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第10話 生まれながらの俳優①

 ツーツーという不通話音を確認して、ジェラルドは携帯のブラウザを立ち上げる。検索エンジンに『ユアン・ルイス』と『動画』と入れて検索をかけると、彼がこれまでやってきた仕事が出てくる。殆どは『大罪』かその後にやったいくつかの映画の部分的な映像だが、『御近所物語』の映像も引っかかった。  クリックして見る。  ゆったりと、懐かしい感じのオープニングテーマが流れる。一つ目にクリックした映像はユアンが出ている回ではなかった。  英国の、中、低階層市民達の、何気ない日常が描かれる。気のきいたジョークがあるわけでもなく、劇的なドラマが描かれる事もない。 「ものすごく……ゆるい、な」  その一言に尽きる。失笑さえ生まれるほどに。何が楽しいのか、英国人の気質がジェラルドにはよくわからなかった。  このドラマに、どのように今の彼が反映されるのか、想像もつかない。ドラマに合わせれば、彼の役はせいぜいゆるーい感じの中年男性だ。失業するか安い賃金で働かされて、パブで昼間っからクダを巻くダメ親父姿は想像がつかないが…。  いくつかの動画をクリックして、ようやくユアンが出ている画像を見つける。彼の役柄は、ジミー・ルイスが演じるコーディ・アダムスの息子、という役柄だった。 「実の親子で、親子を演じる? よくもそんな難しい仕事を引き受けたな」  ジェラルドは独りごちた。  役者は百%架空の人物を演じるわけではない。役の中には演者の素養が入る。架空と現実、そのブレンドが役を作るのだ。  だがこのドラマの場合、架空と現実の境目はかなり曖昧になる。演技にストイックになろうとすればすればするほど、役なのか自分自身なのか分からなくなってくる。そのあたりで役に徹しようとすれば偽物感が出てしまうし、自分を曝け出せば役の性格を見失う。  ただ、『スキャンダル』を通して知った『条件が厳しければ厳しいほど、抜群に高い演技力を見せる』ユアンならば、そんな微妙な立位置でも、こなしていけるんだろう、とは思った。  動画をクリックする。  ユアンの設定は妻を亡くしながらも、中堅の会社に営業マンとして勤め、息子を男手一人で育て上げる中年男だった。彼が所帯を別にしている父親を訪ねるところから動画は始まっている。  ドラマの中のユアンは、少し生活に疲れた中年を演じている。その笑顔は社交的に作られるか、ニヒルに吐き出される。上手く役をつくっていた。  だがジェラルドはそこに少々の違和感を抱く。  ユアンはいつも、まっすぐに人の目を見る。日常でも、ドラマでも。なのに、そのドラマの彼の眼は父親を見ない。父親だけを、見ない。父親の方を見ている時は、視線が少し下がる。他の演者を見る時はそうでもないのに。  照れているという感じではなかった。  ドラマの中の彼らは同じ経済層の父親世代という共通点をもち、それを共有し合うという設定である。なのに、どちらかと言うとユアンは明らかに父親を避けていた。  あなたと私は違う。  暗に示している。これは、役柄とは明らかに違っている。 『私は父を、舞台中心の自分と比べて、格下とは思わないよ』  そう言った時の彼を思い出す。その時の彼は静かで、穏やかにすら見えたが、これは違う。その食い違いに戸惑う。  彼らには、何か特別な確執があるのではないか。  それを感じて、ジェラルドはドラマの中のユアンをただじっと見ていた。

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