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第33話
振袖は手に入らず、仕方なく浴衣姿で待っていると、宴会の十分前になってようやくさっきの女性が呼びに来てくれた。
みしみしと鳴く廊下を進むと、尼子と出会った場所にたどり着いた。そこを通り過ぎると、裏庭が現れた。
渡り廊下を歩きながら庭を眺めると、松の木や紅葉が美しく植栽されていた。
九重って、広いな……
神楽と会った場所からここへ来るまでは細い道だったけれど、その先にこれほど広い土地があるとは思わなかった。
美しい庭園を伸び横目に進んで行くと、廊下が途切れて離れにたどり着く。
新築の匂いがする廊下を滑るように歩くと、菖蒲の絵が描かれたふすまの前で女性が止まった。
「お声がかかったら中にお入りください」
そう言い残し、女性は去って行った。
一人で立ち竦んでいると、中からパンパンっと手を叩く音がした。
「入ってこいっ」
多鹿の声だった。
瑠生は慌てて正座をし、ふすまを開けて三つ指を付いた。
挨拶をして顔を上げると、十畳ほどの座敷が目の前に現れた。
部屋には多鹿を含め、四人の中年の男がいた。
座椅子にもたれた男たちは、瑠生をじっと見てくる。
「半玉、こっちへ来い」
命じられるまま座敷に入り、ふすまをゆっくりと閉めた。
男たちの視線は冷たく、瑠生の動きを細かく見張っている。
……なんだよ、何も言わないで。居心地が悪いな。
改めてお辞儀をすると、頭の上からヒソヒソと小声が降ってきた。
「何をぼさっとしている。こっちに来てお客様に酌でもしろ。ったく、気が利かねーな。それでも置屋の息子か」
小馬鹿にするような多鹿の口ぶりに、三人の男が失笑している。
歯を食いしばって立ち上がると、瑠生は男たちにお酌して回った。
酒を注ぐ度に、好奇の目でジロジロと見てくる。
品定めでもするような視線に耐えていると、上座の男に手招きされた。
三人の中では一番太くて丸い体型に、ラメの入ったスーツが似合ってなくて、しかも古くさい。
どこかの会社の偉い人なのは何となくわかるけれど、匂いが最悪だった。
トニックなのか、黒光りするほど髪に塗り付け、頭皮から漂う臭いは鼻を摘みたくなる。
お酌をしていると、男の手が伸びてきて太ももを撫でられる。
浴衣の上からでも、背筋がゾワっと粟立つ。殴りたいほど気持ち悪い。
反射的に距離を取ったのに、男は怒るどころかニヤついている。
顔を逸らすと、その先には奥のふすまを開ける多鹿の姿があった。
そこは続き間になっており、部屋には布団が敷かれていた。薄暗い行灯 の灯りが陰鬱 さを漂わせている。
「ほお、用意がいいな多鹿君。ここはいつから蔭間 茶屋になったんだ?」
……蔭間? それに、何で料亭に布団なんか──
仄暗い奥の和室を見ていると、視線を感じて多鹿の方を見た。
「半玉。お前はこれからこの部屋で客をもてなせ。男でもお前みたいなべっぴんだと、責任も取れるってもんだ」
襖を全開させると、袂に腕を入れて多鹿が口元を歪ませて笑う。
何を……言ってるんだ、この人は。
「お、大人がそんなこと言っていいのかっ。お、俺は未成年だっ」
「ほお、部屋を見ただけでわかるとは。さすが置屋の子だ。ねえ、みなさん」
多鹿に賛同するよう、男たちが、大口を開けて笑い出す。
「今も昔も、男が男を買うなんてよくある話だ。俺は男なんてごめんだが、男が好きな人は大勢いる。ねえ、田之上 さん」
上座の男、田之上がほくそ笑む。
「よそがやらないことを取り入れるとは、さすが九重をここまで大きくしただけある。……何より、男は妊娠しないからいいんだ」
ラメスーツの男、田之上が愉快そうに声を上げる。
「流行り──とでも言いましょうか?」
男たちの会話に全身が震え、正座したまま動けなくなる。
母の葬式で聞いた親戚の言葉に怒りは覚えた。けれど、今、耳にしたことは比べ物にならないほど恐ろしい。相手の心を無視して、人を道具のように扱おうとしている。
こんな大人がいるなんて。しかも、老舗の立派な料亭を経営しているというのに。
早く逃げないと。そう思うのに、足がすくんで動けない。
「お前が嫌だって言うなら、お前の代わりにふく里の芸者を連れて来い」
ね、姐さんたちを──そんなこと、絶対にだめだ。
「い、嫌だ。姐さんたちに指一本でも触れてみろ、お前らを殺してやるっ!」
泣きそうな気持ちを奮い立たせ、必死で叫んだ。
姐さんたちは絶対に守る。
彼女らに手を出されるくらいなら、俺が、俺が……
