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第20話 終わりと始まり①
ジェラルドがロサンゼルスからニューヨークへの移動方法として手配されたのは、ロサンゼルス国際空港からの飛行機便だった。
アメリカン航空搭乗受付で受付嬢を軽く冷やかし、チケットを受け取って時計を見る。まだ出国までに少し時間がある。同じ便を利用するスタッフからゲームの挑戦を申し込まれ、ジェラルドはi-phoneを取り出した。
そこでふと、ユアンの姿を探してしまう。いつも一緒だったから、居ないことが逆に不思議な感じだった。
「ユアンは?」
「彼なら昨日か一昨日の内に別ターミナルから一度イギリスへ出国だろう。例の件で戻らないといけないって言っていたから」
例の件、と言われ、ジェラルドは数日前の彼を思い出す。
思わず、手を出してしまった。彼があまりにも脆く見えたから。
失礼だったな、と今となっては思うけれども、その時はそうせずにはいられなかった。
本当は、抱きしめたかった。だがそれをすることで、激怒されるのも、拒絶されるのも、正直怖かった。
あの後から、連絡をとっていない。
ニューヨーク行きでばたばたしていたこともあるが、実の父親の裁判という事態を前に、ゲームに誘うなんてできない。かといって、電話して、ゲーム以外の何を話せばいいかもわからない。
『ありがとう。大丈夫だ』
彼の言葉を待っても、きっとそれしか言わない。大丈夫じゃなくても、ギリギリまで。そういう人だろうと思う。
「どうした?」
スタッフに顔をのぞき込まれ、笑ってごまかす。
「ちょっと、トイレ。後で合流するよ。先に行ってて」
ジェラルドはスタッフと別れ、トイレを探すふりでターミナルビルを当てもなく走る。途中、人の少ないベンチに座り、ふうっと息をつく。
「なにもできないってのが、こんなに辛いとはな」
求められれば、なんでもするのに。相手がアクションを仕掛けてこない限り、ジェラルドは基本的に何もできなかった。
ジェラルドは手にしていたi-phoneの画面を見る。バックライトの消えた黒い液晶に、少々情けない自分の顔が映っていた。
その画面に、見知らぬ男の影がぬっと映りこむ。
慌てて振り向くと、少し柄の悪そうなサングラス姿の男が口元ににやっと笑顔を浮かべて立っていた。
「ジェラルド・ネイサン?」
「あんた、誰だ?」
いぶかしみながらジェラルドは立ち上がる。熊のようなジェラルドからすると彼はその身長差、体格差はユアンと同じくらいか、それよりもさらに一回りくらい華奢だった。
しかし男は睨みつけるようなジェラルドの視線にも在り方にも怯むことなく、にこやかに、胸元から取り出したネームカードを渡す。そこにはジェラルドも名前くらいは聞いたことのある芸能プロダクションの、代表者という肩書きと、ジョン・カークという名前があった。
「君の噂はかねがね。これから伸びる俳優だと、ユアンからも聞いている。飛行機で移動でよかった。トレイラーハウスで寝泊まりしてると聞いたが、それで大陸横断されてたら、出会えないところだった」
ジョンはジェラルドに握手を求める。彼のことさら『ユアン』の名前においたアクセントがなんとなく気に入らなかった。
「ユアンの知り合い?」
「元恋人…」
その言葉に、ジェラルドの視線が無意識にますます険しくなる。さすがに笑って流せない雰囲気を感じたのか、ジョンは少し肩をすくめた。
「…役だった。『大罪』、見たことない?」
「全部通してはない」
「いい映画だ。いろんな意味で」
ジョンは手にしていた一枚のDVDを渡した。タイトルも何もない。五〇枚ワンセットのスピンドルで売られているような生ディスク一枚が、タイトルも何も挟まれていない透明のDVDケースに入っている。
「喧伝するつもりはないけど、一度見てみるといい。今は友人以上の関係者、というところかな」
「なぜ、俺を?」
「探したんだ。ユアンを笑顔にした男は、どんな奴かと思ってね」
