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第38話

 沖と恋人同士になってから、季節は静かにめぐった。  校庭の桜が芽吹き、花開く晴れの日、体育館には厳かな空気が立ち込めていた。  この日を迎えるまで、何度も沖と過ごしたけれど、キス以上のことはしなかった。  というか、してもらえなかった。  ──ちゃんと、瑠生が高校を卒業するまで待たせてくれ。  沖は頑として、この信念を曲げなかったのだ。  時々、ふざけて沖を煽るようなことをしたけれど、いつもあっさりと交わされていた。    ……でも、それも、もう今日で。  浅ましいことを考えていたら、整列していたクラスメイトたちが所定の位置へと順に座っていく。  こんな晴れの日に、よからぬことを考えてしまい、心の中で亡き母になぜか謝っていた。  校歌斉唱を終えると、卒業証書授与が始まる。  卒業生は、自分の名前が呼ばれるまで緊張が解けない。  瑠生も、張り詰めた面持ちで順番を待っていた。気を張っていたのは、式で緊張していたからではない。保護者席にいる、ふく里の顔ぶれが原因だった。  参列人数に制限はなかったけれど、桔梗と姐さんたち全員はさすがに多すぎる。  瑠生は限定二名と宣言した。  案の定、梅ちえが勢いよく挙手し、里菊も行きたいと駄駄を捏ねる。  普段は静かで冷静な椿まで、行きたい、行きたいと連呼していた。 「じゃ、アミダで決めるから」 「えー、ハズレたら行けないじゃん」  当たり前のことを梅ちえが言う。瑠生はその声を無視してくじを作った。  見事、当たりを引き当てたのは梅ちえで、瑠生に一抹の不安がよぎった。  ……もうすぐ俺の番だ。  肩越しにそっと保護者席を振り返った。  桔梗と梅ちえは控えめな色合いの訪問着で、しっとりと落ち着いた雰囲気を醸し出している。  さすが芸者だけあって、着物姿が様になっていた。  ただ、梅ちえが着物を決めるまでが大変だった。  喜び勇んで見せられた着物は、朱赤の地に菊や松竹梅の柄が入った、とびきり目立つ着物だった。  瑠生は速攻、「却下」と言って、その着物を箪笥にしまってやった。  がっかりした梅ちえを気の毒に思い、赤でもいいよ──と言いかけると椿が叫んだ。 「さっきので行くなら私が行く!」  その声に梅ちえが黙って従ったのは言わずもがなだった。  瑠生の名前が呼ばれると、予想を遥かに超えた黄色い声が飛んできた。 「るーいっ!」  生徒たちが一斉に梅ちえに視線を向ける。舞台から見下ろすと、着物の袂をぶんぶん振りながら梅ちえが手を振っていた。  会場中の微笑ましい視線に、思わず心の中で嘆いた。  ……やっぱり、椿姐さんに来てもらえばよかった。  式が終わったら梅ちえに説教しようと思っていたのに、泣きながら「おめでとう」と言われたから、何も言えなかった。 「瑠生、卒業おめでとう。春からは大学生だね。しっかり勉強して、母さんのように立派なホテルマンになるんだよ」  制服の肩にそっと手を置いた桔梗が、祝福と激励をくれた。 「お母さん、今までありがとう。俺、ふく里で暮らせてすごく幸せだよ。姐さんも、ありがとう。みんなと一緒に過ごせて本当によかった。母さんがいなくても全然さみしくなかったのは、姐さんたちがそばにいてくれたからだよ」  これまでの感謝を込めて挨拶をしただけなのに、二人の様子がおかしい。 「瑠生、あんた、嫁にでも行くのかい?」  桔梗から出た言葉に、笑いを返していると、梅ちえが泣きそうな顔をしてくる。 「瑠生、大学まで遠いからって、一人暮らしするなんて言わないよね……?」  ハンカチを握り締めている梅ちえの手が震えている。 「ちょ、ちょっと待って二人とも。俺、嫁にも行かないし。いや、そもそも男だし。それに一人暮らしはしないって言ったよね。多少遠くても、俺はふく里から大学に通うって」  言ったけどぉ、と梅ちえがとうとう泣き出した。  気が強いのに涙もろい梅ちえに、ふわふわしているのに芯が強い里菊。  しっかり者なのに、たまに天然なことを言う椿。彼女たちと、男の自分をいつでも見守ってくれる桔梗。みんなに巡り会えて、心から幸せだなと思った。  梅ちえを慰めていると、遠くから昇真に呼ばれた。 「友達のところに行っておいで。あ、それと今晩は出かけるんだったよね?」 「あ、うん。いいかな? 晩ご飯はみんなと家で食べるけど」 「かまわないよ。けど、沖さんはあんたに夕食もご馳走したかっただろうね」  桔梗の口から沖の名前が出て、ドキッとした。  桔梗には、卒業式のあとに出かけること──もしかしたらそのまま泊まるかもしれない、とは伝えていたが、誰と、とは言っていない。  ……どうして沖さんだとわかったんだろう。  もしかして、前から気付いていた?  目を泳がせていると、ほくそ笑む桔梗の目と合った。 「お、沖さんと会うけど、お祝いしてくれるって言うから。あ、ケーキとか食べるかなぁ。泊まるかもってのは、ほら、終電に間に合わないかもで。でも、そんな遅くならないかも、だけど……」  明後日の方を向いてごまかしていると、泣き腫らした目で梅ちえも不敵に笑ってくる。 「瑠生、沖さんの知り合いで、独身のイケメンを私のために紹介してもらうんだよ。それで手を打ってやる」  手を打ってやるって、何だよ……  言い返したかったけれど、長くなりそうなのでやめた。 「じゃ、みんなとカラオケ行ったら帰るから。すき焼き楽しみにしてる」  桔梗と梅ちえに手を振って、瑠生は昇真が待つ場所に走って行った。

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