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第5話

第五話  目が覚めると、案の定ゆみとさんはいなかった。 置き手紙も、ここにいた形跡すらなかった。 嫌な予感がして、携帯を確認。ゆみとさんの番号に電話をかけてみると、呼び出し音が流れた。 着信拒否はされていない。ただ、出ない。  じんわりと、感じたことのない感情がお腹の底から湧いてきて、それが怒りだと気づいた。 同時に、悲しくなった。 「浮かれてたな、僕…」  サインが出ていたのは気付いていた。 まるで僕の都合のいい想像のように、流れるままに僕の家に来て、キスをして、…その、自分からしてくれて。そんな都合の良すぎる展開をゆみとさんが自らしてくれるなんて、おかしいと思ってたはずだったのに。 うれしくて。浮かれた。 「…」  ゆみとさんからではない、どうでもいい連絡が飛び交う携帯画面を見つめながら、昨日のことを思い返す。  ゆみとさんが急にトイレに駆け込んで、しばらくすると涙目で出てきた。背中をさすってあげると無言で体を預けてくれたので、なるべく優しく抱きしめた。 「大丈夫?喉、痛いでしょ」 「…ん」 「お水飲もう」  水を差し出すと静かに飲み干して、また黙ってしまった。頭を撫でても嫌がられなかったから、そのまま手を引っ張ってベッドに連れて行った。 ゆみとさんは、大人しく僕の隣に入って、腕の中に納まってくれた。 「おやすみなさい、ゆみとさん」 「…なお、」 「ん?」 「ごめん」 「んーん。謝らないで」 「ん…この部屋、ぜんぶ直央の匂いだね」  そう言いながら、僕の背中に手をまわして、しばらくすると静かな寝息が聞こえてきた。 ああ、ここにいてくれるんだ。と、安心。 さっきの夢のような出来事がまだ疼くけれど、僕たちはまだ恋人同士じゃないし。僕はそういうコトがしたくてゆみとさんにアプローチしてるわけじゃない。ただここにいてくれるだけで。  そう思って、ゆみとさんの体温を感じながら眠りについた。 で、起きたらこのざまだ。 「ダサすぎる…なにが王子様だよ」   いままでの僕の人生は、自分で言うのも憚れるほど、完成されていた。  物心ついたときから、僕が美しいんだということは自然と理解していたし、もてはやされた。  嫌味を言う人や、僕に執着しておかしくなる人も多数いたけれど、誰しも美しいものが欲しくなるのはしょうがないことだと結論付けた。   ゆみとさん、は、    ゆみとさんは、僕を欲しがらなかった。  初めて出会った日、あの人は僕を「かわいそうだ」と言った。意味が分からなくて、わけを知りたかったのに、その日はうまく躱されてしまった。 少しずつ距離が近くなり、ほんのちょっぴり知り得たゆみとさんは、僕の容姿や、僕というステータスになんの興味もないようだった。そんなの初めてで。おもしろくて、悔しくて。 ゆみとさんの好きなもの、欲しいと思うものが知りたくなった。なにが好きで、何が嫌いで、僕のどこだったら好きになってくれる? ゆみとさんはいつも素っ気なくて、その割に意外と面倒見がよくて、年下の僕が甘えるのをうまく断ることが出来ない優しい人だ。 知れば知るほど、ゆみとさんが欲しがるものが分からなくなった。 「…貴羅(たから)、さん」  昨日、あの人に会ってから、ゆみとさんが崩れていったのは分かっていた。 自暴自棄にお酒を呷りながら、自分を壊しながら、僕を利用したのだ。あの人らしくない。  そんな風になってしまうほど、「貴羅さん」はゆみとさんにとって大きな存在だったんだろう。  面白くない。  あんな風にゆみとさんを上から見て、嘲るように笑うようなやつに、ゆみとさんの何も壊されたくない。  僕は王子様だから。  悪者に捕らえられたお姫様は王子様が助けるのが世界のセオリーでしょ。…ゆみとさんはお姫様ってキャラではないけどね。  大学の構内はいつだって騒がしい。僕が歩けば、その喧騒は一緒について回る。 いつものことだから気にしていなかったけれど、前にゆみとさんと渋谷で待ち合わせをしたとき、ゆみとさんが5分遅れてくる間にテレビの取材と遠巻きに騒ぐ女の子たちに囲まれてしまった僕を見て、手を叩いて笑っていたっけ。  僕にはゆみとさんのツボも、よく話してるアニメやゲームの話も、なんにも分からない。でも、僕が知らないことを知っていて、よくわからないツボで面白がってるゆみとさんが、僕は、 「永村(ながむら)ぁ」  聞きなれた声で思考が途切れる。  振りかえると、やはり見慣れた友人の顔。 「おはよう、杉本」 「おはー。永村って、今日のゼミの飲み会来る?」 「飲み会?」 「朝INEしたんだけど」  ああ、朝起きて色々通知が来ていたのは分かっていたけど、あの絶望的な目覚めの時に送られてきていたのか。 