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第20話
これはイケるかもしれない、とみんなが口にしたのは、新しく取り入れたランチお座敷の予約が埋まってきたからだ。
芸者遊びを一度は体験してみたい。
そう思っている人は、世の中に結構いるんだなと、瑠生は感心した。
夜のお座敷は、いちげんさんお断りの店が多い。けれど、お昼はカジュアルに過ごせる分、間口も広くてコスパもいい。それが功を奏したのだ。
たけだ屋にはテラス席があって、少人数の客はそこで。大広間の座敷は団体用として使っている。
座席から見て正面のふすまを開ければ、芸者が三、四人踊れるスペースが確保できる。
間近で踊りや生の三味線を聴けるのは圧巻で、何よりお財布に優しい。
お弁当とワンドリンク付きで、お一人様、七千円だ。当然、芸者の芸事も含まれている。かなり安い!
順調に進んでいることは喜ばしい。ただ一人、自分を除いては。
張り切る姐さんたちの横で、瑠生は顔面蒼白になっていた。
半玉に関して、沖から期限は聞いてない。だったら、予定が合わないことにして、ずるずると引き伸ばせば? と瑠生の耳に悪魔が囁く。
だが、桔梗のたった一言で、その甘い作戦は木っ端みじんに砕け散った。
──あちらさんは誠意を見せてくれたんだ。こっちも応えないといけないよ。
……はい、そうでした。俺が浅はかでした。
重い気持ちで沖に連絡した。
『蓮香』はもう半玉を辞めて、普通の学生だということ。だから接客が不慣れで、気分を害するかもしれないとも。もちろん、これは架空の設定だ。
もしかしたら沖は断るかも……なんて期待をしたけれど、甘かった。
全て了承したうえで、蓮香の予定を聞いてきた。瑠生はしぶしぶ沖に伝えることになる。
そして一週間目の今日。早速というか、いやらしいというか、沖はお座敷の予約を入れてきた。人数は、沖を入れて四人。また、何ちゃら会長といった、肩書がついた人が含まれてなければいいけれど。
蓮香の素性を知っているのは、ふく里の人間と英恵と英恵の夫で、たけだ屋の主人だけ。
秘密を共有するメンバーに箝口令 が敷かれ、重要機密——はちょっと大袈裟だけれど、秘密が漏洩 しないよう全員は神経を張り詰めた。
支度部屋で姐さんや咲希に見守られる中、瑠生は椿に紅をさしてもらっていた。
「はい、蓮香の出来上がりよ」
唇をうーんって馴染ませて、と椿に言われ、瑠生は言われたとおり、唇をもごもご動かしていると鏡を見せられた。
おしろいを塗った顔と首、うなじをまじまじと見て、本当に自分なのかと疑う。
そこに映っていたのは、瑠生じゃない。沖が望む少し大人になった『蓮香』だった。
「仕上げだよ」そう言って、桔梗がかつらに桜の花簪 を挿してくれた。
半玉の頭には一年十二ヶ月、季節の花簪をさすのが定番で、今は四月だから桜だ。
「本物の桜に負けないくらい、瑠生の半玉姿は満開できれいね」
片エクボを作った里菊に言われると、瑠生は顔を右へ左へと向けてみる。
房になった桜と顔の横に垂れ下がる枝垂れ桜を、しゃらしゃらと揺らしてみた。
「瑠生、立って、立って。全身を見せてよ」
咲希に言われてのろのろと腰を上げる。
姿見に移る自分はやっぱり別人に見えた。
これって成功? そう思ったけれど、一抹の不安は残ったままだ。
「やっぱ、振袖は赤にして正解だね。紫もよかったけど大人っぽくしちゃうと、せっかくの瑠生のあどけなさがもったいないし」
「襟でうまい具合に喉仏もわかんないね。ま、瑠生はあんまり目立ってなかったけど」
だから地声もそんなに低くないのね、と姐さんたちが口にしている。
みんなから励まし? の言葉を浴びていると、桔梗が出発を告げた。
その瞬間、心臓にズキンっと痛みが走った。
玄関で切り火をしてもらい、瑠生は正面を向いて桔梗の顔を見上げた。
「……お母さん、お、わたし……」
不安だらけの気持ちを視線に込めて言った。
もし、男だとバレたら、それは振り付けを間違えるレベルではない。ふく里にとって、大打撃になる。
中学のときとは比べものにならない重責を今、担っている。
三ヶ月の間に、沖がいったいどれくらい予約をするのか。今日を乗り越えても、また次、そのまた次と、緊迫した状態は継続されるのだ。
深い谷底の上を綱渡りでもする気分だった。一歩でも踏み外せば、真っ逆さまに落ちて行く。
「こうしてみると、蘭子の若いころにそっくりだね、瑠生は。本当にきれいだ」
瑠生の不安を取り払うよう、桔梗が微笑んでいる。
肩に手を置かれると、そこからじんわりと温もりが全身に伝わった。
母を亡くし、天涯孤独になった自分に手を差し伸べてくれたのは、桔梗のこの手だ。
彼女にいつか恩返しをするのだと、ここに来たときから決めていた。
今がそのときなんだ。絶対にやり遂げて見せる。
初めて半玉の真似をしたとき、梅ちえに言われた。──男だろ、腹を括れ、と。
振り返ると、椿、里菊、梅ちえが瑠生を見つめている。
彼女たちは何も言わないけれど、瑠生には聞こえた、私らがついていると。
手のひらをグッと固く握り締めると、見送ってくれる桔梗を見た。そして言った。
「お母さん、行ってきますっ」と、女声で。
桔梗の瞳が僅かに見開くと、柔和な笑みに変わった。
そっと後ろ向きにされ、「行っといで」と、両肩にバンっと激励を受けると、瑠生はポックリで一歩を踏み出した。
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