「それならお前が意思を見せろ。みなさん、彼は現役の男子高校生、しかもとびきりの美人。どうぞ、今夜はこの半玉と一緒にお楽しみください」
多鹿の言葉を聞きながら、薄暗い部屋を見渡す。瑠生は正座のまま後ろ向きで逃げようとした。けれど、腕を田之上に掴まれて、強引に引き戻されてしまう。
「うわっ」
前のめりに倒れると、勢いで相手の体にぶつかった。
「華奢で色っぽい子だ。おまけに顔はその辺の女よりも美しい」
逃れようともがく間に、男たちが一斉に押さえつけようと手を伸ばしてくる。トニックの匂いを纏った田之上に引き寄せられ、身動きが取れなくなった。
必死で腕を剥ぎ取ろうとしたとき、多鹿に着物を掴まれて後ろに反り返される。
「疑いもせず一人でのこのこ来たお前が悪い」
白目が濁った目で多鹿がこちらを見据えてくる。
逆らえば、お前の秘密をバラしてやると言っている目だ。
同じ大人でも、自分の周りにいる人たちと比べて下劣すぎる。
目の前にいる大人たちを睨んでいると、田之上の手が胸元に滑り込んできた。ギョッとして手を払い除けようとしたけれど、大きの体はびくともせず、瑠生を捕らえてくる。
「は、離せ! 俺に触る──」
「おい、半玉! お前が逆らえばふく里の女を引きずってくるぞ」
多鹿の言葉に手が止まる。姐さんたちの顔が頭をよぎった。
「ほお。そんなに姐さんとやらが大事か。大人しくなったぞ」
もう一人の男が瑠生の背中に周り、手首を掴もうとしてくる。咄嗟に肘鉄を放った。
「いってぇな、このガキ」
男の鼻に当たったのか、鼻を押さえている。
「半玉! ちゃんとお客様の言う通りにするんだ。でないと、全部ぶちまけるぞ!」
吐き捨てるように言うと、多鹿は部屋を出て行った。
「九重の旦那もああ言ってるんだ。君は俺らを楽しませてくれればいい。それだけの対価をあの男には払ってるんだ」
放心状態になっていると、田之上が近づいて瑠生の袖を掴もうとしてくる。その手も振り払おうとしたが、空を切っただけで手首を掴まれてしまった。
暗い部屋へ押しやろうとする力に、身体は反応して逃れようと暴れた。けれど、それ以上の力で男たちが一斉に押さえつけようとしてくる。
「九重の旦那もああ言ってる。大人しくしろ」
田之上の手でそのままずるずると引っ張られ、薄暗い部屋へと連れて行かれた。
「は、離せっ! こんなことしてバレたら警察に捕まる──痛ってっ」
必死で叫んだ瑠生の体は、畳に突き飛ばされてしまった。
「お前は男娼なんだろ? 九重の旦那がそう言っていた。何でもあの男に借金があるらしいじゃないか」
……借金──どういうことだ。
「九重で働くためにここへ来たんだろ。ほら、こっちへ来なさいっ」
「い、嫌だ! 俺は借金なんてしてない! 騙されてここに来た──」
大声て叫ぶと、田之上に肩を掴まれ、そのまま布団に倒された
漬物石のように重い体がのしかかってくると、両腕を頭上でまとめ上げられ、反対の手が瑠生の太腿を撫であげてくる。
ゾワっと鳥肌が立ち、恐怖を感じた。
このままだと本当にヤバい。そう思った瞬間、瑠生は両足を持ち上げて田之上を蹴っ飛ばそうとした。けれど足が言うことを聞かない。それでも死に物狂いで暴れていると頬を殴られた。
初めて受けた衝撃に目がチカチカして、打たれた部分が熱い。
口の中を切ったのか、血の味が口腔内に広がる。
罵声と痛みに怯えていると、二人の男に足を掴まれた。
「若い子の肌はスベスベだな。浴衣が薄いから乳首が透けて見えてるぞ。こりゃたまらんね」
足元から聞こえてくる卑猥な声に吐き気がした。
「い、嫌だっ! は、離せっ! やめろっ!」
体を捻って抵抗したけれど、体重をかけて田之上が顔を近づけてくる。
荒げた息が目の前に迫って来た。
首の筋が切れそうなほど顔を横に向けると、「手を押さえてろ」と声が聞こえた。
足元にいた一人が瑠生の頭上に回ってくると、田之上と入れ替わって手を押さえつけてくる。
抵抗する目に映ったのは、嬉々として服を脱いでいる田之上の姿だった。
……こんなやつらのいいようになんてされるもんかっ。
体に力を入れていると、ふと、拘束している人間が一人減っていることに気づく。
今なら逃げられるかもしれない。
頭側にいる男を確認しようと上を向いたとき、天井が目に飛び込んできた。
端から端まで花の絵画が描かれているその中で、目を惹いたのは白木蓮の絵だった。
……白木蓮、沖さん……沖さんっ!
満開に咲く花を目にした瑠生は、この部屋へ来る前に帯に忍ばせたものを思い出した。
田之上が状態を起こしたわずかな隙を見つけた瑠生は、全身に力を込めた。
今だっ!