「やっぱ見てねぇなー?まぁ、いいけど」  本当に気にして無さそうな杉本は、今夜ゼミの飲み会があることを改めて教えてくれた。 OBも来るらしく、人数の多そうな飲み会だ。そういう場では、男性も女性も色んな思惑で僕に近づいてくる。後輩の女の子を落とすために僕と仲が良いフリをしてくる先輩、甲斐甲斐しく僕の飲み物や食べ物の世話をすることで気を引こうとする女の子達…もう考えうるすべての方法を試された気がするので、そうそう何が起こることもないけれど、出来ればそんな面倒は避けたかった。…でも、今のこのざわざわした思考を一時でも忘れられるなら。 「行こうかな」  僕の発言が相当な衝撃発言だったらしく、杉本は目を丸くしてわざわざ足を止めた。 「まじ?ほんとに来んの?」 「うん。しばらく断っちゃってたから」 「あっそぉ…まぁ無理そうだったら適当に理由つけて帰りなよ」 「ありがとう」  杉本は友達として、とても好きだ。 誰に対しても態度が変わらないし、僕のことも最初からただの同期として接してくれていた。だから、大学で友達と呼べるのは杉本くらいだった。  そうだ。杉本だって僕を利用しようとしない人間の一人だ。ゆみとさんと同じように。  なのにどうして、ゆみとさんばっかりが、僕の特別を独り占めしているんだろう。  今もずっと、頭の中はゆみとさんだらけだ。 「直央くん、次なに飲む?」  広い座敷で行われた飲み会は、予想通というかいつも通りというか、、僕の周りには女性陣が固まり、男性陣がさらに群がるという地獄絵図が出来上がってしまった。  美しい花には、蜜を吸おうとする蝶が群がるものだ。 「直央くん、最近歌舞伎町にいるってほんと?」  飛び交い続ける会話を笑顔で交わしていたら、突然飛び込んできた質問に、我ながら驚くほどカウンターパンチを食らった。 「…知り合いの店があって、よく飲みにいってるんだ」  なんとか笑顔で切り返す。 「そうなんだぁ」 「行ってみたーい」  あの店を教えるわけにはいかない。今は僕に群がる腹を空かした捕食者たちに、ゆみとさんを知られたくない。 「知り合いだけが入れるお店なんだよね」 「じゃあ連れてってよぉ」  論外だ。 なんだか、いつもはなにも感じない無駄なやりとりに、今日は妙な苛立ちを感じる。  僕を食い荒らそうとするこの子達も、僕をかき乱すゆみとさんにも突然腹が立ってきた。  やっぱり今日は調子が悪いみたいだ。 そう思って、杉本が助言してくれたように適当に理由を作って帰ろうと周囲を見ると、僕を凝視している女の子が一人。でもその視線には今僕を取り囲んでいる子達のような熱は感じなかった。それもそのはず、その子はここにいるはずのない女の子だった。 「ありさちゃん…?」  ゆみとさんのお店の従業員の、ありさちゃんだった。 周囲の十人ほどが、突然見つめ合った僕たちに注目している。そこに静かに流れだした主に女の子が発している冷ややかな空気を一掃するように、ありさちゃんは煙草!と一言。僕もそれに続いて席を立った。   喫煙所には僕ら以外に誰もいなかった。  ありさちゃんは同じ大学の僕の一つ先輩だった。同じゼミに入っていたのに今まで全く面識がなかったのは、お互いこういう大人数の飲み会や合宿が苦手で避けてきたからだったみたいだ。 「たまには行っとくかぁと思って来てみたら、まさかの直央くんいるんだもん。びっくりしたわ」 「僕も。びっくりした」 「お互い時止まってたもんね」 「あはは、ほんと、止まってた」  ありさちゃんは煙草に火をつけると美味しそうに煙を吐き出した 「直央くん、煙草吸わないよね?」 「うん、吸ったこと無い」 「ゆみとくんめっちゃ吸うじゃん。一緒にいて嫌じゃないの?」 「いやじゃないよ、体は心配だけどね」 「やさしー」  喫煙所にいるのに煙草を吸わない僕は手持無沙汰で、なんとなくありさちゃんの吐き出す煙を見つめながら会話を続けた。  お店の時も思っていたけれど、ありさちゃんは女の子と話しているとは思えないほど心地よかった。不思議な空気感がある。  それはお店じゃなくても同じみたいだ。 「にしても直央くん、めちゃくちゃモテてたね」 「そうかな?いつもあんな感じだから」 「いつもああなの?…女子たちの視線痛かったよ。グサグサ~って刺される感じ」 「あ、ごめんね…僕が声かけちゃったから」 「いやそれは別にいいんだけど。みんな肉食獣みたいな目で直央くん見てた」 肉食獣。うん、言えてる。 「誰一人、直央くんに見向きもされてないのによく頑張るよね」 「あは、そうだね」 「直央くんは、ゆみとくんしか見えてないのに」 「あ、うん…そう、だね」 「直央くん?」  なんだか、微妙な言い方をしてしまった。 