どういう意味か捕らえあぐねて眉間に皺を寄せるジェラルドに、ジョンは胸元から取り出した携帯を操作して、少し前にジェラルドとユアンが取材を受けたTVガイドの動画を示した。
「こんな自然な笑顔、十年ぶりに見たよ」
そこに映るユアンは、思ってもみないほどかわいらしい笑顔を見せていた。ジェラルドが自身の気持ちから贔屓目に見ているということを差し引いても、彼がまるで恋人の事を語る少女のようにすら見える。
こんな顔をしていたのか。
取材中はそわそわしていたので、ジェラルドはまったく気がつかなかった。
こんな顔で、他の人に、自分の事を褒められていたなんて。
急に、なんだか気恥ずかしくなって、口元を押さえてしまう。
ジョンはそんなジェラルドをにやにやと見ていた。
悔しいかな、これが、ユアンの救世主なのだ。ジョンははっきりと理解した。
しかし悔しさを思う以上に、ジョンはユアンが少しずつ本来の姿を取り戻しつつあることに対する安堵と、手元を離れていく寂しさをともなった喜びを感じていた。
「これまでの数少ないインタビューでもユアンは笑顔は見せていたけど、無理に『ユアン・ルイスという俳優』という役柄で演じているようなぎこちなさがあってね。でもこの笑顔は違う。懐かしかったよ。十年前、『大罪』が封切られる前の彼は、時折こういう笑顔を見せてくれてたんだ」
いい環境に恵まれている。
インタビューの合間に流れる撮影の映像やスチールが、インタビューの返答以上にそれを物語っている。その傍にはいつも、ジェラルドがあった。
「君の名前を捜したよ、ジェラルド・ネイサン。業界の人間に聞いても、ネットで調べても、情報が少なくて苦労した。でも、ユアンが君のDVDをよく見ていた事を思い出してね。彼のセカンドハウスに確認に行ったら、あった。『クォ・ヴァディス:ネロの時代の物語』。君はあのネロだったんだね」
ジョンはポケットから鍵の束を取り出して、そのうちの一本をジェラルドに投げ渡す。
「君なら、ユアンを支えてやれるだろう」
「これは?」
「心の扉の鍵」
「は?」
「嘘。ロスにあるユアンのセカンドハウスの鍵だよ。俺が持ってても意味がないのがわかったから、君に渡しとく。ユアンに返しといてくれないか?」
ジェラルドは鍵を眺める。
合い鍵を渡す相手は多くない。家族以外の人なら、通常一人か二人だ。しかしユアンの性格からして、二人以上に合い鍵を渡すとは思えない。
合い鍵……会いにくい人…背中の紅いキスマーク…元恋人役…。ジェラルドの中で、様々なキーワードがひも付けされていく。
「…あんた、背中の彼女…?」
「彼『女』、じゃないがな」
ジェラルドの頭の中はぐるぐると回る。
あの清廉なベテラン俳優がゲイだった、という確定事実がショックだった。
それと同時にだったら問題はないじゃないか、という意識と、個人的には問題ないが社会的にはどうなんだ、という意識がせめぎあう。
ユアンのあの、笑顔。
もしかして、彼は、自分と同じように想ってくれているのではないか。そう思わずにはいられない。
自意識が暴走している、と冷静な部分が否定するが、だったらいいな、という希望で浮き足立った自分の自惚れが止まらない。
一気に押し寄せる内なる荒波にくらくらしながら、ジェラルドはジョンに尋ねた。
「ユアン、結婚は?」
「していない。たぶん今話題の親父さんの影響だな。一時は修道士になろうとすらした程、潔癖でね」
「修道士?」
「結局はやめた。それはジェラルド、君に出会ったからだ」
「俺に?」
「神様に一生封印されて生きることより、血の通った人間と仕事をすることを選んだんだよ」
ジョンは満足気に笑う。そうして時計を見ると、
「何か仕事を探してるんだったら、うちの事務所にも声をかけてくれ。紹介するよ」
と背を向けて手を振り、別のターミナルへ歩いていった。
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