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第2話
男女の性とは別に三種の第二の性が存在する。アルファ、ベータ、オメガ。アレクサンデルは優性とされるアルファ性だ。世界中のどの王家も世継ぎがアルファであることを渇望するという。王位継承者として公式に認められないまま生かされているのは、生まれつき判明している男女の性と異なり、十代後半にならないと発現しないこの第二の性のせいだろう。異母弟の第二の性が万一にも劣性とされるオメガなら、王位継承は王国全体から拒否されるからだ。これは強権の権化ともいえるトールですら変えられない事実である。
異母弟の第二の性が判明するまであと六年から十年ほどか。それまでは、希少な優等性のアルファであるアレクサンデルは、生かさず殺さずの状態に置かれることになる。
「ヘンリクに言っても、嫌な気分にさせるだけだね。すまない」
「いえ、私は……」
話し相手がヘンリク以外にいないせいもあって、今までに散々愚痴を溢してきた。もう二十二歳の大人の男になったのだから、愚痴に時間を割いてばかりではいけない。
「造船所のほうはどうなっているんだ?」
すっかり寂れてしまっているハイムルの造船業だが、いくつかの造船所は修理などで食いつないでいるという。その一軒と、極秘のうちに造船の契約を交わした。船という巨大な乗り物を造るのに、父王トールから隠して行われる。いつまで隠しとおせるかわからないけれど、造船所の職人たちはハイムル製の船の築造に携わることに期待と意義を抱いていて、この秘密を守ることが、彼らの技術を継承していくもしかすると唯一の道であるとも理解している。
「順調です。この冬のあいだも木材の収集は進み、そろそろ建造を開始できるようです」
「そうか。楽しみだな」
「殿下の努力が実を結ぶ日が近づいているのですね」
アレクサンデルを誰よりも理解しているのはヘンリクだ。設計を学ぶための教本や資料を集めてくれて、試作船を造船する手立ても整えてくれた。返せないくらいの恩があるのに、卑屈なことばかり言って心配させるべきではなかった。
書斎の扉を誰かが叩いた。ヘンリクが扉を開くと、若い男が籠を抱えて立っていた。
「今日から、ここで働くようおおせつかりました」
たどたどしい男の口調に、ヘンリクが怪訝な表情を向ける。
「まさか、お前は」
そう険しい声で言ったヘンリクは、男の手首を掴むと、珍しく舌打ちをしそうな顔をした。
「ヘンリク、何事だ」
若い男はこげ茶色の髪を震わせ怯えている。アレクサンデルが駆け寄るも間に合わず、ヘンリクは男を追い払おうとした。
「奴隷が殿下のお世話などと。烏滸がましい。誰の差し金だ」
「よせ。怖がっているだろう」
「しかしっ」
ヘンリクの腕を宥めるように軽く掴んだアレクサンデルは、怯えてしまっている若い男の目の前に立った。背格好も年齢も自分とそう変わらない男の手首には、奴隷の印である刺青が彫られている。
勇敢な先祖は、戦いに勝利すると、負かした相手から考えられるすべての権利や、意思すらも奪い奴隷にした。奴隷は賃金も補償も与えられず、過酷な労働を強いられる存在だ。
しかし、奴隷が勝利の証明だったというのも昔の話で、今の時代では理由なく虐げられる人々だとアレクサンデルは考えている。世界中で植民地開拓をし、奴隷貿易で財を積み上げる列強に取り残された敗北感を誤魔化すために、同胞であるべきハイムルで生まれた人々を酷使し、虐げているだけだ。
「同じ人じゃないか」
奴隷は人ではなく物扱いされる。アレクサンデルのように高貴な血筋の者の前には、人としての身分すら与えられない奴隷は姿を見せてはならないとまでいわれる。だからアレクサンデルは今、生まれて初めて奴隷を目にした。
しかし、どこからどう見ても同じ人間だ。それなのに、城中から腫れ物扱いを受けている自分を慈しむヘンリクですら、奴隷を同じ人間として見ていなかったのだと思うと胸が苦しくなる。
同時に、純粋な好奇心が湧いた。同じような年齢の人間が自分の周囲に現れるのが久しぶりで、会話ができると思うと嬉しくなった。ヘンリク以外で顔を見るのは、義務的に食事や着替えを運んできて、掃除をしていく召使いだけだから。
「君が来ることを知らなかったから、少し驚いただけだよ」
努めて穏やかな声音で言えば、奴隷の男は心底恐縮した様子で頭を下げる。しかしヘンリクは不満げだ
「殿下、承服しかねます。殿下にお仕えするのに奴隷などとは」
「嫌がらせだと言いたいんだろう。そのつもりだったのだろうね。でもそれは、僕が嫌だと感じなければ成り立たないんだよ」
継母かその取り巻きの仕業だろう。王子の世話に奴隷をあてがうなど、慣例からすると無礼以外の何物でもない。が、アレクサンデルはそもそも人々を奴隷という枠に貶める悪しき因習に納得していないのだ。
「ねえ、君の名前は?」
「ロイです」
「ロイはずっと城に勤めていたのか」
「俺はずっと、港で荷運びを……」
自身を俺と呼んだロイを、ヘンリクが一瞬睨みかけた。しかしアレクサンデルは久しぶりに誰かと話せたことが嬉しくて少し浮かれている。
「港だって? 船に乗ったことは?」
勢いよく振り返ると、ロイを身構えさせてしまった。
「荷物を運ぶだけで、船に乗ったことはない…です」
「船の甲板に入ることはあっただろう。どんなだった?」
子供の頃以来、船に足を踏み入れたことのないアレクサンデルにとって、港の今を知る存在は貴重だった。興奮してしまい、奴隷の労働環境がどんなものか、考えることもなく訊いてしまっていた。
「いや、俺はっ」
またロイが俺と言ったのに、ヘンリクは睨まず、むしろ自制を忘れているアレクサンデルに言う。
「殿下、彼は決められた場所で決まった仕事をしていたのです」
ロイが船に乗ったことがないのは、選択肢すら最初から与えられていないからだ。たどたどしい敬語は、命令されるばかりで主に話しかけることも許されないから。じっと見つめてくるヘンリクの、貴族の証しであるような青い目が、言葉にせずそう諭していることに気づいた。
「急に色々と質問してすまなかった。驚かせたね」
これから毎日顔を合わせるのだから、話す機会はたくさんある。これ以上ロイに不快な思いをさせてしまわないように、自分を落ち着かせるため本棚を眺めると、ロイのほうが気を遣って遠慮がちに声をかけてくる。
「船のことなら、船乗りに訊いてください」
正確な情報を得られるようにと気を回してくれたのを感じた。けれどアレクサンデルには、行動の自由がない。
「そうだね」
直接港に行けたら、船に乗れたら、人と話せたら。王族は城外に出向く場合、必ず護衛をつけねばならず、目的地は王家公認の地だけと決まっている。港は公認の地だが訪問前の予告は必須で、許可など到底おりるはずがない。小屋に追いやっておきながら、父王トールは外出についてだけ王子の義務を押しつけてくるのだ。
力無く答えたアレクサンデルに、ロイは気遣うように付け加える。
「酒場に行けば会えると思います。船乗りは酒が好きで、酔うと俺たちに優しくするのもいた…いました」
奴隷以外と話すことにまったく慣れていないといった様子のロイが、困った様子で肩を落とすと、いつもの猫背になっていたアレクサンデルと目線が同じところにきた。
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