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第27話 言えない罪⑤

 A56を通り、中心街から出て、川沿いに南下すると、大きなスタジアムが見えてくる。  その駐車場は決して狭くはなかったが、びっしりと車が駐車し、赤のユニフォームと青のユニフォームを着た応援者らしき人々の姿も見えた。 「人が多いね」 「今日の試合は人気のカードだからね」 「どことどこ?」 「マンチェスターシティとマンチェスターユナイテッド。伝統の一戦」 「野球で言ったら、ニューヨークヤンキースとニューヨークメッツの試合みたいなもの?」 「そうだね」  ユアンはご機嫌な笑顔で車から出ると、子供のように足取りも軽くスタジアムの方へと歩いて行く。  観客席は見渡す限り人だらけで、その人々が青と赤で真っ二つに分かれている。ユアンの席は赤い悪魔の真っただ中にあった。 「ユニフォームとか、着るの?」  試合はまだ始まってもいないのに、興奮でやかましい客席で、こころもち大声を張り上げてジェラルドは尋ねる。 「持ってるし、着たいけど、エージェントが『イメージ崩すから、それだけはやめてくれ』って言うんで、着た事ないかな」  ユアンも少し声を張り上げて答える。  赤いユニフォーム姿のユアンはきっと可愛いだろう。それを想像してジェラルドは軽く笑った。  試合はサッカーにあまり興味のないジェラルドでも十分、隣に座っているユアンに至ってはスタッフ一同のゲーム大会で勝った時にすら見た事もないような興奮をみせる程の盛り上がりで終始した。結果はドローで終わったが、大声を張り上げ、オーバーアクションで喜び、応援することで、二人ともここ数日のフラストレーションが吹き飛んでいった気がした。  車でなければこのままパブに繰り出そうという流れになるが、これから二人はまた40分ほど北上しなくてはならない。ユアンの家の冷蔵庫には何もなかったので、今日のお礼にとジェラルドが料理をすることにして、二人でスーパーへ買い物に出かける。 「酒の購入で、免許がパスポートを出さなきゃならないなんて、初めてだ」  スーパーから出る時に、食材を入れた紙袋を持ちながら、財布から取り出したパスポートを仕舞うのに苦労するジェラルドがぼやく。  その隣で酒の入った袋を抱えたユアンは、 「私は30過ぎても時々言われてたから、慣れたな。言われなくなったのはここ数年だ」  と平然と言った。  まるで、デートだ。  車で来た道を北上しながら、窓の外を眺めるジェラルドは、今日一日の出来事を反芻し、思わず顔がにやけた。 「今日は、楽しかったよ」  運転しながら、ちらりとジェラルドを見たユアンが言った。彼に窓に映ったにやけ顔を知られまいと、ジェラルドは表情を戻して振り向いた。 「デートなんて、この年までしたことなかったけど、こんな感じなんだろうね」 「ホントに? あんたほどの人が?」  ジェラルドは頬杖をついたまま、にやにやとユアンを見る。 「無いよ。あんまり人付き合いは得意じゃなくてね。飲みに行ったりすることはあったけど、昼間に遊びに行ったり、これから手料理まで作ってもらえるなんて、初めてだね」 「自炊は?」 「あまり。外食か、でなければ簡単にすませてしまう方。ジェラルドは? って、聞くまでもないかな」 「ふふん。主夫の実力、見せてやるよ」  ジェラルドはそう言って、生意気な笑いをユアンに見せた。  ハスリングデンの家に戻り、ジェラルドが台所に立つ。190センチを超える大男には少し小さなキッチンで、肩身狭そうに料理を作る姿が、ユアンには微笑ましかった。  夕食がテーブルの上を一通り彩ったのは午後8時を過ぎた頃。  ユアンの家にはテレビがあったがアンテナがない。DVD鑑賞用だという。テレビをつけない生活に慣れていないジェラルドは、代わりにラジオをつけた。  ビートルズ特集をしているらしく、ジェラルドでもよく知っているナンバーが流れる。 「テレビ見ないの?」 「あんまり。でもこれからは見ようかな。君が出ているかもしれないし」  ユアンは豆のスープを口にしつつ、上目遣いで正面に座るジェラルドを見る。その姿が少し婀娜っぽく、ジェラルドは思わず視線を逸らして尋ねた。 「ところで、検事は何だって?」 「一時出国は認めるらしい。ただし、召喚されたらすぐに帰国できる手配はできるようにしてくれ、と」 「じゃあ、明日にでもアメリカへ?」 「それはどうかな。エージェントに今夜連絡をとってみるけど、最低一日は調整に必要じゃないかと思う。