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第3話

第三話  直央とデートに行ってから約三カ月。 あいつを思い出す暇もなく、それなりに忙しい毎日を送っていた。 「ゆみとさん、今日お店終わったらお時間ありませんか?」  …というのも、直央はほぼ毎日おれが働いている店にやってくる。思い出す暇なんてない。そりゃそうだ、ほぼ毎日顔を合わせているんだから。 「おれ、お前のことフったよね?」 「フラれてないです」 「いやいや、着拒したろ」 「されたけど、嫌いって言われてないですもん」  子供の言い訳のようなこんなやりとりをこの3カ月で一体何回交わしたのだろうか。 「お前も大人なんだから、分かるだろって話をしてんだよ」 「ゆみとさんが僕を嫌ってるわけじゃないのに、素直になれないんだってことが分かるから会いに来てるんじゃないですか」  このイケメンはなまじ自分に絶対的な自信があるゆえに、おれの拒否をツンデレだと思っているらしい。お前は一体どこで恋愛を学んできたんだと言いたいところだけど、まぁ、そう。確かに、直央を嫌いだから拒否してるわけじゃないっていうのは合ってはいるんだけど。 「ガキに口説かれても靡かねぇって言ってんだよ」 「さっきは大人なんだからって言ったじゃないですか。僕、成人してます」 「そういや、ゆみとくんてぇ、今までの恋人全員年上って言ってたよね」 「え、そうなんですか?」  からかい口調で会話に入ってきたのは、この店で唯一の女性店員のありさちゃん。ラブレットと呼ばれるピアスが、今日も下唇で輝いている。二つも。  この子とは営業後に飲みに行くことも多く、この前酔っぱらった彼女が自分のパートナーの愚痴を一通り喋り倒した流れで、おれの過去の恋愛の話をしたような気もする。というかした。しつこく聞かれた上におれも酔ってたもんだから、つい話してしまったんだった。 「ありさちゃん、こいつにそういう話すると面倒なことになるから。話すなっつの」 「えー?でもあたしぃ、直央くんがかわいそうでえ…」  妙に演技じみたというか、コントちっくな声色だ。案の定顔が笑っている。  この三カ月。店に通いつめている直央は、瞬く間に店の従業員と仲良くなったようだ。   意外なことに、この男は圧倒的な王子様オーラを纏っているくせに妙に人懐っこくて、人と打ち解けるのが上手かった。  ありさちゃんは連絡先を交換したようで、おれの出勤情報や盗み撮りした写真を横流ししているらしい。おい。 「ありさちゃん、話して、おねがい」 「直央、おいこら」 「えっとねぇ…結構酔っぱらって話してたけど、全員年上ってのは本当でしょ?ゆみとくんて年上好きなんだ?って思ったもん」  その話はすんなって言ったはずなのに、おれの希望は華麗にスルーされ、同僚と王子様の熱い視線が続きを催促している。こういうとき、「嫌だ」ときっぱり断るということが選択肢として抜けているのは、飲み屋で働く人間の性だろうか。 「…絶対年上がいいって思ってたわけじゃないけど、なんか今までの流れで?」 「流れ?流れって?」  直央が興味津々すぎる。 「初めての彼女は中学の先輩で…すっげーギャルでさ、今もギャル結構すき」 「ギャル…」 直央くん、君とは正反対ですね。 「次が、キャバだかガルバだかで働いてた子。まぁ、彼女ってよりヒモだったかも」 「う、うん?」 「んで、高校卒業して、先輩に誘われてホストやって…」  直央はこんなしょうもない話を真剣に聞いている。話せば話すほど、おれのこと好きじゃなくなるんじゃないかってくらいひどい遍歴を。  「ゆみとくん、まぁまぁクズだよねーあはは」  ありさちゃんがあっけらかんと言っている通り、クズだなーと自分でも思うんだけど。  直央は、グラスに残っていた酒を直央にしては雑な動作ですべて流し込み、もう一杯追加。  まだまだ聞く気らしい。 「ホストってお客さんと付き合うじゃん?」 「あー、付き合うっていう営業ね。本営とか色恋とか」 「そうそう。同棲したり、それこそ枕とかするでしょ?