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第22話 終わりと始まり③

 その夜中。  ふっと眼が覚めて、ジェラルドはベッドサイドライトをつけた。  隣では薄い下着姿のアリシアが眠っている。それを起こさないようにそっとベッドから降りて、シャワールームへと向かった。  頭から熱めのシャワーを浴びながら、ジェラルドは彼女の情熱がもたらした心地よい疲労を感じる。それでも、スキンなしのセックスをする勇気は二人ともなかった。 『子供は欲しい。でもあなたにも夢を捨ててほしくない』  彼女の願望は、現状の二人には難しすぎた。  これはなにも二人に限った事ではなく、だいたいの中堅までの俳優同士が結婚した場合、離婚へと至る最大の原因なのだ。 『愛している。でも、この仕事だけは完成させてほしい。それが終わったら、俺は俳優から身を引いてもいいから』  彼女にはそう伝えた。だが、言った本人も、言われたアリシアも、その言葉の空虚さをよくよくわかっていた。  ジェラルドは、やはり、妻の為に専業主夫になる事はできない。  アリシアは夫と子供の為に、パートタイマー女優にはなれない。  二人の夢の並行線上に、現在の結婚生活は存在できないのだ。  何より、ジェラルドは今、無自覚に本気の恋をしている。 『ユアンを見る、あなたの目は、尊敬ではなくて、まるで恋をしているようよ。妻として、それが私には耐えられないの』  アリシアに指摘され、一言も返せなかったジェラルドは、彼女の提案を受け入れるしかなかった。 『別れましょう、私達』  シャワールームを出て、鏡に自分の顔を映してみる。離婚という重大決定を前に、もっと凹むかと思ったが、案外普通の顔をしていたのが自分でも不思議な感じだった。  彼女を愛している。  ただ、彼女との関係は、家族として、同じ夢をもつ友人としての愛であり、ひりつくような渇望感も独占欲もなかった。  家族としてはそれがちょうどいいのかもしれなかったが、そのことがこういう結論を助長しているのは否めない。  もっと、肌を触れ合わせるようにしていたら、少しは違っていただろうか。  そう思うけれども、最後になるかもしれない今夜においても、彼女への気持ちは多少の寂しさ以外にはこれといって生まれてこない。  サヨナラの代わりに囁く愛しているよという言葉が、これほどしっくりきた夜もなかった。 「……終わってたのか」    それが最初からだったのか、いつからだったのか、ジェラルドにはわからない。  バスタオルを腰に巻いたまま、濡れた髪をハンドタオルで拭きつつ、リビングへと向かう。電気もつけない暗い部屋で、携帯がちかちかと明滅しているのに気がついた。  手に取り、電源を入れる。メールが入っている。  送り主はユアンだ。メールの内容は、ゲームのお誘いだった。  発信時刻は三時間ほど前。  ジェラルドは携帯に示された時計を見る。  彼がまだイギリスにいるのなら、現地時間はまだ前日だ。  何かの都合で夜の便を使ってアメリカにいるなら、連絡するのは非常識な時間でもあった。  ユアンの声が聞きたかった。  ジェラルドは少しためらいながらも着信記録から電話をかける。  二回、三回……。  呼び出し音が響いて、やはり迷惑になるだろうから、と終了ボタンを押そうとした時、 『ユアンだ』  慌ててジェラルドは携帯を耳に当てた。 「あ、ごめん。こんな時間に」 『いや。まだイギリスは日が変わってもいないよ』 「やっぱりそっちか」 『もう少し、時間がかかるようだ。撮影は?』 「明日から。ユアンのシーン撮りは後回しで、まずは今いるキャストの分を撮りきってしまう方向らしい」 『迷惑をかける』 「いつこっちに来れそう?」 『トライアルが始まるのが、いつになるか今の段階ではわかってない。始まってしまえば答弁なんて一日ちょっとで終わる。どっちにしろ、エージェントには調整をつけてもらってるから、近日中にニューヨークに行けると思う。時間はわからないな』 「ケネディーか、ラガーディか。迎えに行こうか?」 『車で?』 「持ってない。自転車ならあるけど』  ジェラルドは冗談めかして笑い、窓の外を眺めた。 「こっちは今、雨が降ってる」 『その影響かな。こっちもぐずついてる』 「今週はこんな感じの日が続くみたいだ。監督がちょうどいいって喜んでた。傘持って、電車かタクシーで迎えにいこうか? 荷物くらい持つよ」  何気なくジェラルドは言ったつもりだったが、ユアンは少し黙った。そうして、 『ジェラルド、何かあったか?』  彼の問いにジェラルドは言葉を失った。 『声が沈んでいる』 「は…はは……ユアンは、鋭いな」  なんとか笑いながら誤魔化そうとするが、声が震えた。  自分では離婚なんて大したことはない、学生時代だって多数の恋人と別れて来たじゃないか、同じ事だ、と思っているのだが、そうでもない。ダメージはじわじわくるものらしい。 「ちょっとね。電話じゃ、話にくいから、会ったら話すよ」 『そう』 「それより、ユアンはどうなんだ?」 『どう、とは?』 「親父さんの件」  ジェラルドの問いに、今度はユアンが沈黙する。自分の事をずばりと言い当てられて、とっさに切り返してしまったが、いきなりだったか、とジェラルドは少し後悔した。  謝ろう。そう思った時、 『電話では、話にくいから、会ったら話す』  同じ言葉を返されて、ジェラルドは思わず笑ってしまう。 『何?』 「いや。同じセリフ」 『…そういう時もあるだろう』  ユアンは照れくさそうにぼそっと言った。  電話の向こうで、ユアンはどんな顔をしているのだろう。  照れているのか、怒っているのか。どちらにしても、 「…会いたい…」  その言葉が自然とジェラルドの口から出ていた。  もしかしたら、ユアンはこんな台詞を言われて、呆れているのかもしれない。そう思ったが、構わなかった。 「会いたいよ、ユアン」  妻に指摘された恋心。  自分勝手で、力強くて、恐れを知らない。まるで初恋の熱だ、と、心の内で自嘲しながら囁く。 「会いたいんだ」 『私も…』  ユアンはそこまで言ったが、しばらくの沈黙のあと、通話は切れた。

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