ざわざわと駆け巡る思考を忘れたくて、行きたくも無い飲み会に来たのに、結局は同じことばかり考えていて、ありさちゃんの口からゆみとさんの名前が出て、少し動揺してしまった。 「もしかして、なんかあった?」 「え、別に、なにも、」 「動揺しすぎ。ビンゴじゃん」  ありさちゃんは、吸い終わった煙草を灰皿にいれ、二本目に火をつけた。 「あたしの恋人がさ、煙草だいっ嫌いなの。で、家で吸うときは外出されんのね。真冬もだよ?ひどくない?」 「あはは、厳しいね」 「そうなんだよー直央くんみたいに素直に体が心配とか言ってくれればもうちょっと考えるんだけど」 「そう思ってるはずだよ。彼氏さんも」 「彼女だけどね」  いたずらっ子のいたずらが成功したときみたいに、ありさちゃんは煙草を咥えて面白そうに笑った。 「あたし、レズビアンなの」 「そうなんだ…ごめんね、彼氏さんて決めつけて」 「あはは、謝ることじゃないよ。人の恋愛対象なんて見た目じゃわかんないでしょ」  からっと笑っているありさちゃんを見ながら、僕はありさちゃんとの会話の心地よさの訳に気付いた。 僕を恋愛対象として、その枠組で見ていないからだったのか。 「直央くんてさ、恋愛のハードルに性別が無いんだね」 「え?」 「あたしがレズだって言っても普通だったし、ゆみとくんとのことも、男同士だからって理由で悩んだことないでしょ」  言われてみれば、考えたことがなかった。  ゆみとさんは綺麗な顔立ちをしているけれど、正真正銘の男で、それは僕も同じで、だけどそこに障害を感じたことはなかった。  どうすればゆみとさんが僕に夢中になってくれるか、そればっかりで。 「それって結構すごいと思う」 「そうなのかな?全然意識してなかったな、」 「あたしは、あたしの恋人が女だってこと、ほとんど誰にも言ってない」 「そう、なんだ」 「みんなね、怖いんだよ。うちらみたいなのは。誰をすきとか、そういうの、人に言うのはさ」  ゆみとさんが好きだと、口にするのが怖いなんて、思ったこと無かった。 「ゆみとくんも、怖がるタイプでしょ」 「…そうなのかな」 「どう考えても素直なタイプじゃないでしょ。直央くんが押し切らないと、ね」  そうなのかな。ゆみとさんは、怖がるのだろうか。…わからない。  ゆみとさんが、付き合ってきた人達は一体どんな人だったんだろう。 今までどんな人とどんな恋愛をしてきて、今僕をどう思っているのか、僕はまだなにも知らない。知らないことが多すぎる。 「直央くんてさぁ、うちの店に来始めたとき、もっと僕、王子様ですキラキラ~って感じだったよね」 「え?僕は今も王子様だよ?」 「いや、ま、そうなんだけどー…もっと、みんなの王子様!みたいなさ、誰にでも王子様スマイル振舞いますって感じの」 「そんな大安売りしてないけどなぁ」 「あはは。…でもね、最近はみんなのじゃなくて、ゆみとくんのって感じ」 「…」 「きみは、ゆみとくんだけの王子様になりたいんだね」    喫煙所を出て、僕らはそのまま店を後にした。 「じゃあ、またお店でね」 「うん。ありがとう、ありさちゃん」 「がんばって!」  僕の背中をぽんと叩き、反対方向に行くありさちゃんは妙に男前で、後ろ姿は様になっていた。 その後ろ姿を見送りながら、先ほどのありさちゃんの何気ないつぶやきは僕の心にとどまり続けていた。 きみは、ゆみとくんだけの王子様になりたいんだね  今までずっと、王子様と呼ばれて生きてきた。それで満足していたし、求められることに煩わしさもあったけれど、満たされてもいた。それでいいと思ってた。   だけど、 ゆみとさんは、最初から僕を『直央』として見ていた。 どんなに僕が魅力的に振舞おうと、僕の容姿や持て余すステータスに興味を持たなかった。  なのに、みんなには「らしくない」と言われそうな僕の姿すら、失望せずに笑ってくれた。  それがどんなに奇妙で、悔しかったか、ゆみとさんにはわからないだろう。  ゆみとさんの前では『ただの直央』でいられることに、初めて心地良さを覚えたなんて、ゆみとさんは気付いていないだろう。  あの少しハスキーな声で「なお」とやわらかく呼ばれるたびに、胸がぎゅっとなって、うれしくて、際限なく好きになってしまいそうな僕の気持ちなんて知りもしないだろう。  ああもう、なんだかぐちゃぐちゃだ。気持ちも思考回路も全部。ぐちゃぐちゃの迷路に迷い込んでしまった。 だけど、ゴールは分かっている。何度回り道をしても、どれだけ立ち止まっても、僕の心はこの答えにたどり着くんだろう。  僕は、ほかの誰でもない。 あなたの、ゆみとさんの王子様になりたい。 会いたいな、ゆみとさん。

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