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第21話 終わりと始まり②

 ジェラルドがロサンゼルスを飛び立ったその日、ニューヨークは雨だった。  アリシアはキッチンでお茶を入れると、窓の外を叩く小さな雨粒を眺めながらそれを口にする。天気予報によると雨脚は今後ますます強くなるということだった。  ジェラルドは既にケネディ空港に到着しているはずだ。今日はたまたま完全OFFだったので、向こうの空港を出る前に迎えに行こうかメールで尋ねたら、こっちの天気を逆に尋ねられた。  雨だと答えると、彼は濡れるから構わないでいいと返してきた。 「気を使いすぎなのよ」  昔からそうだった。  サービス精神は旺盛で、人を楽しませるのが好きで、悲しんでいる事には耐えられない。まるでカウンセラーのように受身で、穏やかに、誰にでも等しく対峙する。  一方で、彼自身がどうしたいのか、どうされたいのか、あまり見えてこない。  希望がないわけではないのだろうが、それを主張しない。自分の都合と相手の都合がバッティングすると、必ず相手を優先する。それもかなり昔からの癖なのか、ものすごく自然に、相手に気を使わせることなくやってしまうのだ。  それが理由で、学生のころから良くモテた。外見が十人並みならそれこそ気弱な奴といじめの対象にでもなったかもしれないが、一九〇センチ近い長身に、バスケットで鍛えたスタイル、そして今は髭で隠れているがセクシーで甘いマスクをしている。その上、来るもの拒まずなら、モテないほうがおかしい。  アリシアはテーブルの上におかれたPCのブラウザをみる。既に立ち上がっている画面は何度も見たTVガイドの動画である。その関連動画の中にある画像をアリシアはマウスを動かしてクリックする。  でてきたのはすっかりお腹が大きくなったキャシー・レーモンだ。彼女はそのキャラクターから現在は妊婦向け化粧品のCMに抜擢されているのだが、その会見の中で、自身が出るはずだった『スキャンダル』について、応援らしきメッセージを出しているのだった。その中で、 「ジェラルドは素敵な人です。優しいし、気遣いが細やかで。今回はいろいろとお騒がせして、私は降板になってしまいましたけど、それがすごく残念で。いつかは一緒にお仕事してみたいですね」  そう言う彼女の笑顔を見ながら、アリシアは確信する。  ヤッたな、この女と。  怒りだとか、嫉妬だとか、そういう感情は生まれなかった。そういうものは、大学の在学時代に、彼の周りに絶えない人々に対して、さんざん消費しつくしてきたからだ。  それに、彼自身が自分に対して同じ程度の気持ちを向けてくれていたのか、アリシアには確信はない。  学生時代から、彼の身持ちの軽さは有名だった。誘われたらほぼ断れない。優しすぎるのだ。それだけではない。基本的に自分の感性に正直で、素直で、無自覚な人なのである。相手にほだされて、体を求められたら、まるで自分を男娼のように女たちに切り売りし、さし出してしまう。愛があるかどうかは関係がないし、実際一人の人間と長く続かないのは愛がないからだった。そんな簡単なことにも無自覚だ。  そんな人に、アリシアは夢中になった。彼の優しさと豊かな才能に惚れた。半ばノリでどちらかが言いだした結婚に同意したのは、それによって彼は愛情を知り、男娼のような生活から抜け出し、アリシアの元にずっといてくれるだろう。彼はもっと輝き、自分たちにはもっとすばらしい関係が生まれてくる。そう、信じていたからだ。  だが結果は、彼は家庭という鎖に自分で自分を縛り付け、アリシアに気を使いすぎて、自分の夢をないがしろにしているという現状だった。  その事を、彼の高い才能を知っているだけに、アリシアは同じ夢を追う者として心苦しく思っていた。思っていたが、彼女は彼女として自分の夢を捨てきれない。子供が生まれればアリシア自身の中に何か変化が生まれるかと思っていたが、それ以前に子供の世話をするのは誰か、という問題に立たされた時、アリシアは逃げてしまう自分を知った。そうしてジェラルドは、そんな彼女の内面を察知して、自分を抑えてしまうに違いなかった。  アリシアは何度も見た、ジェラルドのインタビューが入った動画を再生する。全部で二三分。監督から始まり、ジェラルドとユアンに移り、他の俳優やスタッフになる。その合間にスチールや撮影風景がインサートされている。  映像の中の彼は、アリシアの知っている、自由で才能あふれる、結婚前のジェラルド・ネイサンだった。  そして今の彼のユアンに対する眼差しが、切ないほど甘い熱を帯びている事を、女の感性は見逃さなかった。 「そんな瞳、私にも、誰にも、見せた事なかったじゃない」  自分では決して手に入れることのなかった光景に対する、多少の悔しさと羨望が胸から込みあげる。  目頭が熱くなり、砕かれたプライドは嗚咽となって漏れ出て、とっさに口元を押さえる。  彼を輝かせるのは、自分ではなかった。  それを思い知った時、玄関の扉の鍵が開かれる音がした。 「ただいま。結構、降ってるんだな」  傘がなかったのだろう。少し濡れたジェラルドは困った顔でリビングに入ってきて、肩にかけた荷物を下ろす。  アリシアは彼に走り寄って、首に縋りついた。 「アリシア?」 「ジェラルド、私達…………別れましょう」  ますます強くなり始めた雨の、窓を強く叩く音が部屋の中に響いていた。

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