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第29話 日常を演じる②
「どうして俺が助けられる役なんだ?」
準備控え室代わりに用意されたトレーラーハウスの、シャワー室から白いタオル地のバスローブに身を包み、頭をガシガシとタオルで乾かしつつ出てきたジェラルドは開口一番、不満満開でそう言った。
「だって、危険な仕事は君の役だから。私の仕事は陰謀渦巻く組織内での間諜」
先にシャワーを浴びて、アンダーシャツ代わりに着ている白いTシャツとカジュアルなチノパン姿でスタイリストに髪を乾かされるユアンは、平然と言ってのけた。
納得がいかない、という顔でジェラルドが尋ねる。
「その場合のピンチっていうのは何かな」
「少なくともドブ水を飲む事ではないと思うね。牢屋に入れられて、拷問とかはありそうだけど」
「それを助けに入る側も、ただじゃ済まないよな」
「肉体労働は基本、君のお仕事」
サラサラに髪が渇いた段階で、ユアンはスタイリストに礼を言う。今日の撮影はここまでだ。彼は私服の軽い色のチェックのシャツを羽織った。
ジェラルドにも別のスタイリストが入ったが、彼は気遣われる事を拒んでタオルでががっと頭を拭いた後、髪が半乾きも気にせず、さっさとTシャツとジーンズに着替える。
「これからどうする?」
「とりあえずご飯かな。君に食べられる余裕があるなら」
「テイクアウトじゃダメ? 今日は疲れた。すぐに寝たい」
寝る、という言葉に、ユアンの心臓が強く反応していた。
冷静になれと自分に言い聞かせて、普段通り、スタッフに礼を言って現場を離れる。
その後をジェラルドがついて行く。スタッフ達の間では、彼が既に離婚協議に入っていて、宿無し状態をユアンが面倒みている、という認識は周知されていた。
『しばらく、泊めてくれないか』
イギリスを出る前、離婚の為にニューヨークでは宿がないのだとジェラルドは言った。それを踏まえてのその言葉に、ユアンは心中穏やかではなかった。
それもこれも、ジェラルドがユアンに恋しているという告白をするからだ。
蕩け切った目で、セクシーな唇で、熱烈な求愛の手で、惚れ切っている相手から求められて、感じない方がどうかしている。
しかし、それを素直に受け入れることは、ユアンにはできない。
自身の本性と過去については知れば、きっと今の、この心地の良い関係が失われてしまうだろう。それが怖かった。
だから曖昧に誤魔化す。
どんなに露骨な愛情表現を示されても、好いてくれているのは嬉しいよ、と年上の余裕を演じて、線を引く。ものすごい理性を駆使して。
なのに…。
「ユアン」
大通りに出る前の、人気の失われた路地で、ジェラルドに手を引かれる。
そのまま軽く壁に押し付けられるようにして、ユアンはジェラルドと見つめ合った。
切ない目だ。熱に浮かされて、潤んでいるように見える。
「な、何?」
「いや…。前髪降ろしてるのが、かわいいな、と思って」
口説き文句にもならない言葉を言って、ジェラルドは前髪にそっと触れ、少し俯き気味のユアンの顔を覗き込むようにして顔を近づけてくる。キスを求めているのだというのが分からない、なんて、カマトトぶって逃げることなどできはしない。
「ん……」
唇と唇が触れる。拒絶すればいいのに、それができない。一方で体はジェラルドの唇を、舌を、甘く誘い、自我を解放してしまえと囁くのに、それもできない。
撮影の時も、一瞬、理性を失いかけた。仕事で役より我が出るなんて、『大罪』より後には、なかった筈なのに。
ジェラルドの体がユアンの体に密着する。体重をかけ過ぎまいと彼の力強い右腕がユアンの耳元で自身の体を支え、左腕はユアンの腰を抱く。
興奮で、二人の息が上がる。ユアンもジェラルドの体に腕を回そうとしたが、鉄の意志で柔らかく二人の間に腕を差し入れて距離を作り、笑顔をつとめて顔をあげた。
「ユアン?」
「お腹がすいたな。やっぱり、ご飯を食べに行こう」
不満げで、不安げなジェラルドから離れて、ユアンは大通りへと先に歩きだす。
これでいい。
でもいつまで、こんなことが続けられるんだろう。
そう思いながら。
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