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第五話 貴方だけの

【第五話 貴方だけの】  身体が暑くて目が覚めた。身動ぎをすれば、のぼせているような感覚の割に四肢は妙に軽く感じる。風邪を引いたのかもしれないとも思いながら、どこか違和感の残るその状態に疑問を隠せないまま枕に頬を懐かせる。それもやはりどこか肌触りが違う気がして、俺はゆっくりと瞼を開いた。 「……っ!」  驚いて声も出ない、とはこのことか。いや、俺はそもそも声が出ないんだけど。  目の前にあったのは、眠っている洋輔の顔だった。つまり俺は洋輔の部屋で、洋輔のベッドで、一緒に眠っていたらしい。どうしてこんなことに。挙動の軽やかな手足とは反比例するように動きの鈍い頭を必死に働かせながら、とにかくこの部屋から出なければとシーツの海を静かに掻き分けた。  ああ、ええと。裏庭の池に行ったら何故か坂木がいて。俺は邪魔なんだと糾弾されて。理不尽だと感じたけれど、でも、あいつは洋輔から貰ったペンダントを身に着けて。俺にあるのは、形ばかりの心配の形として笛だなんて、笑い種。それさえも今頃池の底に沈んでいるだろうか。胸元に手を当てる。ほら、何にもない。  泣き出しそうになって、慌てて松葉杖を探した。動けなくなる前にこの部屋から出て行かなくては。だけど、この部屋の何処にもその姿は見当たらなくて、同時に聞こえた洋輔の唸り声に俺は焦って左足を床に着けた。 「っい、……ぁ、え?」  よく見れば無傷だった左足首にも包帯が巻かれて固定されている。そういえば、池に落とされた拍子に捻った覚えがあるような気がしなくもない。いや、それよりも大切なのは。 「……こ、ぇ」  ガサガサに擦れてはいるけれど、確かに俺の声だった。声変りを終えて、すっかり低くなった、聞き慣れない俺の声。  痛みに驚いてベッドの脇に座り込んだまま、自分の喉元を手探りで触れる。包帯の感触はない。触れるだけではそこに呪縛印があるのかまでは確認できない。だけど。窓はカーテンで閉ざされていて反射も分からない。鏡を探す余裕もない。  声が出る。それが示すたった一つの真実がある。 「ぁ……ぁ、ああ」  呪縛印すら喪ってしまった。俺に残された洋輔の証。声なんて、奪われても、本当は良かった。洋輔のものであるのなら、声なんて幾らでも捧げられた。側に居られるのなら。番でさえいられるのなら。譲りたくなんてない。譲りたくなんてなかったよ。洋輔が望むのなら番の解消も受け入れるなんて聞き分けの良い振りをしていたけど、そんなの嘘だ。これっぽっちも受け入れられない。絶対に、しがみついて、離してたまるものかと、そう思っていた。本当は、心の奥底では、ずっと。  だけど、声は返されてしまった。気が付けば手首にあった魔導具すら姿を消している。それじゃあ、そしたら、呪縛印に囲まれるように刻まれて契約印がどうなっているのかなんて。そんなの。  その先を考えたくなくて、痛む両足を無視して寝室を抜け出した。こわい。こわい。鏡なんて見たくない。未来なんて考えたくない。いたい。こわい。くるしい。洋輔のものでいたいだけなのに。洋輔が俺のものになってくれだなんて、高望みはしないから。  本当は。本当はね、洋輔。また洋輔に俺の歌を聞いてほしかった。それを褒めてほしかったし、一緒に練習して、洋輔のギターに合わせてまた歌いたかった。治幸先輩と三人で勉強したり、魔法を見せ合ったり、遊びに行ったり。  幼い頃の思い出が浮かんでは消える。まるで走馬灯みたい。もう叶わないと分かっているから、こうやって浮かぶのかもしれない。最期の思い出に。俺が持っていける、唯一の洋輔のものだから。当たり前の様にあった幸せが、こんなにも遠い。遠いでは済まされないほど、手の届かない遥か彼方へと流れされて弾けて消えていくようだ。  俺、何かとてつもなく悪いことでもしたのかな。それとも、俺みたいな人を惑わせる血を持つ人間が洋輔に近付いた罰?聞こえたよ、坂木の声で、何度も。混ざり物、って。それは真実だから。学園の人たちを、間接的に騙していたことになるのは、本当だから。