26 / 27
第26話 言えない罪④
翌朝、二人は早くからハスリングデンを出ることにした。
朝のラジオのニュースラッシュ帯が終わる前に軽く済ませ、身支度を整えて出る。ユアンの家にはコーヒーとブラン程度しか台所に置いていなかった。
外に停められた車には、昨日と同じく運転席にはユアンが、助手席にはジェラルドが乗った。
大あくびをかみ殺すジェラルドを横目に、ユアンはサングラスをかける。
「昨夜はよく眠れたかい? 客間だからソファベッドで悪いけど」
「おかげさまで。トレーラーハウスよりは落ち着いて眠ったよ。さすがに10時間近い空の旅は疲れてたらしい。夢も見ないで朝が来た。シャワー、勝手に借りた」
「構わない」
エンジンをかけ、車は走り出す。今朝は昨夜走ってきた道を辿って南下することになるが、車が進行方向逆で留まっていたので、方向を訂正するために少し街中の道を走った。
「静かだな。寂れてるわけでもなくて、ただ穏やかな。昨夜もそう思ったけど」
窓を開け、ジェラルドは風を顔に受けながら言った。
「昔からそうだったと思うけど、高速が出来てからは特に、マンチェスター市街の新興住宅地になりつつある。昔はもっと家が少なくて、教会の森は深かったように思う。公園のように整備されたのはここ20年くらいで、妹とここへ来た当初は、手つかずの森をあちこち冒険して回った」
「割と、アクティブなんだな」
「言っただろ。日が暮れるまでサッカーしてた普通の下町の子だったって」
「今もサッカー出来るの?」
「リフティングは、4回が限度だね。スポーツは観るものだ」
車は昨夜北上してきたマンチェスターロードへと出る。そこからA56線、M66線へ入ればあとはアクセルを踏んでスピードを上げるだけだ。
ユアンも窓を開ける。霧の多いイギリスの朝には珍しく、心地よい朝日がユアンの白い顔を照らし、きらきらと金色の髪が光を反射する。
ジェラルドは時折風に乗ってくる彼のシャンプーの匂いに鼻腔を擽られ、その顔を横目で見る。
綺麗だ。相変わらず。そう思わずには居られなかった。
「何?」
視線に気がついたユアンがちらりとサングラスの端からジェラルドを見る。
「え…と、どこへ?」
「マンチェスターへ。事件は正式起訴を受けて、マンチェスターの刑事法院へ管轄が移ったから、検事もそっちにいる。昨日はM60を通って、市街を迂回したけど、今日はもうブレストウィッチのジャンクションからそのまま入っていくよ。ただ朝の出勤ラッシュと重なってるから、昨日の帰りより少し時間がかかると思う」
言ったそばから渋滞の尻尾が眼前に迫り、ユアンはブレーキを踏んで減速する。ニューヨークの街中と違って、渋滞と言っても全く動かない状況はあまり発生しないが、高速道路という名前に見合うスピードが出せるわけでもなかった。
窓の外には緑深い稜線と、長閑な田園風景が広がる。平原のため、全体的に空が広く感じられるのはアメリカも一緒だが、乾燥しきった砂の大地とは趣の違う風景を、ジェラルドは珍しそうに眺めた。
「眠るとき、闇の中に沈んでいく気分だった。森が深くて、闇が濃い気がする」
「私も昔からそう思っていた。一人になるにはいい環境かと思ったけど、意外に堪えた。気晴らしに君の声を聞きたくて連絡したけど、元気がなかったね。心配した」
ユアンの優しい呟きに、ジェラルドは彼の横顔を見る。
「話せるなら、今、聞くよ」
「今は、ちょっと。せっかくの一日が、台無しになりそうだから、後で」
ユアンはまたアクセルを深く踏み、車はM66線へと入る。
そのまま、車内で二人は全く言葉を交わさなかった。そのことに耐えきれなくなったのはジェラルドで、ラジオに手を伸ばす。
