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第37話
夜明け前、目が覚めた。理由ははっきりしている。
日中、秋頼さんの呼吸が、ほんの少し乱れていた。直接語られたわけではない。
それでも、分かる。選ばれた喜びと、預かってしまった重さ。その両方を抱えている人の呼吸。僕は寝返りを打たない。起こさないように。胸の奥で、過去が静かに重なる。悠の顔。傷ついた沈黙。あの時、不安を押さえきれず、揺れを投げつけた。
そして、取り返しのつかない傷を残した。同じことはしない。しないと決める。
朝、僕は伝える。
「……引っ越します」
相談じゃない。宣言だ。秋頼は一瞬驚いた顔をする。
「ここに?」
「はい」
短く答える。迷いはもうみせない。
「でも」
一拍。
「……小さな部屋も借ります」
空気が止まる。理解するための間。秋頼はすぐに否定しない。流石僕が、選んだ人だ。
「……理由は聞かない方がいいか?」
首を振る。
「聞いてください」
息を吸う。揺れを言語化する覚悟。
「離れません」
先に言う。不安を与えたくない。
「でも、僕は、一人で揺れる時間が必要です。逃げじゃなく、ずっと、一緒にいるために」
それは、自分に言い聞かせる言葉でもある。
「僕には、誰かを揺らすのではなく、自分が立つために、一人で揺れる時間が必要です」
秋頼は、遮らず黙って聞いてくれる。
「ここで一緒に暮らします」
生活を選ぶ。
「でも、揺れを預けきらないために、部屋を持ちます」
言い終えて、少し怖くなる。僕の前科から、拒まれても仕方ないと分かっている。
「……正直に言っていいですか」
秋頼は頷く。
「淋しくさせるのが怖いです」
言葉にした瞬間、胸の奥が痛む。
「一人で揺れるって決めたのは僕です。でも…」
一拍。
「……そのせいで、秋頼さんが不安になったり。他の人に行ってしまったら」
喉が詰まる。
「……それ、耐えられない」
本音が止められない。勝手に言葉が溢れる。
「信じたい…でも僕、前に悠に感情を押し付けすぎて、壊してしまったから……同じこと繰り返したくないのに」
「それでも……捨てられる想像すると、一人での時間をつくる意味分からなくなる」
言い終えて、涙が溢れる。泣かないと決めていたのに。呼吸が乱れる。弱さを見せすぎた感覚。
後悔が来る前に、秋頼が動いた。近づいてくる。距離が縮まる。
「……絢聖君」
低い声。
「君はずるいほど素直だな」
笑っていない。責めてもない。ただ、静かで穏やかな目。
「私は浮気をするほど軽く君を選んでいない。だが…」
「だが…?」
もう不安を隠せない。秋頼の指が、僕の顎にそっとかかる。顔を上げさせる仕草。
「……私は君と似ている。必要とされたい。淋しさで、魔が差さないとは言いきれない。でも…その時は、ちゃんと伝える。耐えきれそうにないから、戻ってきて欲しいと」
見栄もなにもない…ただの男としての言葉。
「でも、言葉だけじゃ、君の不安は消えないんだろう?」
否定じゃない、これは理解。次の瞬間、首元に温度が落ちる。
吸われている。迷いのない圧。痛みはない。でも、はっきり分かる印。息が止まる。
「……っ」
声が出そうになるのを、噛み殺す。秋頼はもう一度同じ場所に唇を重ねる。念押しするように。
ゆっくり離れて、僕の首元を指でなぞる。
「……これで君の不安の半分を私のものにしておく」
その言い方がずるい。所有じゃない。でも、放さない宣言。
「……一人で揺れる時間が必要なら、私はここにいる。それでも不安になったら。これを触って…思い出せ」
熱が残っているそこが、熱い。
「私は、もう逃げない。少なくとも君が戻ってくる限り」
胸がいっぱいになる。再び泣きそうになるのを堪えて、小さく頷く。
「……ずるいです」
本音。
「こんなの付けられたら、一人のときも……秋頼さんのこと考えちゃう」
秋頼さんは一瞬だけ困った顔をしてから、小さく息を吐く。
「……そうしてくれ。完全に離れる気なんて私は最初からない」
その言葉で、不安が少しだけやわらぐ。消えない。けれど、抱えられる重さになる。
二つの鍵をポケットに入れる。
帰る場所と、一人で揺れる場所。その重みを確かめて、僕は歩き出す。
誰かの人生に預けきらず、それでも一人にならないように。揺れは、これからも続く。
だが、自分の生き方を、自身で決めた。それは、悠といたら出来ないことだった。
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