人魚だなんて、そんな綺麗な血じゃない。歌声で人を惑わせて、容姿で男を惑わせて、人の命を奪う生き物。それが俺の原種。このご時世そんな罵倒の方が真っ当ではないと評価されるのだろうけど、格式ある洋輔の家だとそれも違うのかもね。俺なんかでは、横にいる価値もないのかもしれない。側に居ることすら、許されないくらい。  昔はそんなこと気なんてしなかったのにな。立ち止まることすら痛くて苦しいから、玄関へと続く廊下をゆっくりと進みながら、洋輔がこの学園に入る前、俺が中学に入るよりずっと前の頃を思い出す。学校は違ったけれど、学校が終わったら洋輔の家に帰って、遊んだり勉強したり。ご両親も使用人さんたちも良くしてくれた。年に一度か二度参加したパーティではたしかにそんな陰口を言われたこともあったけど、皆気にしなくていいと慰めてくれたし、俺自身これっぽっちも耳を傾けることなんてなかった。聞き流していた、のに。今では無理だ。  こんな俺になったから、駄目なのかな。 「あ、ぅぐ……っ」  左足首を見れば酷く腫れあがっていた。これは靴を履くのも難しいかもしれない。そもそも、靴を履くために座り込んだら、もう二度と立ち上がれない気がする。  裸足のままぺたぺたと足を進めた。ああ、でも、この部屋を出たら何処に行けばいいんだろう。何処でもいい。どうせ何処にも居場所なんてない。洋輔に直接いらないと言われない場所へ。ああ、それならいっそ。  ガチャリ。玄関の鍵を開ける。さよなら。あの池の中で最期の告白は出来たから、言い残したい言葉はなかった。 俺は人魚じゃないから、泡になって消えることはできないし。王子様を殺して生き延びていくような勇気もないから。だからせめて、あの言葉が代わりに泡になってくれただけ、幸せだ。  扉を開ければ、ぶわりと強い風が吹き込んだ。伸ばしっぱなしになっていた髪がばさばさと揺れる。息が出来ないくらい苦しい。こんなに色鮮やかな世界で、俺は、一人で生きていく。その方法もわからないのに。意味も見出せないのに。  なのに、やっと呼吸が出来たような気がした。  そうか、俺、洋輔のこと、 「かいほう、してあげたかった、のかな」  ずきん。  ずきん。  痛んでいたのは、足なのか、心なのかも、もうわからない。  俺を見る度に苦しそうな顔をするから。それなら、俺が居なければ。俺が番でなければ。心のどこかで、そんな風に思ってたのかも。  だけどやっぱり未練が無いわけじゃなくて、ドアノブを握る手は震えているし、こんなに色々考えたのに。それなのに。玄関から一歩踏み出した足が、動かない。乱れた髪が乱暴に顔を覆って、それに隠れて涙が溢れそうになる。  早くここからいなくならなきゃいけないのに。消えなくちゃいけないのに。動かない。痛い。もうやだ。何もかも。なんでこんなに苦しい思いをしなくちゃいけないの。俺が何をしたの。どうしたら、幸せになれたの。  なぜか急に心が折れて、両手でドアノブにしがみついた。泣き喚く前に、次の足を踏み出さなきゃいけないのに。それが出来なくて、無力に、ただ、かくりと膝が折れた。 「っ涼!」  ぐい、と腹に腕が回されて、それに苦しいと思う間もなく視界がぐるりと回った。動揺する暇すら与えられずに横抱きにされて部屋の中に戻される。洋輔はなんてことのないように俺の身体を強く抱き上げていて、逃げ出そうとして身動ぎをすると柔らかな声でこら、と窘められた。聞いたことのない、正確には、この学園に入学して以来聞いたことのないような声色に俺の方が身体を強張らせる破目になった。なにがどうなってこうなっているのか、全く理解が追い付かない。 「ょ、うすけ……?」 「説明する。でもその前に足の手当てが先だ」  子どもに言い聞かせるように、頭をぽんぽんと撫でられながら穏やかに返事をされる。これ、本当に、洋輔……?偽物じゃなく?  ドッキリの一種か何かかと疑ってキョロキョロと辺りを見回している内に、気が付いたら俺はまた洋輔のベッドに腰掛けていた。スタート地点に逆戻りだ。玄関まで辿り着くのにあんなに時間が掛かったのに。  