勢いをつけて、思いっきり足を蹴り上げた。足元にいた男の顎に踵が命中する。
「痛ってーなっ! 何しやがるっ!」
両足が自由になった瑠生はすかさず膝を曲げて胸に近づけ、上半身ごと体を肩甲骨に乗せると、反動をつけて跳ね起きした。ジャンプの勢いで手の拘束も解ける。
瑠生の俊敏な動きに二人の男は呆気に取られていたが、田之上の声で飛びかかってこようとした。けれど、若い瑠生の方が動きは早かった。
体制を整えながら帯に挟んであった簪を取り出し、鋭利な先端を自らの首元に突き付けて見せる。
「こ、これ以上俺に近づいたら、お前らの目の前で俺は首を……切る」
「お、おい。やめろ、早まるな」
男の一人が狼狽えている。田之上は冷嘲を浮かべて動じていない。
「ハッタリだ。やれるもんならやってみろ」
そう言って詰め寄ってくる田之上に恐怖を感じた。
「う、嘘じゃないっ! お前らに触られるくらいなら、死んだ方がマシだっ」
怖くてたまらない。その気持ちを跳ね除けるよう、瑠生は力を込めて、簪を首筋に押し当てる。刃先が食い込む感触とともに、皮膚が切れて血がにじむのを感じた。
「た、田之上さん。首見てくださいっ、血が流れてますよ。あの子、本気だ!」
瞬きもせず田之上を睨みつけていると、「誰か、九重を呼んで来いっ」と叫んでいる。
「ここで俺が死んだら、あんたらは警察に捕まる。言い逃れはできない──性的暴行や強要の罪だ」
着物の裾をはだけさせ、片膝を立てて臨戦態勢を取る瑠生は簪を首から離さない。
「もう何もしない。だからそんなものは捨てろ」
田之上の口調が柔らかい。けれど、距離を詰めて来ることで嘘だとわかる。
瑠生は、瞬きもせず男たちを睨み続けていた。
「半玉! お前、自分の立場をわかってないのか!」
ドタドタと足音がしたかと思うと、多鹿が唾を撒き散らしながら怒鳴り込んできた。
多鹿に瑠生の視線が離れた瞬間、田之上が簪を奪おうとしてくる。
「くそ、こいつ離そうとしやがらない。おい、誰かこいつを──」
田之上が肩越しに振り返った瞬間、瑠生の前から丸い体が消え、代わりに目の前にいたのは、息を荒げている沖だった。
「瑠生っ、大丈夫かっ! 血が出てるじゃないかっ! あいつらに何をされた」
両手に簪を握り締めたまま震えている瑠生を、沖が守るようにそっと抱き締めてくれる。
……お……きさん、沖さんだ。
「お、きさん、お、俺、おれぇ、あ、ああぁ、うわぁーっ」
沖の腕と声に安心し、張り詰めていた糸が切れるように瑠生は大声で泣いた。
「もう大丈夫だ。ほら、危ないから簪を離しなさい」
優しい声で諭されても、恐怖で固まった手は簪を離すことができない。
震える体の振動で、先端の木蓮がチリンチリンと泣いている。
大丈夫、大丈夫と、沖が背中を優しく撫でてくれる。
沖の腕に縋っていると、瑠生は沖の体をそっと押し退けてた。
「どうした……」
「お、俺、汚い。よご……れてる。だって、そいつに──」
沖に投げ飛ばされて腰を打ったのか、座り込んだまま動けなくなった田之上を指差し、瑠生は涙を流した。
最後まで言えずにいると、沖が目を剥いて田之上に向かって行く。ぶよっとした腕を掴むと、へたり込んだ体を無理やり起き上がらせた。
「貴様……瑠生に何をした」
「な、何をしたって、わしは、何も、ただ──」
「ただ? ただ、何だ。これは立派な犯罪だ。しかも瑠生は未成年だ、貴様の罰を法が決める前に僕が先に与えてやる。全部吐けっ!」
「だめだ! 沖さんっ」
今にも田之上を殴りそうな沖の腕に瑠生はしがみついた。
沖を見ると、いつもの優しい眼差しは消え、鬼のような形相で田之上を睨んでいる。
「瑠生、離せっ。こいつを殴り殺してやるっ! 瑠生を傷付けるヤツは殺されても文句は言えないっ」
「だめ、だめですっ! そんなことしたら沖さんの手が汚れる。沖さんが罪になるようなことはしないでくださいっ」
必死に懇願しても、怒り狂った沖の耳には届かない。
瑠生の腕を振り解き、目の前の男に拳を振り上げている。
怒りで沖の全身がぶるぶると震えていた。
部屋にいた多鹿、田之上。他の二人も沖の赫怒 に気圧されている。
「沖、瑠生君の言うとおりだ。お前は手を出すな。悪いのは俺の身内だ、俺がケリをつける」
多鹿を押し除けて部屋に入って来たのは神楽だった。
初めて見る神妙な顔つきの神楽が、沖のそばに来ると田之上を引き剥がした。
乱れた格好で狼狽えている丸い体を、神楽は乱暴に捨て置いた。
「か……ぐらさん」
柔和な表情の神楽が眉間に困惑を表し、悲しげな顔で唇を動かした。
「瑠衣君、話がある。沖、お前にもだ」
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