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第24話

 何度もごめんね、と謝る咲希を家まで送ったあと、瑠生は鏡の前で唸っていた。  戦闘服をどうしようかと、畳の上にお気に入りを何点か広げている。  (みそぎ)ではないけれど、シャワーも浴びて髪も整えた。  顎のラインまで伸びた髪は、普段はハーフアップにしたり、ひとつに束ねたりしている。けれど、今日はワックスでちょっとだけかっこつけてみた。  髪を伸ばしてるのは、姐さんたち──特に里菊が似合うと言ったからだ。  一度、試しに短くしたら里菊が丸一日、口をきいてくれなかったことがある。 「これ以上は伸ばさないけどさ」  鏡の中の自分に話しかけると、ネイビーのジョガーパンツが鏡越しに見えた。  頭の中でスタイルを組み合わせてみる。  パンツの上に、ボーダーのTシャツとテーラージャケットを羽織る自分を想像した。  ……うん、いい感じじゃん。  五月でも夜は冷える。今が正念場なのに風邪なんかひいていられない。  それに、指定された場所は、沖の会社の近くにあるホテルだった。制服やカジュアル過ぎる服装は避けた方がいいかもしれない。  身支度を済ませると、予定の時間より早めに家を出ることにした。  以前と同じルートで目的地のホテルまでたどり着くと、瑠生の足が止まった。  神楽のメールには部屋の番号が記載されていただけで、店の名前らしきものがなかった。てっきり、ホテル内の店で食事をするものだと思っていた。  いきなり部屋に行ってもいいんだろうか。  動物園のクマのようにうろうろしていると、フロントのスタッフが訝しげな目で見てきた。  不意に、神楽の勤務先で警備員に追いかけられたシーンが浮かぶ。  また怪しまれて、通報でもされたらたまったもんじゃない。  腹を括ったんだ。行くしかない。  スローガンを思い出し、えいやっ、とエレベーターに乗り込んだ。そのままの勢いで十二階のボタンを押す。  箱はあっという間に目的の階に到着し、瑠生は廊下に出て左右を見渡した。  土曜日なのに廊下で誰にもすれ違わないのは、夕食時だからだろうか。  いつもなら腹ペコなのに、緊張で食欲が全くない。 「もしかしたら食事は口実で、部屋に閉じ込められて──いや、あり得ない」  そんなドラマや映画みたいなことになるわけない。それでも罪は追及される。それだけはちゃんと覚悟している。  震える指先でインターホンを押した。  ドアが開かれるまでの間、心の中で祈っていた。どうか、生きて帰れますように、と。  ロック解除の音が聞こえてドアが開かれると、目の前には神楽がいた。 「やあ、瑠生君。時間ぴったりだ、よく来たね」  あんたが呼んだんだろと言いたかったけれど、心の中だけに留めた。 「こんばんは。あの、俺──」 「話はあとあと。さあ、入って」  以前と同じ、気さくな神楽に警戒しつつも、勧められるまま廊下を進んで行く。  奥に繋がるドアが開かれると、ソファが見えて沖が書類を片手に座っていた。 「沖、瑠生君が来たぞ」  当たり前のように自分を男として扱う神楽を横目に、瑠生は沖の前まで来るとその場で膝を折った。  沖が書類から目を離し、瑠生を見下ろしてくる。 「……何の真似だ」  低い、怒りを含んだ声だった。  自分が知っている沖の声は、湖のように澄んでいて耳心地のいい音だ。けれど、降ってきた声は厚い氷が張っているように冷たく、そこに拒絶さえ感じた。 「こ、こんばんは。あの、沖さん。昨日のお座敷では非常識なことをして申し訳ございませんでした」  土下座をしたまま、瑠生は謝罪を続けた。 「神楽さんから聞いた思いますが、俺は男なのに半玉のフリをしました。謝っても許されない自覚もあります。どんな罰でも受ける覚悟でここへ来ました。だから、たけだ屋さんのことはそのまま続けさせてください」  フロアに頭をつけたまま嘆願した。  自分が謝ることで条件を継続してもらえるなら、何度でも頭を下げる。やれと言われれば、何でもやる覚悟だ。 「ちょ、ちょっと瑠生君、顔を上げて。そんなことまでしなくてもいいんだよ」 「いえ! 俺は、沖さんを騙してました。神楽さんの言うとおりです。だからどんな罰でも受けます。でも俺はふく里を守りたい。だから———」 「君は僕のために、男なのに半玉のフリをしてくれたのか」  沖のため──だけではない。  