流れた歌はよく知らないタイトルだったが、メロディーラインを追いながら軽く口ずさみ、外を見る。歌が、最後の間奏に入ったところで、ジェラルドは言った。
「マンチェスターの裁判所に行くのか?」
「公訴局」
「って、何?」
「アメリカで言う検事局みたいなものかな。警察署内にも出張所みたいに、刑事司法部って言われるところに何人か検事が詰めてるが、父の事件の担当検事は今日は公訴局にいるらしい」
そのまま車はM66線を走り続け、やがてブレストウィッチのジャンクションへ入る。市街地へとつながるA56線に入ると、急に車の流れは通常の制限速度以下になり、風景は住宅や商店が道の左右に連なる。
信号も見られるようになり、赤で止まった。
「父が、素直に罪を認めていたら、こんな面倒はなかった」
ユアンはとんとんとハンドルを軽くたたき、苛立たしげに言った。これまで父親の事を語る時は努めて穏やかさを保っていたので、ジェラルドには少し意外だった。
「無罪答弁なんかするから」
「有罪なんだろ?」
「私が見た。その上、どうやら今回の告訴は、詳しく聞いてみたら被害にあったとされる女性の方からだったらしい。二人も強力な証言者がいる事を父は知っている」
信号が青になり、ユアンはギアを入れる。発車は心持ち荒っぽくジェラルドには感じられた。
「トライアルが遅れている理由は、当の彼女自身が出廷を拒んでいる事もある。それが裁判の遅延に拍車をかけ、父は弁護士に高い日給を払い続ける結果となっているんだ」
「彼女が出廷すると言えば、もっと審理日程は早く決まったわけか。まあ、レイプ被害を訴えるんだから、やはり尻ごみするのは分かるが、それだったらいっそ訴えを取り下げればいいのにな」
「それはしないらしい。検事の意地か、告訴した女性の気持ちを尊重したか……。検事の腕もたぶんそんなに高い方じゃないんだな、きっと。そうでなければ父の弁護士が腕が高いんだ」
「ユアンは、証言者を降りるのか?」
「そのつもりはない。ただ、国外に出る事は理解してもらうつもりだ。私としてはてっきり証人喚問を終わらして早々に国を出られると思ってたんだ。それがこんなに時間がかかるなんて、予想外だった。今回の仕事に穴をあけた責任は検事にも、エージェントにも、それなりの代償を払ってもらわないと帳尻が合わない」
ユアンは眉間に深い皺を刻み、眉を逆八の字にして語気鋭く言った。
ジェラルドは初めてユアンが睨みつけた時の事を思い出す。あの時は彼の鋭さにひやっとしたが、今は不思議とそれほど恐れは感じなかった。むしろユアンがジェラルドに見せる感情表現の全てが嬉しくすらあった。
やがて車はマンチェスター市街の幹線道路を横切り、電車の陸橋を潜って市内に入る。橋を二つほど越えて、キーストリート沿いの、古びているが普通の雑居ビルらしい石造りの建物の中に、オフィスはあるらしかった。
その前の通りは二車線しか無かったが、少し先の交差点の左折用に少し広めにとってあることをいいことに、ユアンは気にせず前に停めた。
エンジンをかけたまま先に車を降りると、ジェラルドに運転席へ座るように指示する。
「邪魔になりそうだったら、移動させてくれ。そこの先にある交差点を時計回りに回ってたら、さっき来たA56に出るから。車線、間違えないように」
それだけを言い残して、ビルの中へ消えていく。突然の任務の内容を理解するまでに時間のかかるジェラルドを残して。
結局、再び彼が車に戻ってくるまでに、ジェラルドは訝しげな見回り警官の視線と、邪魔扱いして来る車に威嚇され、6回ほどぐるぐると同じ道を回らねばならなかった。
ともだちにシェアしよう!

