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第15話

私は、この夜を最後にするつもりだった。 彼を呼ぶとき、一度だけ躊躇した。 理由はあれど、会いたいと思うこと。もう、それは欲でしかない。 絢聖君が玄関の前に、立っている。戸惑った顔。だが、拒絶はない。 「……どうしたんですか」 声は、穏やかだ。迎え入れる声。それだけで、負けが確定しているようなものだった。 「……話がある」 それだけ言って、中に入れる。自分は座らない。 立ったまま。座れば、ペースを奪われる。それが、分かっている。 「絢聖君」 名前を呼ぶ。この呼び方を、今日は最後にする。 「私は……」 言葉が、詰まる。いまだに心が抵抗している。 「君と、距離を取るべきだ」 やっと、言葉になる。 「これ以上、近づくのは間違っている」 正論だ。だが、正論は人を引き留めないことを経験で知っている。 絢聖君は、何も言わない。否定も、懇願もしない。ただ、少しだけ目を伏せる。その仕草が、胸を抉る。 「……分かってます」 静かな声。 「だから、今日で最後にしますか?」 問いかけ。責めない。選択を渡してくる。 それが、何より残酷だった。私は、答えられない。 ——最後にできない。 それをはっきり自覚させられる。離れようとして、失敗したのではない。離れられない自分を、見てしまった。 「……君は」  声が、低くなる。 「君は、揺れている。だが、それを否定されて生きられる子じゃない」 一歩、近づく。近づいてしまった。 「私は、それを知ってしまった。知ってしまった以上、知らないふりはできない」 責任という、言い訳をしている。 絢聖君は、顔を上げる。目が、揺れていない。決意の目。それが、私を壊す。 「……今夜、離れたら」 絢聖が、小さく言う。 「僕、多分戻れません」 脅しじゃない。事実の提示。自分の壊れ方を知っている人間の声。 ——ここで離れれば、彼は別の場所へ行く。 ——もっと、深く。 ——もっと、戻れないところへ。 ——そこは、私でも悠でもない。 私が側にいることで、繋ぎ止めていると思いたかった。それが、最大の錯覚だと気付きながら。 「……分かった」 その一言が、すべて。 最後に離れようとして、選んだのは留まることだった。私は、椅子に腰を下ろす。それは、敗北の合図。 一線の手前で崩れ落ちた夜は、あまりにも静かで…冷たく、彼の熱に抗うことなどできなかった。

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