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第7話

第七話 「よ、」  海沿いの公園のベンチで文庫本を読む、という嘘みたいに出来すぎなシチュエーションで待っていた直央は、おれの姿を見て嬉しそうに微笑んだ。 「よかった、来てくれて」 「信用ねー」 「そりゃあ、昨日まで逃げられてましたから」 「…すんません」 「ふふ、今日来てくれたから許します」  楽しそうにおれをからかって笑う直央は、読んでいた本を閉じて、隣に座るように促した。 おれを待っている間に二人分のコーヒーを買っておいてくれていたようで、手渡されたコーヒーを一口。まだ暖かい。 「携帯、見つかったんですね」 「知り合いの店にあったんだよ」 「僕からの不在着信だらけだったでしょ」 「うん。預かってくれてた知り合いに、あんたストーカーでもいんの?って心配された」 「ストーカーって…だって、必死だったんだもん。しょうがないでしょ」 不満げに言いながらも、直央はじっとおれの顔を見ている。もともと目を見て話す奴だけど、今日はそういうんじゃないってのは、さすがに分かる。 「…あのさ、そんな見なくても逃げないって」 「えー?ほんとかなぁ?」 「信じるってさっき言ったじゃん」 「許すとは言ったけど、信じるとは言ってませんよ」  …思い返してみると、確かに信じるとは言われてねーな。 「ふふ、嘘です。ゆみとさんとまたこんな風に普通に会えることが嬉しくて、つい見ちゃった」  くすぐったそうにそう言って、照れ隠しみたいにコーヒーを飲む。ドラマのワンシーンみたいに様になっていて、いつにも増してキラキラチカチカ輝いている。おれにだけ見えるエフェクトなのか、誰が見てもそう見えるんだろうか。  ああ、やばい。引っ張られる。 「…おれも」 「うん?」 「おれも嬉しいよ」 「…」 「昨日も、嬉しかった」  おれの言葉は直央にとって衝撃だったようだ。動きを止めて、次の言葉を待っている。 「昨日おまえがシーシャに来たとき、めちゃくちゃ嬉しかった」 「ほんと?」 「うん」 「僕も、ゆみとさんに会えたら言いたいこといっぱいあるんだぞって思いながらお店に行ったけど、ゆみとさんの顔見たら、すきーーってなっちゃった」  単純だよね、なんて直央は恥ずかしそうに言うけど、おれも同じようなものだ。  直央の顔を見たら、とたんに決意が揺らぎまくって、拒絶するって決めたはずなのに直央の変わらない好意が気持ちよくて、絆されて、今ここにいる。  なにやってんだと思うのに、あれよあれよと取り付けられた約束どおり来てしまった。  思えばこの王子様に出会ってからずっと、おれの思い通りにはいってないな。 「ゆみとさん、」 「ん?」 「デート、しましょ」  手を握られて、微笑まれたら、振りほどく気なんてどっか遠くに消えた。 「あの氷川丸で加納治五郎先生が亡くなったらしいよ」 「誰?」 「柔道の始祖」 「ふーん?」  …などと、どうでもいい会話をしながら、目的もなくただ海沿いを歩く。手を繋いだまま。 興味なさそうに船を見る直央の横顔を盗み見ながら、ふと思い出した。 「そういや、初めて飯行った時、横浜デートがどうのこうのって言ってたよな」 「覚えてたの?」 「今思い出した」  初めて飯を食いに行ったあのやきとり屋で、直央は「ほんとは夜景の見える横浜のレストランに行きたかった」みたいなことを言っていた気がする。男同士でそんな雰囲気のいいところなんて、と悪態もついた。 「え。もしや、レストラン予約してる?」 「あはは、してないよ。ゆみとさん嫌がるでしょ?」 「まぁ、そうね」 「それに、こうやって海沿いを手つないで歩くなんて、すっごくベタなデートだよね」 「たしかに、ベタ中のベタだなぁ」  繋いだ手にきゅっと力を籠められて、応えるように握り返す。 「僕たち、こういう時間をすっ飛ばしてきちゃいましたね」 「飯は結構行ったじゃん」 「そうだけど…こういうなんでもない時間を一緒に過ごしたことはなかったでしょ」  すれ違うカップルは自分たち2人だけの世界の中でデートをしていて、男同士で手を繋いで歩いているおれ達には目もくれない。  世界は意外と、おれ達になんか興味はない。 それが心地いい。 「ちょっと風が冷たいけど、きもちいいね」 「うん」 「ゆみとさんお腹すいてる?元町の中華街のほうにでも行ってみる?」 「ううん」 「じゃあ赤レンガのほうに…」 「直央、」  携帯を操作しながらいかにもデートっぽい提案を続ける直央の手を引く。 「2人きりなれるとこ、行こ」 「えっ…」 「あれ」  直央の背後。  丁度、少しが空が暗くなってきたことで存在感を増している、有名な観覧車を指さした。 「観覧車?」 「そう。2人きりになれるでしょ」  直央はぱちぱちと数回瞬きをして、了承するように軽く頷いてくれた。  