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第23話 言えない罪①

 ユアンは切れた電話を手に、深くため息をつく。夜の闇と雨によって鏡のようになった窓ガラスに映る自分の顔は冴えなかった。  静かな環境が、堪える。不夜城のロサンゼルスのにぎやかさより、街灯も少ないここハスリングデンの静けさが実は好きだと思っていたが、今は暗闇に一人取り残されたようで、気が滅入る。  亡くなった母は財産として、ユアンと妹が離婚協議中から暫くの間を過ごしたこの母の実家と、彼女が最期を過ごしたウエストサセックスのタングミアの家を残した。タングミアは実妹が相続し、今は婚約者と過ごしている。今回の裁判の件を受けて、彼女は召喚の時が来るまで、しばらく家へ来ないかと気を使って誘ってくれたが、ユアンは断った。マンチェスターの刑事法院へは遠すぎる。チェシャーの父の家には弁護側の証人である継兄弟と保釈金を払って保釈された父がいる。そこへ行く事は出来ない。裁判がいつ終わるかもわからない以上、ホテルを長く借りることもできない。ここが一番適当だった。  でも今は、妹の家に行けばよかったかもしれないと、少し後悔する。  ジェラルドと電話で会話でもしていれば、少しは気がまぎれるだろうと見越した選択だった。しかし電話口の彼の声は、明らかに動揺していた。  何があったのか。  とても気になったが、時間も時間で、電話口で強く踏みこむ勇気はなかった。  それが逆に、彼に会いたい気持ちを助長する。 『……会いたい……会いたいよ、ユアン。会いたいんだ』  彼の熱を帯びた声と言葉は、悪魔の囁きのようにユアンを翻弄する。彼に対して罪は犯したくないのに、この内に抱えた恋心が歯止めを失いそうになる。  窓に近づき、外を眺める。 「私も、会いたいよ、ジェラルド」  彼に伝えたかった言葉を囁く。吐き出した吐息が、白くガラスを曇らせた。  父が、素直に罪を認めてしまえば、こんな面倒はなかったのに。  ユアンはマンチェスターに着いた早々、検察の刑事司法部があるプレストンの警察署へと出向いた。父親の逮捕、起訴、罪状認否までの流れと、次の自分が為すべきことを聞くためである。  ジミーは取り調べで無罪を主張した。警察が逮捕に行った時も、抵抗はしなかったが、納得もしていなかったそうだ。  ジミーが納得しなかったのは、「レイプ」で訴追されていることである。彼は当時の法律では被害者とされる女性の年齢は法律違反規定の範囲外であったし、合意の上だったから、その点においては無罪だと主張していた。  問題の、すり替えだ。  口にこそ出さなかったが、失笑しかできなかった。  それに、法で裁かれなければ、圧倒的な心理的力関係が下位の相手に、妻も子供もありながら、自宅で事に及ぶという、ありとあらゆる背徳を見なかった事にするのか。  ユアンは父親にそれを問うてみたかったが、検事は証人出廷が終わるまで、被疑者はもちろん、関係者である現在の家族らとも接触することを禁止した。  たぶんもう、問うことはできないだろう。  ユアンはそう思っている。裁判によって彼の罪が明らかになると同時に、知りたいことがあらかた出つくすだろうと思われるからだった。  電話が、鳴った。  ユアンは窓から振り向き、テーブルで小さく音をたてるi-phoneを見る。見た事のない電話番号だったが、ユアンは指で通話を解除した。 『兄さん?』  若い男の声に問われて、記憶を辿る。自分の事を兄と呼んでくる男性は、父の元にいる継弟しかいない。二人いるが、そのうちのどちらかなのだろう。 「誰?」 『ティモシーだよ』  下の弟だった。確かまだ一三才かその位だったと、ユアンは記憶していた。 「ティム、たぶん、父さんの携帯から番号を知ったんだと思うが、私たちはあまり話さない方がいい。弁護士にも、検事にも、そう言われなかったかい?」 『でも、僕は、信じられなくて。兄さん。兄さんは本当に、父さんの罪を、見たの?』  ユアンは暫く答えなかった。  脳裏には忘れもしない八歳の時の記憶が、その時に受けた衝撃と決意と共にまざまざと思い浮かぶ。  心が動揺し、口調が荒っぽくなる事を恐れ、ユアンは少し目を閉じると、出来るだけ穏やかに、ゆっくりと、低い声で言った。 「……裁判に関わる事は、一切言ってはならないと言われているんだ、ティム」 『答えてよ』  ユアンからしてみれば、まだ子供という年齢の継弟は、自分の父親の知られざる過去を暴かれ、明らかに動揺していた。きっと、逮捕の際に聞きたくない事実も聞いたのだろう。可哀そうに。そう思った。  ただ、ここで真実を答えてやることも、嘘をつくこともできない。 「……父さんは、なんと?」  ユアンは問う。 『何も。人を愛する行為が、罪に問われるのは間違ってるとしか』 「お前は、どう思う?」 『わからない。僕は幼い子を好きになった事はないし、彼女もできたこと、ないから』  語尾は消え入りそうな程だった。  ユアンは、彼が小さく鼻をすする音を暫く聞いてから、再び、穏やかに言って聞かせた。 「ティム。私も、人を愛する行為や心が、罪に問われるのは、正しい事だとは思わない。だけど、世の中には、愛しているからと言って全ての事が許される訳でもないんだ。その愛は当事者たちにとって崇高かもしれないが、社会や道徳規範の中では背徳でしかないこともある」 『それは結局悪いって事? それを父さんはしてしまったってことなの?』 「今は言えない。ただ、世の中には罪だとわかっていながら、それを犯してしまう自分から、逃れられない人間もいる」 『答えになってないよ』 「うん。それが答えだとわかるのは、きっともっと先だ。君が大人になったら、少しは理解できるかもしれない。でも今は、私たちは、これ以上、話をしない方がいいし、話せる事はないんだ」  ユアンはそう言って、静かに電話を耳から下げると、通話を切る。  窓の外を眺めたまま、ユアンは雨の音に耳を傾けた。

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