本気で好きになっちゃったって人いなかったの?たまにお客さんと結婚するホストいるよね」  直央が頭に疑問符を浮かべながら話を聞いているのが分かったので軽く注釈をいれてやった。 (本営・=本命営業の略で、恋人や婚約関係になる代わりにお店で大金を使ってもらうホストの手法の一つ。色恋も同じような意味) (枕=ホストがお客様と体の関係になること) 「おれ、本営はしてなかったんだよね。色恋はしてたけど」 「へぇ?それでどうやって売ってたの?」 「いや対して売れてなかった」  あ〜やっぱね~と笑うありさちゃんと多少複雑そうにしている直央。 「いやでも売れてなかったのは意外かも。ゆみとくんそこそこ綺麗な顔してるのに」 「そこそこかよぉ」 「ね、直央くん。ゆみとくんて、顔そこそこ綺麗だよね」 「夢みたいに綺麗ですよ」  いつものように当然、とでもいうように直央が言い切る。ありさちゃんはこれを直央の持ちネタとでも思っているらしく、手を叩いて笑っている。まさか二人のときも同じことを言ってきているとは思っていないのだ。言うんだよ、この王子様はね。 「直央、そこはそこそこですねって言うとこ」 「なんで?ゆみとさんは綺麗ですよ?」 「いや、そういうノリだろ」 「好きな人に嘘つきたくないです」  酒でなのか、想いゆえにか、熱を帯びた直央の視線が俺を捉える。良くない、すこぶる良くない。ぐっときちゃってるおれ、良くない。 「ゆみとさんは綺麗ですよ」 「直央、もういいから」 「最近は、そうやって顔真っ赤にして恥ずかしがってくれて、かわいいです」 「赤くねーし」 「いや真っ赤っすよ!」  …ありさちゃん。空気読んで。 「すいませーん」 まだ話したりないって顔をしながら、ありさちゃんは奥のテーブル席で飲んでいた大学生っぽい四人組の注文を取りに行った。なにやらそこでも盛り上がっている。  おれの目の前には直央一人。  言いたいことと、言えないこと。色んな言葉がおれの口の中を飛び回る。 「お前、よく引かないね」 「あは。ゆみとさんの歴史だもん。聞きたいし、知りたかったんです」 「あっそ」 「それに僕、ゆみとさんは色んな経験をしてるんだろうなって、思ってたし」 「…あっそぉ」  言いたいことと、言えないこと。 「…直央。おれね、ホストやってたとき、」 「うん?」 「すごく、好きな人が、いて」 「好きな人…?」 バンッ と蹴破るように店のドアが開き、店内が静まり返った。  ドアの外には女性が立っていて、店中の視線が注がれている。女性はそんなのまったく気にしていないようで、ぬらりと店内を見渡した。  その姿を見た直央が、小さくため息を吐いた。 「まりなさん」  直央の姿を見つけ、女性は転ぶような勢いで駆け寄ってきた。 「直央くん、なんで連絡くれないの」 「まりなさん落ち着いて」 「あたし、何回も連絡したの。電話も。なんで出てくれないの」 「まりなさん…」  もう誰が見ても女性の方が一方的に直央に強烈に想いを寄せていて(そんな可愛らしい表現では済まされそうにないけど)、直央は避けていたのが分かる。おー、これは歌舞伎町っぽい。と思いつつ、一応この店を任されている人間として、仲介役を買って出ることにした。 「お客様、何か飲まれますか。お水か、お茶か…」 「いらない、飲みに来たわけじゃないの」 「では一度お座りください。立ち話もなんですから」 「あなたに用はないんだって。…直央くん、ね、ずっと会いたかったんだから」  女性の冷たい視線は久しぶりだなぁなんて呑気なことを考えて直央を見ると、それはもうみたこともないくらい感情の無い瞳で『まりなさん』を見つめていた。  初めて見る、それはもうゾッとするほど美しい直央の表情に、おれは目が離せなかった。  そんな隙をつかれ、興奮状態の女性に押しのけられて、情けないことに後ろにすっ転んだ。椅子や机で軽く体をぶつけたが、頭をぶつけなかったのが幸いと立ち上がろうとすると直央がおれの前に立った。 「あなた、一体何してるんです。