それに、今抱えてるイギリスの仕事の事も整理しないといけないし、不動産屋にも連絡しないと」 「不動産屋? どうして?」 「この家を手放すから」  ユアンはスプーンを置いて、ライ麦のパンを手に取ると、小さくちぎって口に入れた。  それが飲み込まれるまで、In My Lifeが流れるのをジェラルドは聞いていた。 「今すぐの話じゃないんだが、『スキャンダル』のシーズンラストを目処に、本拠地をイギリスからアメリカに変えようかと思ってるんだ。アメリカのテレビドラマの仕事をもっとやってみてもいいかな、って思ってね」 「どういう気分転換?」 「君に影響されたんだよ、ジェラルド。こんなにテレビの仕事が楽しいと思えた事はなかった。それに今回の仕事に穴が開いた件でいろいろと踏ん切りがついた。エージェントも変えた方がいい。今度の裁判で、もう父とは決別することになるだろう。そうなったら、この家はもう私には必要ない」 「いい場所だけどな」 「別荘に取っておくには、いい思い出も、悪い思い出も、柵が多すぎて私には手に負えない」  ユアンは苦笑し、再びフォークを手にとって、サラダに手を伸ばした。  その夜は、穏やかに過ぎていった。 「野菜メニューばかりで、これだけ豊かな食卓ができるんだな」  そう言ってユアンはしきりに食卓の内容に感心し、ジェラルドは笑顔で応える。  特売のワインを傾け、今日の出来事を語り合う。  検事がユアンに凄まれて、逆に委縮してしまったとか、サッカー観戦でしくじった選手にユアンがぶつけた罵倒があまりにも口汚くて、隣の観客がドン引きしていたとか…。  たまに仕事の話にもなる。スタッフに早く会いたいと、ユアンが楽しそうに言うのを、ジェラルドはいつもより早いペースの酒による酔いに半分蕩けた目で、複雑な心境のまま眺めた。  仕事に戻りたい。でも、このままずっともどらなければいいのに、そう思わせる現実がジェラルドにはある。 「時間が止まればいいのに」  目の前でワインが底に残る程度のグラスをゆらゆら揺らしてジェラルドはひとりごちる。グラスの向こうでユアンがジェラルドの言葉を待っていた。 「……離婚することになったんだ」  突然の告白に、ユアンは何も答えなかった。無表情に目を瞬かせてぼんやりとジェラルドを見ている。  聞こえなかったのか、聞こえないふりをしたのか。  どちらにしてもユアンは受け取らなかったのだとジェラルドは理解して、 「ごめん。聞かなかったことにして」  軽く笑って流そうとしたが、ユアンは少し視線を下げ、困った様子で考えてから、 「気の利いた慰めが浮かばなかった」 「動揺させた?」 「私自身が結婚していないから、答えに困った」  困惑した顔もジェラルドには可愛かった。 「あの日は、結構じわじわきてた…。今も。突然アメリカを飛び出した理由は、それもあるんだ。離婚手続き中で妻の家にいるわけにもいかなくて、かといって姉の家で仕事もなくいるのも辛かった」 「離婚の、原因は?」 「さあ。いろいろあるかな。最大の理由は俺達二人がそれぞれの夢を追うためには、結婚生活は支えじゃなくて障害にしかならない、っていうこと。小さな理由は俺がどうしようもない浮気者で、彼女はその浮気が本気になってるのが許せなかったってこと、かな」 「あのトレーラーハウスで、浮気してたのか?」 「ああ………………あんたにね」  ジェラルドの言葉に、ユアンは目を見開いた。対するジェラルドは憐みを乞う信者の様子で、 「……俺は、あんたに恋してるんだ」  グラスごと、ユアンに手を伸ばした。  曲が変わり、部屋の中にI Want To Hold your Handが流れる。  ユアンは、言葉が出てこなかった。  これは、罪だ。  だが、救いだ。  二つの意識のせめぎ合いが、思考を、行動を硬直させる。ジェラルドの答えを求める手を握ることも、拒絶することもできず、ユアンはただじっと見つめ続ける。  ジェラルドはユアンを見つめたまま、ふっと笑う。その次の瞬間、彼の頭はテーブルにことんと横たわり、手にしたグラスが力なく手から離れて、中のワインがテーブルに紫色の小さなシミを作った。  ユアンがジェラルドの顔を覗き込むと、彼は小さく穏やかな寝息を立てて眠ってしまっている。 「ジェラルド……」  ユアンはジェラルドに近づくと、泣きそうな気持ちでうやうやしく額を当て、その頭をそっと抱きしめた。

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