買収を阻止したい。頭にあったのはそれだ。でも、純粋に沖を喜ばせたかった自分もいる。けれど、こんな状況で言っても、全て言い訳になる。  騙していたことには変わりないし、沖は何も悪くない。  真っ当に仕事をしようとしただけで、自分がそこに待ったをかけただけだ。そして、沖は条件付きで譲歩してくれようとした。  ……それを俺が裏切ったんだ。 「言い訳はしません。俺にできることなら何でもします。どうか買収の条件を取り下げないでください」  瑠生は再び額を床に擦り付けた。なりふりなんてかまってられない。  沖に許しを乞い、あと二ヶ月待ってもらわなければ、本当にたけだ屋とふく里の未来はない。 「あー、もう見てられない。なあ、沖。もう勘弁してやれよ。高校生がこんなに頭を下げてるんだぞ。このままお前が首を縦に振らないなら、俺が真っ向勝負するぞ、『おきコンサルティング』に!」 「だ、だめです、神楽さん。そんなこと、絶対にしないでください」  神楽が言ってくれた言葉は有り難かったけれど、それは違う。絶対に違う。 「何でだ。俺は瑠生君の味方だ、助けてやりたい」 「だめですよ、それは。だって、神楽さんと沖さんは親友なんでしょう。昨日のお座敷で言ってたじゃないですか。お二人ともとても親しげでした。大人になっても、親友って呼べる人がいるのは素敵なことです。なのに、俺のことでお二人が争うのは違います。親友なら、戦わないで仲良くしてほしいです」  正座したまま二人を見上げて言い切った。  しなくていい争いをして気不味くなったら、二人は一生後悔するかもしれない。 「瑠生君、きみ……」  呆然とした表情で神楽が見下ろしている、沖も同じように瑠生に視線を向けていた。  二人からの返事が怖い。でも、頭を下げるしか今はできない。  床の冷たさを額に感じながら、瑠生はそのままの姿勢で答えを待っていた。 「沖、お前こんないい子を無視するのか! それでもお前は人間——」  神楽の言葉を遮るように沖が立ち上がると、瑠生のそばまで来て目線を同じ高さにした。 「顔を上げろ」  今の沖の声は、瑠生の好きな、低いけれど穏やかで優しい声だった。  ゆっくり顔を上げると、優しげな眼差しで瑠生を見ている。  そのまま両手を握られると、ゆっくり手を引かれて沖と向き合う形で立たされた。  初めて見たときもかっこいい人と思ったけれど、今、改めて沖を見ると色っぽさの方が優っている気がする。  キリッとした眉毛に切長の瞳。奥二重から覗く虹彩は宝石のような輝きを放っている。  瑠生が見惚れていると、沖の手が頬に触れてきた。  心臓がトクンッと体の内側で小さく跳ねた。  触れられたところからジワっと熱が生まれて、アイスのように溶けそうになる。  惚けていると、後ろから、ゴホンっと、神楽の咳払いが聞こえた。 「沖。言っとくけど、瑠生君は俺が先に見つけたんだ。これから口説くんだからお前は手を出すなよ。彼が高校を卒業するまで、俺はプラトニックな交際をするんだから」  突拍子もない発言に固まっていると、沖が瑠生の肩に手を置いた。  えっと、思っている間に、沖の胸に閉じ込められてしまう。 「それは間違いだ、神楽。彼と最初に会ったのは僕だ。だからそのセリフはそっくりそのまま返してやる」  今、神楽が口説く──とか言った? それに、沖が言った言葉はどういう意味?  頭が混乱していると、神楽が近づいてきて、手首を掴まれた。 「なあ、瑠生君。俺、宣言したよな、君を口説くって。それにタイプだとも」  言っていたような……気がする。  個人情報と引き換えに、沖のことを教えてくれたっけ。 「思い出したかな? 俺と運命的な出会いをしたよね、桜の木の下でさ。同じ、ゲイ同士。これはもう、君を手に入れるしかないって思ったからね」  こ、この人。サラッと言った。人のマイノリティを。信じられない!  睨みつけていると、今度は沖が手榴弾を投げてきた。 「僕だってゲイよりのバイだ」  ……ゲイよりのバイ?  何を言ってるんだこの人たちは。  こっちは混乱して、ここにきた理由もあやふやになってるっていうのに。 「あ、あの。取り敢えず二人とも。……そろそろ手を離してもらえませんか」

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