こんなところまで押しかけてきて、ゆみとさんを突き飛ばすなんて考えられないですよ」 「ちょっと体が当たっただけじゃない、そもそも直央くんがあたしの話を聞こうとしないから…」 「聞いて何になるんですか。あなたの持ち物になるつもりはないって言いましたよね」 「でもあたし、あたしがいちばんあなたを輝かせてあげられるのよ、」  支離滅裂な言い訳を聞きもせず、直央はおれのそばにかがんで、頭や顔を優しくなでた。ケガはないですか、と囁かれ、うんと一つ頷く。 「まりなさん、言うことありますよね」 「その人が邪魔してきたのよ!」 「わざとじゃないのは分かってます。それでも言うことあるでしょ」 「この人、直央くんのなんなの、そんなに怒ること?」 「僕の大事な人です」  おいおいおい。この状況でそれ言うか?  思った通り、女性はおれをぐっと睨みつけている。謝る気なんてさらさら無さそうだ。別にそれはいいんだけど、直央の発言のおかげでさらに場がこじれそうなのはどうすんのよ。 「大事って何?あなたにモデルの仕事を与えて、輝く場所を用意したのはあたしでしょ?」 「それがあなたの仕事ってだけでしょう」 「あなたみたいな逸材を発見して、大事にしてきたのはあたしじゃない!あたしのほうがよっぽどあなたに大事にされるべきよ!」  喚く声が空しく響く。彼女のつんざくような声の波紋が、直央には一ミリたりとも到達していないことは誰が見ても明らかだった。 「まりなさん、今日はもう帰ってください。今度事務所で話し合いましょう」  直央は、うなだれる女性にさっきよりは幾分か優しい声色で言い聞かせるように声をかけた。その瞬間、女性は直央にぐっと近づき、胸倉を掴んだ。 「この店に来てからおかしくなった…全部…」  絞り出すような彼女の声に、おれはフラッシュバックするように思い出した。  ああ。この人、直央が初めてこの店に来た時に一緒に来ていた女性か。 「あなたはあたしが見つけて、誰よりも投資してきたの!誰にも渡さないし、あたしの言うことを聞いてなさい!そしたらあなたの望むものはあたしがすべて用意してあげるから…!」  ヒステリックな叫び声がまたしても空しく響いた。  その胸糞悪い内容に、あの夜の彼女の態度や会話を少し思い出した。あの時も執着される直央を見て、ああこれはかわいそうだと思ったんだ。  今は、それと同時に怒りも感じる。この支配欲から直央を救わなくちゃと、なぜだか強烈に感じた。 「お姉さん、直央の望んでるものがわかるの?」  鬱陶し気におれを見て、眉を顰める。 「わかるわよ。知名度だって、お金だって、欲しいだけ用意してみせるわ」 「あーちがうちがう」  直央の胸倉を掴んでいる彼女の手から奪うように直央を引き寄せる。さっきまで凍り付いたように冷たかった直央の瞳に熱が灯ったのが見えた。おれが写っている。 「ゆみとさん、」 「こいつが欲しいのはね、」  直央の唇にやさしく触れて、びくっと反応した隙に舌を滑り込ませた。後から考えたら、別にただ軽くキスするだけでもよかった気がするのに、この時はただ感情にまかせてキスをした。 「…んっ…ゆみとさん…っ?」 「あんたじゃ直央にこんな顔させらんないでしょ。てか普通にストーカーだから、あんた」  さっきまでの勢いを失って呆然と立っている彼女の背中をそっと押して、出口へ追いやる。意外にも、素直に歩いてくれた。 「お姉さん、直央はあんたのステータスじゃないよ」  出口にたどり着いたところでそう言うと、ふっと我に返ったように踵を返そうとしたのを抑える。 「直央自身を愛してないあんたに、あいつはやれない。おれの方が大事にできちゃいそうだわ」  まだ何か言いたそうな彼女が息を吸い込んだところで直央が口を開いた。 「僕、この人が、ゆみとさんが好きなんです」 とどめの一撃。 厄介な恋心をこじらせているこの女性に対して放った別れの言葉だったのに、おれにとってもとどめだった気がする。 直央はこの時はじめて、おれを「好き」と言葉にしたのだ。 「ごめんね、ゆみとさん」 「お前が悪いわけじゃないでしょ」  申し訳なさそうに眉を下げて、しょげている直央。