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第6話 クランクイン④

 二人が夕食の場所に決めたのは、ロサンゼルスののダウンタウンの中にあるバーだった。といってもそんなに大きな場所ではなく、ライブハウスにもなるような小さなステージスペースを持つ店だ。  今夜は名も知らないアーティストがウルサくがなっている。年代を感じさせる汚くはないが煤けた壁の店内は、座席も結構詰め気味で、ハリウッドで働く芸能関係者以外にも、地元の一般人も、旅行者もいた。  カウンターでジェラルドはライム入りのコロナビールを、ユアンはI.W.ハーパーをロックで頼み、食事代わりのフィッシュアンドチップスとピザ、豆の煮込みと野菜のディップを頼んで、窮屈に壁際に押し込められたような座席をとる。  ライブステージからは比較的離れた場所にも関わらず、店内の大音響の為に、少し大きな声を張り上げなければならなかった。 「アイリッシュウイスキーかと思った。でなければエールとか」 「イギリス人だからか? よく言われるけど、地酒が一番手軽で旨いんじゃないかな」  ユアンはグラスを傾ける。そうして決して上手とは言えない、ただただ感性と情熱のままの叫びに軽く体を揺らした。  劇団、映画俳優。英国人。紳士然とした美形……。  ジェラルドは写真と経歴から、彼をもっと高慢で、厳格で、孤高で物静かな人物で想像していた。食事ももっと高級で、お忍びとかVIPと言われる場所に出入りしてるのかと思っていたのだ。  ジェラルドはヘタなロックをのりのりで聞いているユアンを見つめる。その視線に気がついたユアンがジェラルドに振り向いた。 「なに?」 「こういう所にくるんだな、と思って」 「来るよ。楽しいじゃないか」 「クラシックの方が好きかと思ったよ」 「クラシックも聞くよ。オペラも、ミュージカルも。興味があるならなんでも。好奇心と感性に従う質なんだ」  一曲終わり、観客から拍手が沸く。ユアンは立ち上がり、暫くは大いに賛辞と拍手を送って、またイスに座った。  その一連のはしゃぎっぷりを眺め見て、テーブルに頬杖を付いたまま、ジェラルドは尋ねる。 「酔ってる?」 「酒に強い方じゃないのは認めるが、まだ二口も飲んでない」  ユアンは心外だ、といわんばかりにジェラルドを上目遣い見て、グラスを口に運ぶ。その子供っぽい仕草にも、ジェラルドは見とれた。  いろんな顔を持つ人だな。  基本的に芸術品のように完成された美貌だ。だからそこに豊かな人間味が加味されると、そのギャップに胸が騒ぐ。 「あんたは自由な人だな、ルイス」 「よく言われる」  ユアンは上機嫌でグラスを揺らした。 「自分のイメージってやつを守ったりはしないのか?」 「それは確かに自分を売り込む時には重要だし、一番簡単な交渉方法だと思う。だけど、それは私の全てじゃなくて一部だ。私は三〇歳の時から、そんな一部で自分の型を作って、そこに自分を嵌めこんで生きるのはやめようって、決めたんだ」  三〇歳。丁度彼が『大罪』を主演した年だった。  ジェラルドは未だ作品として通して見た事はないが、あらすじは知っている。  『大罪』とは、キリスト教に定められた七つの罪の事だ。若くして権力欲に捕らわれた聖職者が、枢機卿までのし上がる過程で様々な『大罪』を犯す。彼は自分の行動が大きな理想の為だと自身や家族、恋人に言い聞かせるのだが、一方でそれを理由にして醜い本質に振り回されていることも自覚しており、どうしようもない運命の荒波に翻弄され、苦悩する。  まだ八年しかたっていない作品だが、公開当時、その非道徳性を宗教をはじめとした様々な団体から非難されたせいか、少数生産のセルでしか残っていないのだ。インターネットで作品がいくつかの投稿者によって公開されていたが、分割して公表され、それも全ての映像が公表されているわけではないので、全体を知ることはできなかった。  美しい、悩める枢機卿は、あの映画で、なにかあったのだろうか。  尋ねようとした時、ジェラルドをにやにやと見ていたユアンと視線がぶつかった。 「君は不自由な男だろう、ネイサン」 「よく言われる」  ジェラルドはきまり悪そうにビールを口に運ぶ。 「君は何故、私が君に目をかけるのか、気にしていたね」 「ああ。どうして?」 「惚れているから」  ジェラルドは心臓が止まるかと思った。  ユアンはあいかわらず意地悪い笑顔で反応を見ている。  その視線から、ジェラルドはそれとなく目を逸らした。  ユアンはグラスをテーブルにおく。すでに中身はなく、ガラスについた滴がグラスの底に小さな水たまりを作る。それを指先でついっと弄んだ。 「本当だよ。昔、ヒストリーチャンネルのミニシリーズで、『クォ・ヴァディス:ネロの時代の物語』をやっただろう?」 「アー……そんなこともあったかな」  学校を卒業し、俳優を専業にしてから、小さな仕事をがむしゃらにこなしてきたせいで、あまりよく覚えていなかった。ただやった、という記憶はある。主役のマルクスではない。ネロだ。  ジェラルドは薄暗い天井に目をやり、遠い記憶を辿ってその仕事をぼんやりと思い出していた。 「私は舞台で、暴君ネロを演じることがあって、そのリサーチの中で、いくつかの映像も見た。その一つに君が演じたネロがあったんだ」 「参考にならなかっただろ?」 「いい意味でね」 「どういう意味?」 「君のネロを見たとき、彼がただの無能で了見の狭いバカには見えなくてね。