観覧車の下にたどり着いたときにはもうだいぶ空が暗くなっていた。ピカピカと何度も色を変えながらゆっくりと回り続ける観覧車。 最後に乗ったのはいつだったっけなぁ。遊園地もかなり久しぶりに来た。  妙に愛想のいい係員のお姉さんに案内されて、おれたちはピンク色ゴンドラに乗り込んだ。 「観覧車ってこんなにゆっくりだったっけ?」 「…多分」 「どした?」 「僕、高いとこ苦手で…」  向かいのシートに座った直央は、小さい声でそう言いながら、手すりを強く掴んでいる。 「ゆみとさんひどい。顔が笑ってる」 「ビビってる直央、正直おもろい」 「ビビってないです、備えてるだけ」 「何に?」 「お、落ちるかもしれないから」 「んなわけ」  落ちるときは備えてたって落ちるだろ。 足を組み替えようと身じろぎをしたら、揺れるのがこわいのか「動かないで!」とまぁまぁの声量で怒られた。  まさか観覧車で直央の新たな一面を知れるとは。 「そんなに怖いなら断りゃよかったじゃん」 「だって…ゆみとさんが誘ってくれたから」 「ん?」 「好きな人に誘われたら、応えたいでしょ」 …そういえば。思い返してみると、直央に断られたことって、ないな。どんなに些細な誘いも、おれが誘えば嬉しそうにしていたっけ。 飯に誘った時も、ちょっとコンビニに行くだけのときも、いつも。 「でも、思ったより怖くないです」 「震えながら言われても」 「震えてはないよ!」  手すりを握っている手が、力を籠めすぎて白くなっているけど。言わないでおいてやろう。 「そっち、行っていい?」 「えっ」 「そっち」 「…」  苦悩している。すごく考えている。  じゃあ、もう一声いきますか。 「直央の隣、いってもいい?」 「…はい」  断らないね、ほんと。  ゆっくりと、なるべく揺らさないように移動してみたけど、やっぱりすこし揺れてしまった。 直央は顔をこわばらせながらも、おれのほうに体を寄せている。 「だいじょぶ。片方に乗っても、落ちねーよ」 「う、うん」  言いながら、直央の肩に頭を乗せた。  ぴくっと反応して、また少し体がこわばる。これは高所への恐怖じゃない。おれへの疑問だ。 「ゆみとさん?」 「前も思ったけどさ、おまえ、おれが近くに来るとちょっと緊張するよね」 「だって、ゆみとさんの行動って意味不明なんだもん…」 「心臓もばっくばくだし」 「ばれてるんだ」 「まぁ、くっつきゃばれるでしょ」  何度か抱きしめられたとき、直央の体は熱くて、心臓はうるさいほど鼓動が早くて、力加減はめちゃくちゃで。ああ、こいつ。おれのこと好きなんだなと体感として痛いほど伝わってきた。  今はそこまでの距離じゃないけど、きっとそうなんだろうなと、分かる。 「…やっぱり、熱い」  直央の細くてきれいな指に、自身の指を絡める。きゅっと握られて、顔を上げるとさっきよりも大分落ち着いた表情で、なんなら嬉しそうに笑っている。そんな顔を見るのが嫌で隣に来たのに、結局無意識に直央を見てしまう。 「…お前が、もっとノリで恋愛するような奴だったらなぁ」 「え?」  しまった。思ったことが口をついて出る。 「でもお前、本気じゃん」 「はい、もちろん」  当然という口調だ。それは分かってる。 分かってるんだけど、 「前に、おれが初恋の相手だって言ってたでしょ」 「うん」 「嬉しかったけど、聞かなきゃよかったとも思ったんだよね」 「聞かなきゃ…よかった?」 「だって、そんなん聞いたらうれしくなるじゃん」 「なっていいでしょ」 「よくねーよ。おかげで、お前がそうやって一生懸命すきすきいってくるから、おれ、」  声が、震える。 「…直央、おれね」 「はい」 「おまえが、すきだよ」  せっかく顔見ないようにしてたのに、直央はおれの肩を掴んだ。真正面で、美しい薄茶色の瞳が揺れている。 「ゆみとさん…今、なんて、」 「すきだよって、言った」 「ほんと…?」  おれが頷くのと同時に、ぐっと引き寄せられて、力強く抱きしめられた。  観覧車が揺れているけど、直央はもうそんなことは意識の外だ。 「夢じゃないよね」 「うん」 「こんなにうれしいんだ、好きな人に好きになってもらえると…」  おれの肩に顔をうずめて、直央は呟いた。  おれは、さっきまで繋いでいたほうの手で、直央を押し返した。 「…すきだけど、付き合うとかそういうのは、いい」 「え?いいって…付き合わないってこと?」  頷く。 「ゆみとさん、僕を好きなんだよね?」 頷く。 「じゃあ僕たちは両想いで、恋人同士になって、ハッピーエンドでしょ?違うの?」  …頷く。  意味が分からないって顔、もう何回見たかな。 かわいそうな直央。もっと素直で、まっすぐに直央をすきだと言ってくれる人は他にたくさんいるってのに、どうしておれみたいな奴に捕まってしまったの。  こんな臆病者に。 