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第4話
第四話
「直央(なお)ぉ」
おれの呼びかけに、まるで子犬のように小走りで駆け寄ってくる。
「すいません、電車が遅れてて、」
「別にいいよ。いつもおれのが遅いし」
少し乱れた前髪を梳いてやると、直央はくすぐったそうに笑った。いつからか、この男に触れることに躊躇がなくなっているのは自覚している。ブレーキを踏んでいるつもりなのに、うまく作動していないことも分かっていた。
初めてキスをしてから、もう自分でも情けないくらいに直央との距離感が縮まってしまっている。着信拒否も気づけば解除させられていた。
おれの意思が弱いのか、こいつの手管が上手いのか。
「えっと、先輩のお店に行くんでしたっけ?」
「そう。俺が働いてたホスクラで、今も運営やってる人なんだけど、新しくバー出すから顔出せってさ」
「誘ってもらえてうれしいです、ふふ」
「知らないやつばっか集まるのに、よく来るね」
「大丈夫です。そういう場は割と得意な方なので」
「そうだろうね、きみは」
歌舞伎町の一角。小さなバーやシーシャなんかが入っているビルで新しく店を開くと先輩から連絡が来たのは一昨日のことだった。
例にもれず、直央はおれの店に飲みに来ていて、目の前にいたからつい誘ってしまった。
最近はそんな風にお互いに軽く誘い合って飯に行ったりしている。
「変な奴いるかもだから、おれのそば離れないほうがいいよ」
「うわ、ゆみとさんかっこいい。王子様ですね」
「うるせー」
悔しいが、軽口も楽しい。
「瑠璃(るり)!久しぶりだなー!まじで来るとは思わなかったわ」
「前乃(まえの)さん、お久しぶりです」
ホスト時代、すごく可愛がってくれて、面倒をみてくれた先輩・前乃(まえの) 帝(みかど)さん。心配もかけたし、久しぶりに会っても変わらない態度に安心した。
「お前、店辞めてすぐ連絡出来なくなったから心配だったんだよ!」
「すいません、」
「いや?ホスクラやめると全部消したくなるって気持ちはわかるよ。実際お前みたいに連絡取れなくなるやつ多いしな」
「あー…ですね」
「でもよかったわ、久しぶりに会えて」
もう一度、すいませんと頭を下げつつ横を見ると、現在のおれ(連絡嫌い)の被害者が大きくうなずいていた。いや最近はお前の連絡も返してるほうだろうが。…ギリ、一日に一回くらいは。
「そっちは?」
「あ、えっと…友達?です」
「永村(ながむら)です。ゆみとさんに誘っていただきました。お邪魔します」
いつも以上に王子様スマイル・オーラ全開にしてやがる。
「どっかのホスト?」
「いや、普通の大学生です。おれが今働いてるバーの常連」
「あーなるほどね!狭い店だけど、楽しんでいってね」
「はい、ありがとうございます」
相変わらずからっとした笑顔で去っていった前乃さんの背中を見送りつつ、カウンターで飲み物を頼んだ。
「瑠璃さん、て源氏名ってやつですか?」
「ああ、そうそう。ホスト時代の名前ね」
「素敵な名前ですね」
「…先輩がつけてくれた名前なんだよ」
「先輩って、前乃さんですか?」
「んーん。…違う人。あの人も、どこで何やってんだか」
「ホストの方々って自由なんですね」
「よく言えばな」
高校を卒業してプラプラしていたおれは、地元で仲の良かった先輩に誘われてホストになった。とはいえ、売れたいとか、ナンバーワンになりたいなんて目標はなく、適当に金稼いで適当に生きれればいいや、なんて流れるまま働いていた。