洋輔がちょい、と指先を動かすと光の粒子が俺の足の周りをくるくると踊った。多分洗浄魔法。 「下手に動かして悪化させると不味いから洗浄は俺の魔法で済ますが、この後保健室でちゃんと処置してもらうからな」  ベッドサイドに置いてあった洗面器を差し出しながら、氷出せるか、と洋輔に言われて魔道具のなくなった自分の手首を見詰めた。どうしたら、と彼を見詰め返せば、苦虫を嚙み潰したような顔で無理矢理笑った洋輔が、詠唱してみろ、と言う。  あ、そうか。  これっぽっちも思い付かなかった。慌てて簡易詠唱で氷を出せば洗面器にはごろごろと大量の氷が溢れている。それをビニール袋に詰めて、タオルに包んで右足首に固定する。終われば次は左足の分を、と作業をしながら、ちょっと出し過ぎたな。加減は追々覚えればいい。と、先程よりかは気の抜けた苦笑いでアドバイスをくれた。  簡単な処置を終わらせた洋輔は、床に跪いたまま、俺を見上げてくる。落ち着かないな。いつも見上げるばかりだったから。そわそわとシーツを撫でたり握りしめたりしながら言葉を探す。  そもそも、俺をどうしたいのだろう。番を解消したのならさっさと部屋を追い出せばいいのに。外聞が悪いのなら保健室に放り込めばそれらしい理由も付く。なんで、今更優しくするの。それとも、こんなに事態を大きくしたことを怒られるのだろうか。さっきまではあんなに機嫌が良さそうだったけど。だけど、だけど……。今の洋輔のことを、俺はよくわからない。  シーツをぎゅ、と握りしめて俯けば、その手の平の上に暖かな洋輔の手が重ねられた。 「どこか、痛むか?」 「え、……ぅ、んん」  声が掠れてどちらとも取れない返事になってしまったので、慌ててふるふると首を横に振った。洋輔は一度立ち上がると部屋に置いてあったらしいペットボトルの封をパキリ、と開けながら俺に差し出してきた。  あ、この天然水俺の好きなメーカーのだ。そう思いながら、ちいさくありがと、と言って水を口に含む。思ったより喉が渇いていたらしい。半分ほど飲んでようやく生き返った様な心地になった。そうか、俺、喉が渇いてたのか。 「こっちも、大事ないか」  ペットボトルを両手で転がしてぼうっとしている俺の気を引くためか、洋輔が俺の首筋に触れながらそう問いかける。大事、ないかって。そんなの。 「……しらない」  溢れていたダムが決壊したような感覚だった。考える間もなく口から言葉が溢れていく。 「かってに、呪った、のは、洋輔なのに……!」  俺はその理由も知らない。それなのに呪いを解くのも勝手にやって。今更洋輔に関係ないでしょ。もう優しくしないでよ。関わらないでよ。傷付けるだけ傷付けて最後は勝手に放り出すなら、もうそれで終わりにしてよ。また捨てられるなら優しくされてももう痛いだけだ。痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。もう、傷付きたくなんてない。 「けぃやくも、番も……!ぜん、っぜんぶ、よ、すけの好きに、解消した、くせに!」  涙もボロボロと零れてきて、途中呂律も回らない箇所もあったし、しゃくりあげて文章になっていない箇所もあっただろう。それでも辛抱強く聞き役に徹していた洋輔は、ある一箇所で慌てたようにベッドに膝で乗り上がると、俺の頬を両手で包み込んだ。 「待て、待て!呪縛印は確かに俺が一方的に解いた、それは間違いない。でも契約印はそのままだ」 「う、うそ」 「嘘じゃない、坂木に何か言われたか?あれは全部あいつの狂言で……、俺の言葉より、一度鏡を見た方が信じられるか?」  頬を流れ落ち続ける涙を指で何度も拭いながら、洋輔は慌てたように部屋中に視線を向けた。鏡を探しているらしい。生憎部屋に鏡は置いていないのか、慌ただしく共有スペースへと走り出しそうな洋輔の服の裾を、弱く、一度だけくん、と引いた。気付かれなかったら、魔法で逃げ出そうかなんて物騒なことを考えているとは露知らず、運がいいのか悪いのか、洋輔はすぐに振り返るとどうした、と子供をあやすような声色で俺に声を掛ける。  俺が魔法で水鏡か氷の鏡を作ると言えば、ああ、と思い出したような洋輔の声。