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第5話
「よし、綺麗だね。
それで今日も失敗?
まったく、学ばないねぇ。」
この傷のどこが、綺麗だと言うのか。
込み上げる吐き気が喉を締めていく。
「ん~~、…靴の中の、サイコロ見ただろ…。
もし、賽の目が1なら、今日は見逃す。
しくじったら両手、分かるよねぇ。
…それで、どうしたい?」
どろどろと粘度の高い声で尋ね、取り出したサイコロを上へ放り投げては、掴み転がす。
選ばせる気など毛ほどもありはしないくせに、。
ただ、静かに男からサイコロを受け取る。
先ほどと変わらず、小さく一般的なサイコロと違い、ガラスで造られ、全体が真っ黒の目の色がはっきり目に付く。
小指の先ほどしかないもので、未来が決まるなんて、、馬鹿げてるが…、
その少しの可能性にも載るしかない自分は、もっと大馬鹿だろう。
男へ両手を差し出し、サイコロを放り投げた。
どうせ、見たところで意味がない。
それでも期待を捨てきれず、ちらりと弱く転がった賽の目を確認する。
「へぇ、おめでとう。…今日は家に帰りな」
何度もまばたきを繰り返し、目を凝らした賽の目は1だった…。
サイコロを拾い上げ、手の上で転がし、コロコロと床に放り投げた男から、自分の腰へかけられていた両足が離された。
我に返り転げるように距離をとり家へと帰った。
信じられない、本当に、現実なのか、。
あの男から、一度も暴力を受けることなく、見逃してもらえる日が、あるなんて。
繰り返し失敗し、取り返せも、やり返せもしないまま、ただ、重圧や責任に押しつぶされていく。
日々の中、あの男の思い通りにならないことが、
たとえ偶然でも起きたことに、涙が伝う。
取り返せる、きっとやり直すことができるのだ。
そんな期待を胸に次の計画を立て興奮の中、眠りにつく。
通りかかる店から見える小物やすぐ横を通り過ぎるコスプレをした姿が目につき、今日がハロウィンだと気づく。
普段ならば、包帯や絆創膏に塗れてミイラのような姿で歩いているのは自分だというのに、
…そんなことを考えながら男の家へ向かう。
スーツ姿や怪物の姿が入り乱れる交差点で、
見えた後ろ姿に驚き、進路を変え、急いで男の姿が消えていった路地へ走る。
薄暗く鼻を塞ぐ汚れた空気に、狭い場所を通り姿を探す。
いや、…やはり、気のせいかもしれない。
見えない姿に考え直し、もと来た道へ踵を返す。
その時、視界の隅に写った姿へ息を潜め、様子を覗う。
「お前ならわかるよねぇ、…俺の望み」
スマホを耳に当て、誰かへ指示を送る姿に、
聞こえてきた声は普段とは違い、低く耳を疑うが、間違いなく、あの男だ…。
少しも気がつかないまま、何かを話している男に、逸る気持ちや浅くなる呼吸を整え、
男から盗んだ中身入りの注射器を取り出し、忍び寄る。
きっとこのチャンスを逃してしまえば…、
もう、残り少ない約束の日に間に合わない。
そうなれば、次は、どんな目に遭わされるか…、
考えただけで頭が真っ白に染めあげられ、動悸が激しく鳴り始める。
「そう、それでいい。
あの、ハゲはお前に任せる」
ハゲと聞いて、頭に浮かぶのは先輩だけだが…。
もはや、あの先輩だろうと、誰だろうと、どうでもいい。
こつこつ、痛い目に遭わされながらも、必死に集めてきた錠剤を溶かした物だ。
…男には、耐性があり効かないかもしれないが?