何度大丈夫だと言っても頭や体にケガしてないかと心配するので、少しの間、店を抜けることにした。店はありさちゃんがいるから問題ないだろう。 少し歩くとそう大きくはない神社あり、入口で少し話すことにした。神社の境内はさすがにこの時間では真っ暗だし、何より煙草が吸いたかった。 「あの人、直央のマネージャーかなんかなの?」 「そうです。僕、スカウトで今の事務所に入ったんですけど、スカウトしてくれたのがあの人で…最初から距離感のおかしい人だなとは思ってたんですけど、最近急にあんな風になって」 「最近?」 「はい。僕が仕事を断るようになったので、多分それで」  三カ月前飲みに行った時も話していたことだが、直央は芸能界に興味はなく、モデルは大学生のバイトとしてやっていると言ってた。  仕事を断るようになったからと軽く言っているが、どう考えてもうちの店に通うようなったからで…ああ、やっぱりおれにも原因あったんじゃんと苦笑い。 「お前がモデルの仕事しなくなって、言うこときかなくなったからあんな感じになったってこと?やばいな」 「僕が、あの人の『理想の僕』じゃないって駄々こねてるんですよ」 「駄々ねぇ…」 「ほんと、めんどくさいなぁ…」  心底うんざりしているのが見て取れる直央の表情から、こんなことは今までにもたくさんあったんだろうと伺い知れた。最初に店に来た時に言っていた、 「向こうが勝手に期待してるだけで、僕には関係ないですから」    というのは、本心だったんだろう。  勝手に期待されて、勝手に失望されて、あげく逆上されたんじゃたまったもんじゃない。  王子様、王子様ともてはやされる直央に当てられる視線は、こいつにとってはいい迷惑の方が多いわけだ。 「怒ってる直央、結構迫力あったね」 「見られたくなかったです…」 「いや?見ておいてよかったよ」 「なんで?」 「怒ってる直央、おもろかった」 「意味わかんない…」  直央が、おれに興味を持った理由が少し理解できた気がした。 「あの、ゆみとさん」 「ん?」 「僕とあの人、別にそういう関係とかじゃないですからね」  何を言いだすのかと思えば。 「いや、分かってるけど?」 「ほんとっ?よかった、勘違いされてたらどうしようと思って、」 「なんでよ」 「だって、その、場を収めるためとはいえ、キスしてくれたから」 「あ、あー…」  そうだ。すっかり抜け落ちていた。キスね。 「あれはまぁ、勢いでやっちゃっただけで」 「そうですよね、」 「舌は入れなくてもよかったよな」 「し、したっ」  しょぼくれていた直央がぱっと顔を上げ、みるみる真っ赤になっていく。 「ごめん、ね?勝手にしちゃって」  思わず、なぜか、おれが謝ると直央はぶんぶんと首を振った。  人生ずっとモテてきただろうに、キス一つでなにをそんなに反応してるんだこいつは。 「なにがそんなに不満なんだよ」 「不満なんかないよっ」 「じゃあなに?」 「…せっかく、ゆみとさんがキスしてくれたのに、あんな状況だったのが、残念で」  ポツリと、聞き取るのがギリギリの小さな声で直央が言った。  ドッと心臓が鳴る。きゅんどころの音じゃなかった。たまらずおれは、ダメと思ってるのに、 「…やり直し、する?」  あーあ、言っちゃった。 「いいの?」 「うん」  腰をぐっと引き寄せられ、おれの鼻先に直央の鼻先が当たる。薄い茶色の瞳が、まっすぐにおれを見つめている。 「ゆみとさん、好きだよ」  ゆっくりと唇が重なり、体温が混じる。  直央のキスは予想通りというか、甘く。意外にたどたどしくて、心地よかった。 「…うれしい、」  唇を離して、ぎゅっと抱きしめられ、おれの肩に顔をうずめた直央は、本当に、本当に嬉しそうにそう呟いた。夢でも叶ったかのような蕩けるような声だった。  おれはただ、さっき引き寄せられたときに落とした吸いかけの煙草を見つめ、考える。    おれ、もうだいぶこの王子様の魔法にかかってね?

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