俺が気軽に魔法を使える状況が逆に新鮮だった。  表面が鏡のように反射する手のひら大より少し大きい碓氷を生成して、それをそっと覗き込む。鼻先まで映して、口元、顎先、そして、首元。上下を囲っていた呪縛印が消えた分、シンプルに見える契約印が変わらずにそこにはあった。ふ、と浮力を失ったそれを洋輔が受け止めて洗面器の中に放り込む。カシャン、と割れる音がしたけれどもう必要ないから問題ないだろう。 「ど、して……?」 「俺は今まで一度も、番を解消したいと思ったことはない」  最初から話そう。  そう言うと、洋輔はまた俺の真正面に跪いて俺の両手を包み込んだ。 「別の中学を選んだだろう。理由も言わずに。だから、俺のことが嫌になったのかと思った。……本当の理由は、この間両親経由で聞いた。それで、当時の俺は、お前を誰にも渡したくないと思ったんだ。だけど、なかなかゆっくり会う機会もなくて……その時間を作れたのが、この学園に入学してからだった」  だから、その時に呪縛印を付けた。実家にいる間は両親の目が有って付けられなかったっていうのもあるな。全部、お前の声を誰にも聞かされたくなかったからだ。変声期の声も俺は好きだったし、少ししか聞けなかったが今の声も。  罪を告白するように言葉を紡ぎ続ける洋輔は、それでも俺から目を逸らさなかった。 「お、れは……嫌われたんだと、おもってたよ。声変りして、もう、同じようにはうたえないから。そんな俺はいらないから、聴きたくないから、俺のこえを封じたんだって。……それに、やっぱり、セイレーンは、いらないのかなって。もっと優秀な血は、この学園には数えきれないほどいるでしょう?」 「俺はお前しかいらない。でも、呪縛印をお前に刻んだことで、嫌われたと思った。声が出なくて苦しむお前が俺を憎むかもしれないと思うと恐ろしくて会話も出来なくなっていった……。俺だけのお前にしたかったのに、馬鹿らしいとは自分でもわかってた。でも、その時にはもう、元に戻る方法なんて分からなくて……」  治幸には、全部隠さずに打ち明ければそれでいいって何度も怒られた。その通りだったな。 そう肩を落とした洋輔は、俺の手を解放すると少しの間自分の手のひらを見詰めて何かを考えているようだった。その両手に触れると、洋輔は俺の頬を包んで至近距離で瞳を覗き込んでくる。 「一緒に居たい。ずっと。傷付けたいわけじゃなかった。涼が許してくれるなら、これからはお前を傷付けるものから守らせてほしい。許されないのなら、俺との番を解消したいのなら……俺の息の根を止めてくれて構わない」  そこまでやってくれないと、きっと俺はお前を解放できないから。  その洋輔の言葉に、止まりかけていた涙がまたボロボロと零れ始める。ずっと我慢してきた分が今になって込み上げてくるようだった。 「その言葉が、言えるならっ……一番最初に全部言ってよ!俺は、人魚姫じゃないから……!王子様を殺して、幸せに生きることも……っ泡になって、消えることも、出来ないんだから……っ」 「……そうだな。言葉に出来たはずなのに、全部、怠ったのは俺だ。なあ、どうしたら許してもらえる?」 「ばか……っひ、う」  洋輔の両手を振り払ってその胸に飛び込む。バランスを崩して洋輔は腰を強かに床に打ち付けたし、その腹に俺の膝が減り込んだりしたけど、怪我をした俺の足は何としてでも死守してくれたから、俺への、その、愛は認めてあげる。  洋輔の膝の上に横抱きになった様な姿勢のまま、俺は洋輔を見上げた。えぐえぐとしゃくりあげて、目元と鼻先は多分真っ赤でブサイクだし、未だに久しぶりの発音はたどたどしいし、声を上げて泣くのすら久々すぎて呼吸も苦しいけど。 「……あさ」 「うん」 「さいしょ、に、おはようって言いたい、し」 「そうだな」 「……いっしょに朝ご飯たべたい……登校も」 「昼と夜もなるべく合わせよう。ここ半年で大分痩せただろう?ここの食堂は美味いメニューが多いんだ。お気に入りを見つけるまで通おう」 「治幸先輩も、いっしょがいい」 「……たまにならな」  少しだけ拗ねた様子の洋輔が可愛くて、くふくふと笑っているのを隠すように洋輔の肩口に顔を埋めた。