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第30話

最初に感じたのは、喪失感ではなく、違和感だった。それも、はっきりしない、輪郭のないもの。音が、一つ消えたような感覚。 ワン切り以降、連絡は来ない。それ自体に、がっかりした気持ちはあれど、驚きはなかった。 消えようとしていた。それを、知っていた。けれど、あの着信で消えきれなかったと期待してしまった。それだけ。 でも、ある朝ふと気づいてしまう。もう、待つという感覚がない。待っていない自分。知らない間に、希望を捨てている。 秋頼の名前を思い浮かべても、胸がざわつかない。代わりに、静かな空白がある。悲しみより、余白が残る。 自覚してしまえば、淋しさが込み上げる。スマートフォンを手に取り、連絡先を開く。あの着信に折り返す。 ——繋がらない。現在、使われていない。 ——秋頼は消失を成功させた。 その事実が、遅れて胸に落ちる。息が、一瞬止まる。 でも、泣かない。取り乱さない。期待もあったが、何となく、こうなることも分かっていたから。 消えると、思っていた。だから、揺れていた。揺れは、熱望ではなく、予兆だった。それを、今さら理解する。 夜、悠が帰ってくる。 「ただいま」 「おかえり」 声は、いつも通り。だが、空気が違う。悠は、一瞬だけ僕を見る。探るような視線。やっぱり、彼は勘がいい。 「……何かあった?」 「……ううん」 即答。言わない。もう、言えない。悠は、それ以上踏み込まなかった。 落ち着いている。疲れてもいない。揺れていない。それが、すべて。きっと、この状態が正しい。 戻れない。戻ったら、また揺れる。揺れたら、また誰かを呼ぶ。 それを、もう繰り返さない。そう、決めてしまう。 ベッドに入る。悠は、隣にいる。背中の温度。現実の体温、匂い…それを、確かに感じる。 ——ここに留まれば、壊れない。 目を閉じて、考える。戻らないという選択は、前に進むことじゃない。揺れを捨てること。 それは、自分が誰の心も動かせず、人生にも影響を与えられないということ。 僕がいなくても、何も変わらない世界を認めること。 それを理解したまま、悠を選ぶ。その道しか残っていなかった。 涙は、出ない。後悔も、追いかけてこない。静さだけが、そこにある。 その夜、棺の蓋を閉めた。鍵は、必要ない。開けられないようにしたのは、自分自身だから。

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