造り上げたプレゼントを無防備に晒されている背中に覆いかぶさり、素早く打ち込む。
「ーー?」
短く何かつぶやき振り返った男を気にせず、
中身を押し出し、空になった注射器を回収する。
ポケットに注射器を入れ、地べたに倒れ込む男へ跨り口を押さえ、男の身体へ持っていた小型ナイフを何度も振り下ろす。
そうだ、痛い思いは、…したくないだろう。
だから、はやく、はやく死んでくれ。
一心不乱に突き立て、真っ赤に濡れた手から滑り落ちたナイフを慌てて拾い上げ、ハンカチで包みこむ。
憎い男の顔を覗き込む。
爪を剥がされ、丁寧に骨を砕かれた自分のように、青白い顔をし、浅い呼吸を繰り返している姿へ
歓喜して見えた男の瞳に映る自分の顔は、見慣れた醜悪な笑みを浮かべていた。
そのまま、男の至る所を弄り、見つけ出した鍵を握りしめ、倒れ込む男の身体を路地の奥へ引きずり捨て走る。
道中の公衆電話で、救急車を文章の読み上げ機能を使い通報し、男の家へ向かう。
通りで見かける血みどろ姿に、名前も知らない怪物の格好をした人々に混じる。
男の血がびっしり付着したくたびれたスーツに、
酷い顔色を晒し、走り続ける自分は人間なんだろうか…?
もたつくで指で開けたさきで、見えた扉へ飛びつき、奪った鍵を差し込み、床を踏み荒らす。
部屋の奥へ行き男から奪い取った鍵を差し込み、ドアノブを回す。
「わん、わん!」
開かれた扉から元気よく飛びかかってきた衝撃に耐えきれず、床へ尻もちをつく。
ベロベロと顔中を生暖かい舌で舐められ、
尻尾を千切れそうなほど振り続ける雪を抱き締め、ようやく立ち上がる。
あぁ、…良かった。
ほんとうに、取り返せる、なんて…。
少しも思えなかった長い日々も、ようやく、これで…終わりだ。
付着した男の血液をすべて拭い取り、置かれていた真新しい衣服へ着替える。
贈られた指輪も、アクセサリーも、その場に投げ捨てた外す手間のかかるピアスだけは時間を考え、
そのままに、
最後に見た時より重たく感じる雪をしっかりと抱え直し、男の家から飛び出す。
店で買ったキャリーバッグに雪を入れ、タクシーへ乗り込む。
「お客さん、…何か、悲しいことでもあったんですか…?」
気遣わしげに声をかけてくる運転手に首を振り、
呑気に尻尾を振る丸々した雪を見つめながら、流れる涙を拭い続けた。
到着した実家の前で降り、荷物と雪を抱えインターホンを鳴らす。
「…は~い!」
最後に聞いたのは、いつかも覚えていない母の声に、さらに涙や鼻水が流れ出る。
開かれた玄関から出てきた母へ雪を抱えたまま、
飛びつくように抱き締めた。
突然のことに困惑しながらも、
「あんた…!
ずっと、連絡もしないで、いきなり雪ちゃん連れて帰ってきて、どうしたの…!
何かあったのかい?!」
ずっと問いかけてくる母の声に返事をすることなく、ただ力を入れる。
やがて母の声を聞きつけ、リビングから聞こえてきた穏やかな声に溢れ落ちていく涙を堪え、
雪と大金の入った袋を渡し、掴もうとしてくる手を避け、名残惜しい姿を焼き付けたまま玄関の扉から飛び出す。
そのまま、近くの警察署へ赴き、
「人を刺しました…場所は」案内された部屋へ入り説明を始めたが、
「うぅん、あなたの言ってる場所ね。
救急車が確かに1台出動してるけど、刺されて倒れてる人はいませんでしたね。
それに、ほら、あ~、…今日はハロウィンでしょう?」
しかし、いくら話しても信じてもらえずナイフや注射器を見せる前にいたずらだと思われ、追い出されてしまった。
倒れていなかった、、、…そんなはずはない…。
これはすべて、…都合の良いゆめなのか…?
