 「ケーキでも食べる? 話すのは、それからにしよう」  まるで、空気を甘く塗りつぶすような声だった。  メニューを眺める神楽を見つめながら、瑠生は思った。  バラエティ番組みたいに、ケーキを顔に投げつけることにでもなったら……  ……あー、もう。聞いちゃえ! 責任は自分で取ればいいんだ。 「もし、神楽さんが沖って人を知ってたら──」 「たけだ屋って料亭のことかな」  神楽の言葉に、瑠生は石膏で固められたように止まった。 「おきコンサルティング。それと、初めて会ったとき、君が勧めてくれたお座敷や芸者さん。それだけ聞けば、瑠生君がここまで来た理由もわかっちゃうな」  やっぱり知っていた。問題は沖も関わっているか、だ。 「……そっか。やっぱり同じ仕事だから、知ってて当たり前なんですね」 「そうだな。あいつは有能だから、きっとたけだ屋は持ってかれるぞ」  決定的な言葉に息を呑んだ。  たけだ屋が持ってかれる──  やっぱり神楽は買収のことを知って、たけだ屋のお座敷に行ったのだ。 「俺がたけだ屋に行ってと言わなくても、神楽さんはいずれ——」 「行く予定だったね。客じゃなく、視察としてだけど」  パタンと、メニューを閉じた神楽が、店員を呼んで注文をしている。 「そう……ですか。じゃもう、たけだ屋が買収されるのは確定なんですね」  瑠生はテーブルに手をついて、体重を少し前に乗せたまま愕然とした。  テーブルを見つめていると、いちごのショートケーキが目の前に置かれる。 「え、ケーキ?」  神楽はにっこり笑い、人差し指で瑠生の眉間をぐりぐり押してきた。 「さっき言ったろ、ケーキでもどうって。それでも食べて眉間のシワをほぐせよ。美人なのにもったいないぞ」 「そんなにしかめっ面してましたか」  神楽の指を払い除けると、上目遣いで眉間を気にした。 「やっぱり瑠生君は色っぽいな。それに幸運のしるしは君を出世させるよ」  払い除けたはずの指が瑠生の手を掴んでくる。人差し指のほくろをまた撫でられた。 「ちょ、ちょっと。この間といい、何ですか。指なんて触って、俺は男ですよ」  今度は思いっきり振り払うと、神楽が楽しそうな顔をしている。  何を考えているのかわからない。早く沖って人のことを聞いて帰ろう。 「人差し指のほくろはね、努力家で出世する証なんだ。理想の恋人と巡り会うのも早い。そしてそれは長続きする。で、その相手は俺だけどね」  神楽がフォークでいちごを刺すと、あーん、と言って、瑠生の目の前に差し出してきた。 「な、何を言ってるんですかっ。ただのほくろでしょ。それに相手って──」 「俺は瑠生君の恋人候補だよ。初めて会ったときも言っただろ? 君がタイプだって。俺は君を口説くことにしたからね」 「口説くって、俺は男——」 「いいや、君は俺のお仲間だ」  その一言に、心臓がドクンと跳ねた。自然とカップを持つ手に力がこもる。視線を逸らしたくても、神楽の目はまっすぐ瑠生を見つめている。  違う──と反論する言葉が出てこない。否定したくても、思いつかず、瑠生は俯くことしかできなかった。  身体を震えさせていると、神楽に顔を起こされて頬を摘まれた。 「わかるんだよ。俺くらいの歳になるとね。笑顔から素顔に戻る瞬間、何かを取ろうとする指の動き、振り向くときの瞳の色。そういう細かい変化で、だいたいわかるんだ」  当てずっぽうじゃないのが伝わる。真顔でそう言われたら、反論する余地はなかった。 「沖のことを知りたいなら教えてあげるよ。何たって俺は君の恋人候補だからね。だ・か・ら、教える代わりに瑠生君の個人情報を教えてよ」  ああ、大人って、こうやって事を進めるんだ……  交換条件を、当たり前のように口にしてくる。  でも、背に腹は替えられない。たけだ屋さんを守るためなら、自分の個人情報くらい安いものだ。桔梗や姐さんが困る姿を思えば、ためらう理由はない。 「わかりました……」  瑠生は小さな声で答えた。 「オッケイ。交渉成立だな。じゃ、乾杯」  笑顔で珈琲カップを差し出され、瑠生も仕方なく自分のカップを持ち上げる。  ここまで来たんだ、言われた通りにしないと、教えてもらえなかったら元も子もない。

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