逆に、聡明で、慈悲深く、だからこそ周りに振り回される悲しい愚帝に見えた。私の演じるネロはそれこそキリスト教徒に悪逆の限りを尽くすワガママ暴君だったから、確かに参考にならなかったが、違うとも思わなかったよ」 「ああ……なんとなく思い出した。確かそうだ。ネロは、言われてるほど暴君じゃないと思ったんだ。歴史書調べたら、本当の彼は結構いい奴だった。特にあの時代じゃ、別に彼は特異じゃなかったんだ。ただ問題があるとするなら、彼は自立した人間として身動きが取れなかっただけなんじゃないか、そう思ったんだ」 「その解釈はあの話の中では筋が違うのかもしれないけど、独自の視点を入れた上で、監督との練り合わせがあって、よかったと思う。あと、ネロがオペラ一幕を歌いきってしまうシーンとか。迫力があって、魅了された。私の家にはあのミニシリーズのDVDがある。私は君の演技が好きなんだ」 「ありがとう。もしかして、今日俺の撮影をじっと見てたのも?」 「そうだよ。目が離せなかった」 「そう言ってもらえるとは、嬉しいね」  ジェラルドはこそばゆいような嬉しさと恥ずかしさを感じて、照れ隠しに笑ってみせる。  その顔を、ユアンは真剣に見つめた。 「でも君は非常に才能を持ちながら、それを生かす自由がない。一向に表舞台にでてこないし、大きな仕事もできてない。私は君と仕事がしたかった。だから探した。君がでている映像やCMをね」 「共演者の、リサーチをする方?」  ジェラルドは冗談っぽく昼間のユアンの台詞を揶揄した。  ユアンは眉を八の字に下げる。 「……するほうじゃない。国民性なのかな。個人主義を重んじるから、詮索されるのは好きじゃない。自分のされたくないことを、他者にしないのは礼儀だろう?」  だから、リサーチされることをあんなにも警戒したのか。  ジェラルドはバスの中の彼の怒りの理由を理解した。 「でも君は特別だ、ネイサン。だって。探さないと君は見つからなかったんだから。この仕事で君が主役だと知った時は、チャンスだと思った」 「まさか、ヒロインに立候補したのも?」 「だとしたら? でも私のやったことが君の気に障ったのなら、謝る」  ユアンはおおよそ謝るような態度ではなく、胸を張り、語気強めに言う。その自分に対する前向きさが嬉しくて、面白くて、ジェラルドは笑顔で首を振った。 「いいや、全然。むしろ嬉しい。あんたみたいなすばらしい俳優に、探してもらってたなんて、光栄だ」 「本当に?」  ジェラルドの言葉に、ユアンの顔がぱっと明るくなる。  かわいい人だな。  外見も、年齢も、社会的地位も、ジェラルドよりもよっぽど完成された大人の男なのに、そう思わずにはいられない。  ああ、こういう気持ちを何というのか。  それをぼんやりと思い出しかけたとき、ジェラルドのジーンズのポケットが震えた。 「あ、ごめん」  ユアンに断って、ポケットからi-phoneを取り出す。画面には妻アリシアの写真と名前がでている。ロックを解除してでようかと指を出したが、ジェラルドは少しためらった。  そうしている間に電話は切れる。  ジェラルドは再びi-phoneをポケットにしまった。 「出てもらってもかまわないよ。大切な人だったんじゃないのかい?」 「まあ、大切は大切なんだけど……。妻だよ。いいさ。後でかけなおす。たぶん、今ニューヨークのアパートに帰ってきたって事だけだろうと思うから」 「ネイサン、君、結婚してたのか? 指輪をしていないから」  ユアンの驚きに、ジェラルドは苦笑した。 「調べたんじゃないのか? 俺のこと」 「プライベートなことまで調べてない。私が探したのは君の仕事の映像でね。言っただろ。詮索はする方じゃないって」 「アリシア・テレンスって知ってる?」 「ブロードウェイではそこそこ名前の知られた女優だ」 「それが俺の奥様。正式な名前はアリシア・テレンス・ネイサン」 「知らなかった。彼女、結婚してたんだ。いつから?」 「UCLAの在学中。理由はない。なんか、ノリで」 「軽いね」 「そういう男なんだ。意外?」 「君の性癖については考えたこともなかった」 「もともとは二人とも演劇をやってて、同じ夢を追ってたから、一緒に生きていこうって結婚した。俺たちは夫婦でありながら、ライバルでもあった。で、彼女がそのレースに俺よりも先んじて、夢を叶えた。俺はどちらかというとテレビの仕事の方、それも端役が多くてね。稼ぐ彼女とそれを支える夫。その関係が定着してしまった。あんたが自由がない、というなら、それが理由だ。それでも彼女を愛してるから、いいと思ってた。でも……」  ジェラルドはもう瓶の底程度に残る程度のビールを飲む。冷えた炭酸が抜け去った液体は、ライムの酸っぱさとビールの苦さだけを喉に残す。 「やっぱり、好きな仕事に何も考えずに打ち込めるっていうのは、楽しいな」  ジェラルドはユアンに笑ってみせる。ユアンはそれを一瞬泣きそうな顔で見た。  そんな顔で見るなよ。  ジェラルドは思わずユアンの顔に手を伸ばしそうになる。泣き顔は、苦手なのだ。  だがジェラルドが触れるよりも先に、ユアンは胸元から携帯を取り出す。カバーにイヤホンコードが巻きつけてあるそれは、ジェラルドと同じi-phoneだった。 「君は、テレビだけじゃなく、舞台をもっとやるべきだと思う。連絡先をもらえるかい? 機会があれば舞台の仕事を紹介するよ」  ユアンはそう言った。

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