最後に見た姿は確かに倒れ込み、浅い息を繰り返し血まみれだった。
いや、他に恨みを持つものに回収されたのか、
しかし、もし、…男が生きているのなら、
とどめを刺しに行かなければ、、。
そう考えまたタクシーに乗り、路地裏へ歩いて向かう。
辺りが暗くなり、さらに先が見えづらい路地を壁に沿いに歩き、男を引き摺り運んだ場所へ足を動かす。
は、は、短く浅く吐き出されていく呼吸が響く。
やがて、見えてきた地面にしゃがみ、手で地面をなぞる。
僅かに指に付着した血液を眺め、確証を得ながら、また地面を見つめ、考え込む。
突然、背後から肩に置かれた手に驚き跳ね上がりながら後ろを振り向く。
「あんたに伝言。
おめでとう、…まさか、負けるとは思わなかったけど、楽しかったよ…。
確かに伝えたからな」
フードを目深に被りポケットに両手を入れ、
黒いマスクを付けている少年へ驚いて固まっているうちに、話された内容に驚き、去っていこうとする少年の腕をつかむ。
「あ、の、…男は、、生きているのか…?」
からからに枯れた口から声を絞り出し、信じられない気持ちで尋ねる。
そんな、あんなに刺したのに、死んでいないのか…。
「あんなんじゃ、…アイツは死なないよ。
なんせ、ゴキブリ並みだからさ…。
可哀想なアンタに、…一つだけ教えてやる。
精々、あいつには見つからないよう気をつけな。
…じゃないと次は部屋から出られないから。」
うそだ、嘘だ、まだ、解放されてないなんて…。
いや、そうだ。
取り返せてもあの男が生きているんじゃ、まだ自由にはなれない。
なんで、、そんなこともわからなかったんだ…。
馬鹿な自分を責め立てながら「ありがとう。」少年へ礼を告げ腕を離す。
「達者でね」
去っていく姿を今度こそ引き止めず、急いで家へ戻り解約し、退職届けを提出しにいく。
両親にも何も聞かず共に引っ越してほしいと伝え、
すべての金を引き出し、そのまま銀行や電話など思いつく限りを解約し、ネット環境も、公共の乗り物もなにもない。
還暦を迎えた人たちだけが住む集落へと信頼できる伝手を使い引っ越した。
あの男から渡された忌々しい紙切れの束に、金色の重りが、役に立つ日が来るとは思わなかったが…、。
ほそぼそと暮らせば、どうにか家族で生きていける。
とにかく、この街を離れなければ…。
そんな思いで越してきたが、昔ながらの知り合いもいるお陰で、
毎日、畑仕事に地域の集まりにも、顔を出すようになった両親も雪もあっという間に馴染んだ。
「ねぇ、…母ちゃんは…ここに越してこれて、良かったけどさ。
あんた、そろそろ、あたしたちに何があったのか。
話してくれんかね、その…」
柔らかく優しい手つきで取られた自分の手をそっと離し、気遣わしげに顔を覗き込む母から目を逸らした。
「何も、無かったよ。
とにかく…ありがとう。母さん」
部屋へ差し込む日照を浴び、欠伸をする雪を撫で背中を向ける。
しばらくして諦めた母が、日課の買い物へ行くまで口を開かなかった。
両親には感謝している。
たばこ、酒すらも嗜まなかったはずの息子が、
突然、ピアスを両耳に隙間なくつけ、袖や服の隙間から覗く入れ墨だらけの姿で押し掛けた自分を受け入れてくれた。
そして共に片田舎に引っ越し、こんな引きこもりになってしまった自分を気遣う母に、なにも聞かず黙って傍にいてくれる父。
2人には、感謝してもしきれない。
ー1年。
あの男に受けた傷は、まるで、あの時振りかざしたナイフが、自分へ突き刺さったように塞がらない。
流れ行く月日の中、
ずっとあの男が次の生贄を見つけ、自分のことなど忘れてくれるのをずっと祈っている。
薬による禁断症状に、男から植え付けられた悪夢が忘れられることだけを考え続けた。
もしかしたら、あの男が、ここへやってくるかもしれない。
誰かが、男に自分のことを売るかもしれない…。
そういった不安が絶え間なく訪れ、今も隣に立ち、ニタニタ嗤い続け、
「どうするの。
このままじゃ見つかるかもねぇ…?
あ~、そうだ。
降参して自分から逢いに行けば、、痛い目には遭わないかもよぉ」
そう語りかけてくる男の幻覚に耳を塞ぐ。
ー冗談じゃない、2度と、あんな男に会って、たまるか。
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