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第9話

それは、怒りでも、絶望でもない。もっと、静かな確信。 夜中、悠は目を覚ましていた。眠れないわけじゃない。ただ、眠る必要がない…そんな感覚。 隣で、絢聖が規則正しい呼吸で眠っている。それだけで、胸が痛む。悠は、天井を見つめながら考えていた。 今日の食事のこと。父さんの視線。絢聖の声色。あの一言。 「落ち着きます」その言葉が、頭から離れない。 ——あれは、誰に向けられた言葉だったのか。 秋頼にか、それとも、自分に? 考える度、背中に冷たさが走り、息が乱れる。身体が答えを知ってしまっている。 悠は、ゆっくり体を起こす。絢聖を起こさないように。 起こしたいと思わなかったわけじゃない。でも、起こして、確かめる権利は…もうない。そう、気付いてしまった。 キッチンへ向かい、水を一口、飲む。冷たい…味がない。これこそ、現実だ。俺は、現実にいる。それは、誇りでも、慰めでもない。ただの、事実。 絢聖は、揺れる人間だ。不安定だから、惹かれたわけじゃない。揺れながらでも、ちゃんと現実を見ようとする。その繊細さと強さに愛おしさを覚えた。でも、揺れは、止められない。 止めようとすると、壊れる。だから、止めなかった。結果、俺は、選ばれなかった。 その因果が、あまりにもきれいで、逃げ場がない。 「……絢聖」 小さく、名前を呼ぶ。返事は、ない。それで、十分だった。 今、呼び返される名前は、俺じゃない。 その事実が、胸に沈む。怒りは、湧かない。責める言葉も、浮かばない。 俺は、正しかった。そして、正しいだけでは、足りなかった。それだけ。 ベッドに戻る。横になる。背中合わせの距離。 でも、今夜は、もう、触れたいと思わなかった。 触れたら、縋ってしまう。 縋れば、自分が壊れる。それを、避けた。 悠は、静かに理解する。俺は、選ばれていない。 でも、捨てられてもいない。 その中途半端な立ち位置が、一番、苦しい。 朝が来る。 カーテンの隙間から光が入る。何も、変わらない。仕事へ行き、生活が続く。現実は、何も壊れていない。 でも、選ばれていないという事実だけが、確かに残る。 それを胸の奥にしまう。言葉にはしない。 言葉にした瞬間、自分が壊れてしまうから。それが、自分の選んだ、最後の現実。

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