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第11話 生まれながらの俳優②
ジェラルドは狭いダウンタウンのカフェの、一番奥の席で座っていた。
時計を見る。こちらが指定した時間まであと二分。そこからはちょうど、入り口の薄く色の入ったガラス扉を通して外が見える。こちらを伺うような人物は見あたらなかった。
逃げたかな。
それならそれでかまわない。送りつけた写真のネガはこちらにある。それを公開して、危険に晒されるのはあちらだ。
だがジェラルドの予想に反して、残り三〇秒を切ったとき、ユアンがカフェに入ってきた。
顔が強ばっている。いつもはスーツ姿の彼は、警察学校で覚える潜入捜査時における変装指南のマニュアル通り、ダウンタウンのいかにも失業者というナリを作ってきている。だが外見をどのようにみすぼらしくしても、彼自身の類稀な美しさを隠し通すことはできない。
対するジェラルドは場にとけ込んでいて、ユアンはしばらく見つけることができなかった。
ジェラルドは軽く手を挙げて彼を招く。その姿を認めたユアンは、つかつかとジェラルドの前まで歩み寄り、テーブルの上に手にしていた茶封筒を叩きつけた。
「卑怯者」
静かで、落ち着いた、しかし怒りを理性の万力で締め上げた、鋭い殺気と緊張を持った台詞だった。
彼らを見守るカメラも、監督も、音声も、その場に居合わせたスタッフ一同、しんっとした緊張に包まれる。
対するジェラルドはカレンを見上げ、口元に軽い笑いすら浮かべていた。
「カット」
そこで一旦、監督の中断が入る。場の空気が緩み、ユアンもふっと体の力を抜いて、監督の方へと視線を向ける。
「OKかな?」
「だといいが。確認に行く?」
ジェラルドは席を立ち、映像を見ている監督の横から、二人でのぞき込む。
小さな画面には、怒り狂うカレンに、まったく動じないどころか不敵に笑うエドベリーのアップがあった。
「いいね。イヤらしい笑いだ」
監督がジェラルドを見て、にやにやと笑う。
「俺は、真実を求める脅迫者だからな。この程度の脅しで怯まないよ」
「もっと怖く迫った方がよかったかな?」
ユアンもにやにや笑ってジェラルドを見る。
その顔をジェラルドは余裕の笑顔で返す。
それでも、自分は怯まないだろう。その確信があった。
どんなに怒っていても、それを演じるユアンが美しく、ジェラルドは既に彼の虜だったからだ。
「やめてくれ。これ以上怖くなられると、視聴者から苦情が来る。今の演技だって、相当スタッフが怯えてたぞ」
代わりに監督が苦笑いし、続きのテイクに向けて準備を指示する。それが完了するまで、ジェラルドとユアンは立ったまま、スタイリストにいいようにされていた。
その時、ふと、ジェラルドはユアンの首もと、ちょうど首の付け根あたり、襟元ぎりぎりに何か痣のようなものがあることに気がつく。一〇センチくらいの身長差で、襟の隙間からちらちらと見えるくらいだ。スタイリストの女の子たちはユアンよりも少し低い位だから、立ったままの状態では見えていないようだった。
それが何なのか。わからないほどジェラルドはチェリーではない。
スタイリストたちが離れて行ったところで、ジェラルドはユアンにだけ聞こえるような声量で言った。
「情熱的な彼女なんだな」
「何が?」
あからさまに怪訝そうなユアンに、ジェラルドは困惑する。
「気がついてないのか?」
「だから何を?」
「首筋。背中側に、キスマーク」
ユアンの顔色がさっと変わった。
驚いているようでもあり、怒っているようでもあり、恥じているようでもあり、困っているようでもある。
絶句。その表現が一番間違いがない顔だ。
「あ、の、ひ、と、は~……」
ユアンは俯いたまま誰にも聞こえないほどの声で呟く。その脳裏に思い浮かぶのは、ユアンが部屋を出ていく時ものうのうと寝ていたジョンの姿だった。
それでも、反射的に痣を手で触れようとしないところがベテラン俳優である。手で触れても痣は消えないし、その動きはどこかで見ているゴシップ記事が好きな誰かの好奇心をかき立ててしまうことをユアンはよく知っていた。
「見える?」
ジェラルドに上目遣いに視線だけを向け、小声でそれとなく尋ねた。
「俺のこの位置からなら。一応、カメラワーク、気にしてた方がいいかも」
「ありがとう」
「茶封筒の中身のスチール。撮る前でよかったじゃないか」
ジェラルドは周りを確認するふりをしながら小さく笑う。
茶封筒の中には、ユアン演じるカレンが、大物マフィアの女を寝取った証拠写真が入っている。ジェラルド演じるフリーのカメラマンであるエドベリーは、それをたてに、自身が容疑者にされた殺人事件の真相解明に協力することを、刑事であるカレンに求めるのだった。
「では本番」
スタッフや俳優たちが所定位置についたことを確認して、助監督が声をかける。
かちん、とクラッパーボードが切られる。
「二十八秒だ」
どっかりと薄汚れたソファに座り、エドベリーは不機嫌そうなカレンと向かい合う。
「それ以上待つつもりはなかった。来てくれて嬉しいよ、カレン・ティモシー警部補殿」
「売れないパパラッチ崩れが、私に何の用だ? まさかこの間の誤認逮捕を謝ってくれとでも言うんじゃないだろうな」
「謝罪がほしけりゃ、その写真はもう直接あの女の旦那に送っている。裏切り者には謝罪よりもきついお仕置きが待ってる。だろう? でもそうじゃない」
エドベリーは胸元から写真を取り出す。それは彼が目撃し、思わずシャッターを切ってしまった、昨夜の殺人事件の瞬間だった。
街灯の逆光が作り出す濃い影のために、犯人の顔は見えない。解像度をあげても、うっすらとした輪郭しか掴めなかった。
「これは?」
カレンは目を凝らし、写真を手に取る。カレンはこの写真を証拠物件として見ていた。ただ、案件自体は警部と刑事部長が直接預かったために、その証拠がその後どうなったのか、知らないのだ。
「あんたたちが押収したまま返ってきていない、俺のカメラで撮った写真だ」
「何故それがここにある?」
「俺は、こういうナリで、こういう仕事なんでね。警察から不当に扱われることには慎重なんだ。だから画像をコピーしておいた。これだけの証拠がありながら、俺を、急いで犯人に仕立てようとした奴がいる。そいつと理由を突き止めたい」
「私に協力しろと? そのメリットは何だ?」
「あんたは目的のためには、手段を選ばないタイプのようだ。出世欲が強く、いろいろと、危ない橋を渡ってる。この写真も、その他あんたが隠してる越権捜査の事も、俺は調べた。それを秘密にしておいてやるよ。それだけじゃない。協力してくれるなら、あんたが望む時に、望むように動く、手足になってやってもいい」
エドベリーの提案を、カレンは鋭い視線でじっと見つめたまま思案する。
暫くの沈黙。
「殺しも、いとわない覚悟はあるか?」
静かに、機械的に、端的に、カレンが尋ねる。エドベリーは凶暴な笑みで受けた。
「俺は特ダネが欲しいんだ。その為だったら、親でも殺してみせる」
そのセリフを聞いたカレンの顔から緊張が解け、悪魔の様な凶悪で背筋の凍る程美しい笑みを浮かべる。そうして彼は言った。
「いいだろう。ピューリッツァー賞、とらせてやるよ」
と。
その映像を確認していた監督は、
「実にいい。ますます嫌らしい顔だな」
二人を見比べ、非常に満足気であった。
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