あの人と出会ったのは、その店だった。
自分で瑠璃と名付けておいて、あの人だけはおれを「ゆみと」と呼んでいたっけ。
今も思い出そうとすれば、あの低くて甘い声がよみがえるはずだ。
でもだめ。思い出しては、いけない。
「あのねぇ、瑠璃さん!まっじで心配したんですよ、僕たち」
「わかったって、ごめん」
「わかってないね、直央くんこれ分かってないよね?」
「あはは、そうですね。わかってないです」
「おい…」
次々と現れる懐かしい顔ぶれに毎度毎度「心配したんだぞ」と言われ続け、なんだかんだ元同僚たちはおれを好いていてくれていたようだ。
会の中盤頃に現れた二人組は、今やもう歌舞伎町でも名の知れた売れっ子ホストになっているってのに、おれの顔を見るなり飛びついてきた。
「おれなんか忘れられてると思ってたんだよ」
「出た出た。瑠璃さん自己肯定感低すぎなの。てとらがよく怒ってたでしょ」
「そうっすよ。僕たち、瑠璃さんに育ててもらったのに」
「お前らは勝手に育ちましたぁ」
「違くて!」
今目の前で喚いている『ルカ』と『てとら』は、おれが初めて持ったチームで指導していたメンバーだったが、おれの指導なんて必要とせず、それはもうとんでもないスピードで売れていった眩しい後輩たちである。
とはいえ、ホスト時代になにを成したわけでもないおれに今もこうやって懐いてくれるのは素直にうれしかった。
それだけで、来てよかったと思えた。
「瑠璃、時間平気?」
ずっと来客の相手をしていた前乃さんが急に声をかけてきた。時計を確認すると、来店してからもう二時間は経っていた。
直央はというと、ルカとてとらをはじめ、売れっ子ホストに囲まれて勧誘を受けている。しばらくその光景を見て笑いながら飲んでいたが、そろそろ助けてやるか。
「直央、そろそろ帰ろ」
「あ、はい」
「直央くん、ホストやるときはうちにおいでね」
「ルカ、直央はだめ。こいつはそういうんじゃないんだよ」
おれの言葉を少し考えたあと、さっきまでの勢いが嘘のように直央は解放された。この引き際が実に売れっ子っぽい空気の読み方だ。
前乃さんに別れを告げ、連絡しろよと釘を刺されつつ帰路に就く。
「はぁ、おもしろかった」
「もう、ゆみとさん全然助けてくれないだもん」
「イケメンに囲まれてる直央、キラキラ感全然負けてなくてまじで面白かった」
「ゆみとさん!」
「ゆみと?」
おれたちが店を出たその時、丁度エレベーターが到着した。扉が開き、男性が一人立っていた。
その人から発せられた、聞き覚えのある、低くて甘い声。
「ああ、ほんとにゆみとだ。久しぶりだね」
思い出したらいけないどころか、本人が目の前に立っていた。
「た、…貴羅(たから)さん」
あの頃と変わらない真っ黒な目が、静かに、絡みつくようにおれを捉える。
「ゆみとも帝のお祝いに来てたんだ」
「貴羅さん…日本に帰ってきてたんだね」
「三カ月に一回くらいは帰ってきてるよ。嫁が日本でも仕事してるからね」
声が上ずりそうで、長い言葉を話すのが怖かった。弱みを見せてはいけない小動物みたいだ。
「なに、もう帰るの?一緒に飲もうよ、久しぶりに」
「いや、連れがいるんで。もう帰ります」
直央を盾にするようで悪いと思ったが、今すぐにこの場を離れたかった。同時に、前乃さんがおれを帰そうとした理由が分かった。
この人が来るからだったんだ。