「まだ終わらせようなんて考えてる?昨日言ったよね、単に終わらせられるなら、あの日、全部諦めてたって」 「だから、そういうのが怖いんだよ、おれは」 「怖い?」 「怖いだろ。今、本気でおれを好きでいてくれてるお前が、いつか、おれを好きじゃなくなる日が来るのが、怖いよ、」  我ながら情けないことを言っている自覚はある。それでも、今日は言わなくちゃいけないと、覚悟はしてきたんだ。  それが、今おれを好きでいてくれている直央へのおれなりの誠意だと。 「僕のことが信用できないってこと?」 「じゃなくて、」 「僕の気持ちが信じきれないってことじゃないの」  直央の声が震えている。 ああ、また傷つけた。 「直央はすごいよ。おれのために、怖いのに観覧車乗ってくれてさ」 「…」 「おれはね、怖いことできないんだよ」 「ゆみとさん…」 「いつか、すきなのがおれだけになるのが怖い。置いてかれるのが、すっげーこわい」 「…」 「ごめん、直央」  結局おれは、終わらせることを選んだんだと今気づいた。  直央と連絡を絶ってから、連絡先を削除しようと何度も同じ画面を開き、そのたびに今日はいいやと先送りにした。そのくせ、直央からの着信や新着メッセージに安堵した。出ないくせに、だ。 そのあとすぐ、酔っぱらって携帯を失くして、このまま携帯がなくなれば偶然連絡手段がなくなって、フェードアウト出来る。そう思った。 次の日、知り合いが携帯を預かってくれていると相楽から聞いた。取りに行くのを躊躇っていたのは、画面に表示される直央の名前を見たら、次こそ出てしまいそうだったからだ。  それなのに、この王子様はおれを見つけ出して、会いに来やがった。 うれしかった。 すごくすごく、うれしかった。  だけど、もう終わり。自分で選んだんだから。 ふっと息をはいて、顔を上げた。 「………何で笑ってんの、おまえ」 「え、あ、すいません…」  直央は眉を下げて、隠れるように笑っていた。 想像していたリアクションとは正反対で、面食らう。 たちまち、張りつめていた空気がほどけていく。 「今笑うとこなかっただろ…」 「いや、だって…ゆみとさんがすごいこと言うから」 「あ?」 「好きなのがおれだけになるのが怖い。置いてかれるのがこわいなんて…すごく、熱烈な告白じゃないですか」 「…は?」  前々から思っていたけど、こいつ、自分に都合よく解釈するとこあるよな? 「あのさ、おれ、結構真剣な話してたんだけど?」 「分かってます。真剣に聞いてましたよ」 「だったら笑うとこねーだろって、むかつくなぁ」 「ごめんなさい、うれしくて」 「だから、なにが」 「ゆみとさんが僕を好きっていうのが、本当なんだって分かったから」  自分に都合よく解釈してるんじゃない、か。 こいつはたった半年かそこらの付き合いのくせに、おれのことをよくわかっているだけだ。 言わない本音を、見抜きやがって。 「僕は、この恋が初恋だから。きっと怖いもの知らずなんですね」 「おまえほんと、元カノに謝った方がいいよ」 「ゆみとさんに言われたくない」 「…たしかに」  まっすぐな視線を逃げるように外を見ると、観覧車はいつの間にか頂点を通りすぎていた。 「ゆみとさん、抱きしめていい?」 「いつも勝手にするじゃん」 「うん、じゃあ勝手にするね」  包み込むように抱きしめられて、ほんと嫌になる。全部、どうでもよくなってしまう。 「ゆみとさんは僕より8歳も年上で、たくさんのことを経験してて、いろんなことを知ってて…僕はそんなゆみとさんが好きだよ」 「…うん」 「僕の心の中はゆみとさんでいっぱいだけど、ゆみとさんを臆病にさせた誰かが、まだゆみとさんの心の中にいるんだね」 「…」  おれを臆病者にした誰か。 「僕はずっとずっと、この先もずーっとゆみとさんが好きって思ってるけど、そんなの信じられないっていうんなら、もういいよそんなの」 「え?」 「毎日言うよ、好きだよって」 「…」 「だから、今目の前にいる僕だけ、信じて。好きでいて」 「直央…」 「それじゃだめ?」  観覧車を降りると、外はもう真っ暗だった。 遊園地の電飾、ビルの灯り、ピカピカチカチカ輝いてさっきまでの観覧車の静かな空気とは別世界だ。  振り返って観覧車を見上げる。たった一周。たった十五分。ものすごく長く感じた気がする。 今日一日、無意識に緊張していたみたいだ。 「ゆみとさんの髪に光が反射して、綺麗ですね」  この男に振り回されっぱなし。元ホストが。 「直央」 「はい?」 「次はおれから連絡する」 「…はい」 「絶対するから、待ってて」 「はい」   キスも、抱きしめることも、今日はしない。 今のおれは、次があることを信じてるから。  ちょっとだけ待ってて、直央。

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