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第一章 均衡の庭 ― 主従の序曲 ― 1-2 微差の影

水鉢の位置を、もう一度見る。 置き直すほどではない。 それでも、視線が戻る。 水面は静かだ。 朝の光が映り、輪郭が少し歪む。 歪みは、揺れではない。 揺れていないことを確かめる。 私は柄杓を取る。 取る順番は、間違っていない。 間違っていないことを、確認する必要もない。 だが、指の位置を直す。 水を注ぐ。 量はいつも通りだ。 多くも少なくもない。 それなのに、水面が縁に触れるまでの時間が、少し長い。 理由は考えない。 時間を測らない。 注連縄に、風が入る。 紙垂が一枚だけ揺れ、 すぐに戻る。 戻った位置は、昨日と同じだ。 同じであることを、確かめない。 黒い布を広げる。 端が、わずかに土に触れている。 触れているだけだ。 汚れてはいない。 引けば戻る。 引かない。 短刀を置く。 鞘に収めたまま。 置く角度を、ほんの少し変える。 変えたことに、意味はない。 意味を与えない。 紙束を並べる。 一枚目と二枚目の間隔が、いつもより狭い。 狭いだけだ。 重なってはいない。 指を入れれば、広げられる。 入れない。 石灯籠の影に、弦がいる。 位置は同じ。 距離も同じ。 輪郭の薄さも、変わらない。 それでも、 影の端が、石畳の目地を越えている。 越えたからといって、問題はない。 目地は、境界ではない。 弦は動かない。 命じていない。 命じていないことを、改めて意識する必要もない。 私は紙束の順を確認する。 確認する動作が、いつもより一つ多い。 多いことに、理由はない。 杯を手に取る。 起こす。 起こすはずだった。 だが、起こさずに置き直す。 置き直した位置は、半回転分ずれている。 ずれは小さい。 戻せる。 戻さない。 神木の葉が、二枚落ちる。 一枚目と、ほとんど同時だ。 音はしない。 重なった葉が、短刀の影に触れる。 私はそれを見る。 見るだけだ。 均衡は、保たれている。 崩れてはいない。 崩れていないことが、分かる。 分かるから、 判断を下す必要がない。 弦の視線が、水鉢に向く。 私と同じ場所。 同じ時間。 重なったことを、確認しない。 私は筆を取らない。 弦も、何も言わない。 準備は終わっている。 終わっている状態が、少し長く続く。 長く続くことが、 異変だとは、まだ呼ばれない。 世界は、正しいままだ。 ただ、 正しさを確認する回数が、 一つ増えただけだ。

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