「いいじゃん、連れの子も一緒に飲めば」
「無理です、こいつ人見知りなんで」
「そんな風には見えないけど?」
見ると、直央はいつぞやの時のように驚くほど感情の無い顔でまっすぐ貴羅さんを見つめている。
おれの態度に違和感を持ったからだろう。
「きみ、ただの連れって顔じゃないね」
「ただの連れです。今は」
「…あー、そう。なるほどね」
体中がぞわっと疼く。
貴羅さんはゆっくりと直央を見たあと、そのまま視線だけがおれに回ってきた。
「ゆみと、こういうかわいい子も好きだったんだ」
体温が上がる。なのに寒い。この人の前ではいつもそうだった。
「結構飲んだ?顔赤いね」
細長い綺麗な指がすっと伸びてくる。おれの体は硬直したまま、動けなかった。
冷たい指先が頬に触れる。動かないおれを見て、貴羅さんはくすくすと愉快そうに笑った。
「変わらないね、ゆみと」
変わらないのは、あんたの方じゃないか。
「まぁ、いいや。また今度飲もうよ」
「…」
「連れくんもね」
置き土産のように言葉を残して、貴羅さんは店に入っていった。さっきまで自分たちを取り囲んでいた喧騒が、ずっと遠くに感じる。
思い出してはいけない、なんてとんだギャグだ。まだ、こんなにもおれのなかに明確に存在しているんだ。
「ゆみとさん?大丈夫?」
「うん、」
「今の人って、」
「ただの先輩」
「ただの、先輩?」
「そうだよ。いいから、もう、忘れて」
忘れて。本当は自分自身に言い聞かせた。
あの暗い目を見たとき、心臓が鳴った。あの頃の、どうしようもないくらいあの人が好きだったあの頃のおれが、戻ってこないように言い聞かせるのだ。
「直央、もう一軒行こ」
「いいけど、大丈夫?顔色が…」
「いいからいいから、ね、行こ」
直央は心配そうにしていたが、無理矢理エレベーターに乗せ、次の店に向かった。
だって、おれ、今日はもう一人でいるのが怖い。
適当に入った店でペースなんて関係なく飲み続けた。飲めば飲むほど、色んなことがどうでもよくなってくる。不思議といくら飲んでも気持ち悪くはならなかった。
「ゆみとさんもうやめよ、絶対二日酔いになるよ」
「だいじょぶ、だいじょぶ、どうせ後で吐くから」
「大丈夫じゃないよぉ、それ」
おれは酒に飲みこまれてドロドロになっていってるのに、こいつはずっと綺麗だな。小汚い居酒屋の中で、一人だけキラキラと輝いている。
「なおってさ、初恋いつ?」
「初恋? 今」
「え?」
「ゆみとさんが初恋」
この状況で、冗談じゃなくこんなことが言えるのはこいつくらいだろうな。
「でも、元カノはいたことあるって言ってたじゃん」
「あるけど、今思えば好きではなかったのかなって」
「なんで?」
「あの頃の僕って、彼女より自分の方が大事だったから」
「…」
「でも今は、ゆみとさんがすごく、大事」
なんで、今、そんなロマンチックなことを言うんだろうなあ。お前の目の前にいるおれは、酒に飲まれ、見た目も態度もいつも以上にひどい状態だろうに。
なんでこいつは、そんなにおれがすきなの。
「じゃあ、初めてセックスしたのは?」
「えっ」
「えじゃねーよ、いつ童貞捨てたの」
だいたいの質問や会話は淀みなく答える直央が、一瞬回答をためらった。
そして衝撃の一言。
「僕、まだ誰ともセックスしたこと無いです」
「はっ?」
日ごろから王子様だなんだとキラキラオーラを振りまいている直央の人生で、モテなかった時期も環境もなかったはずで、元カノもいたのに、え、お前そうなの?
「な、なんで。元カノは?」
「さっき言った通りですよ。僕の初めてをあげてもいいほど、好きじゃなかったから」
「あー…」
本物だわ、この男。
「…」
「なに?見つめすぎだよぉ、見惚れてる?」
「…お前AV観ないんでしょ?いつも何でヌいてんの」
「え、えー…そんなの、こんな場所で聞かなくても」
「いいじゃん、教えて」
ほんのり頬を赤く染めて、恥ずかしそうに咳ばらいをする直央はうんざりするほど魅力的だった。
「いつもは、鏡見るんだけど」
「は?鏡?お前イカれてる?」
「最近はー…その、ゆ、…うーん」
「………あ、おれ?」
途端にバタバタと「いつもじゃないよ!たまにね!」とか「魔が差して、ほんとに、いつもじゃなくて」なんて言い訳をかましている。
別に、直央はおれを好きだと言っているわけで。そんなことで引くほどピュアじゃないんだけど、真っ赤になって必死に言い訳をする直央はかわいかった。
かわいいな、一生懸命におれを好きで。
ああ、こいつ。
ぐちゃぐちゃにしてやりたいな。
「ねぇ、直央」
「なに、え、ごめんなさい」
「家、行ってもいい?」
コンビニで適当に買った酒や飲み物、お菓子が床に音を立てて落ちた。下の階の住人には響いたかもしれないが、今、そんなことを気にしている余裕はなかった。
「んっ…んん、はぁ、」
「ゆみとさん…っ」
「直央、キスして、もっと」
玄関でまだ靴も脱がないうちに、おれは直央の首を引き寄せ、キスをした。直央も分かっていたようで、熱のこもったキスを返してくれる。
「なお、おれのこと、すき?」
耳元で囁いてやると、おれの首元にキスを繰り返しながら、何度も好きですと繰り返した。
あの人も、そうしてくれたっけ。あ、違う違う。そうじゃなくて、
「ゆみとさん、」
「ん…」
「ゆみとさん、いいの?」
今日まで何度か抱きしめられたことはあったけど、今は強く強く縋るように抱きしめられた。服越しに直央の体温が伝わる。
「ん、そのつもりで連れ込んだんでしょ」
「ゆみとさんが誘ったんだよ」
「あは、そうだった」
軽口を交わしながら、正面で改めて直央の顔を見た。この四カ月ほどの付き合いで、はじめて、美しいアーモンドの瞳が欲望に染まっているのを見た。ぞくりとする。
「あ、ちょ、ゆみとさんっ」
ベルトを外し、下着の中に手を滑り込ませる。直央は慌てて止めようとしてきたが、うるさく喚く前にキスで塞いだ。
小さく反応しているそれをゆっくりと撫でてやると、直央が小さく息を漏らした。
「いい子にしてろよ、直央」
しゃがみこんで、下着ごとすべてを脱がした。
口で咥えてやると、直央の体がびくっと震えた。
「ん、あ、…みゆとさんっ、」
あんな汚い居酒屋でも一人だけキラキラと輝いていた王子様が、おれに咥えられて感じているのは、めまいがするほど興奮した。
しながら心の底で、なにやってんだろうと冷静な自分がいることも分かっていた。なんでこんなことになってんの。
直央の好意に、ブレーキをかけていたのはおれの方だったのに。
「きもちい?」
「うん…っ、」
「かわいいね、なお」
された経験も、した経験も。この体に染みついているんだと冷静な自分が笑っている。
そうだ。あの人もよく「かわいいね」と言ってくれた。いやだから、そうじゃなくて、
「んっ…はぁ、んん…っ」
「ゆみとさん、もう、口離して、おねがい」
「でそう?」
「だから、もう…っ」
言う終わる前に、大きく体が震えて直央は達した。ちぇ、飲んでやろうと思ったのに。
「もう、ひどい、ゆみとさん」
息を乱して、軽く汗をかいている直央は色っぽかった。
フェラしたあとにキスを迫ったら嫌がりそうだなと思って立ち上がると、急激な立ち眩み。
胃の中がマグマのように熱い。
ぐるぐるぐる ぐる ぐる
「ゆ、ゆみとさんっ!?」
直央の焦る声は聞こえていたけど、もう反応はできなかった。ぐらぐらと視界が揺れて、直央の薄茶色の優しい瞳と、あの暗い瞳のまぼろしが、同時に見えて、あ、これ、やばい。
くっっそ気持ち悪い。
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