ずび、と鼻を啜りながら、それからね、と次々におねだりを続けて行く。勉強も教えてほしい。おばあちゃんにも一緒に会いに行きたい。来年の夏季休暇には海に行きたい。あれも。これも。本当は一秒も離れたくない。どこまでなら許されるだろうか、と、どこまでも肯定される返事に逆に不安になってくる。ううん、でも許されているのなら、望んでいいこと、なのだろうし。  ぐるぐると考えている内に沈黙が続いてしまったのだろう。涼、と名前を呼ばれて、洋輔の顔を見上げた俺の唇が深く塞がれた。 「んぅ、ん、ぁ……ぅう」 「ん、落ち着いたか?」 「おち、…っ、ばか!」  ぺち、と洋輔の胸元を軽く叩く。それに洋輔は軽く笑って、筋トレも増やさないとだなと呑気に呟いている。洋輔が筋肉達磨なだけだよ、とは痩せてしまった今の俺には到底言えない。実際洋輔は筋肉というより骨格ががっちりしているだけで。そんなことを考えている間に、膝裏と背中に洋輔の手が回されて、持ち上げるぞ、という彼の言葉があったかと思えば横抱きのまま移動させられていた。  魔法で移動できるのに、と抗議の目を向ければ、文句を口で言う練習もしないとな、と躱されてしまった。  あれ、もしかしてさっきのファーストキスなのでは。いや、小学生の時に正直ふざけて洋輔とキスしたことは、その……あるんだけど。多分洋輔もそれを覚えてるだろうけど、でも、ちゃんとキスっていうか、そういうのは初めてのはず。一気に頬が熱くなって、また、ぺちと洋輔の胸元を叩く。どうした、という問い掛けに、自分の唇をむにむにと弄りながら、あの、その、と言葉を探していれば、何やら察したのか、洋輔が悪い、と呟いた。 「さっきのはセカンド……いや、意識がなかったからノーカウントか……?」 「ちょ、なにそれ。セカンドって何の話!?」 「あー、まあ、落ち着いてから話そう。それより」  玄関に向かって真っすぐに進んでいた洋輔が、一度洗面室に寄り道する。さっき鏡を見た時は気が付かなかったみたいだから、という彼の意図が分からずに首を傾げた。洗面室の大きな鏡の中には、横抱きにされて不思議そうな顔をした俺とそんな俺を抱えて満足そうな顔をした洋輔が映っている。  坂木が自慢してたペンダントあっただろ。と思わぬ洋輔の言葉に体の芯に氷を落とされたような心地がした。一連の騒動で忘れていたが、そうだ、坂木には洋輔の渡したペンダントがあった。あれがあったから、俺には何にもないと余計に追い詰められたのに。 「これ見えるか?」  俺を抱き上げたまま、器用に自分の右耳に掛かる髪を掻き上げた。耳朶には見覚えのないアクアブルーのピアス。俺の知らない間に開けたのだろうか。それがどうかしたのか、という視線を鏡越しに送る。疑問も口に出していこうな、と言いながら洋輔は次に俺の左耳が見えるように髪を掻き上げた。 「あ、これ……」 「眠ってる間に開けたのは……これも事後承諾だな。悪い。次からは気を付ける」  坂木のあれ気にしてたみたいだから早めに着けてやりたかったんだ。  俺の耳元にあるのは真っ赤なピアス。どちらもお互いの魔力の色にそっくりだった。青は俺。赤は洋輔。お互いの色を着けているのが擽ったくて首を振ってすぐに髪でピアスを隠した。 「あ、こら、せっかく着けたのに隠すなよ」 「っひゃ、んっ……ば、ばか!」  それが気に食わないのか、洋輔は鼻先で髪を掻き分けると耳朶にキスを落として、べろりと舐め上げた。びくりと跳ね上がった俺を軽々と抱き留めたまま、悪戯を繰り返すように首筋にまで唇を這わせる洋輔の頭をぱちんと強めに叩く。 「み、見せるのはお互いだけでいいでしょ……」 「…………その顔も俺専用で頼むな」  どういうこと、と首を傾げればしばらく俺の胸に顔を埋めてろ、と後頭部をやんわりと抑えられて、言われるまま洋輔の胸に頬を当てた。ついでにその首に腕を回して安定した姿勢を取る。 「坂木に送ったペンダントは、生徒会の経費で落とした魔力制御の魔導具だ。被害が大きかったから会計と俺だけで早々に処理したのが裏目に出たな。普通に処理してたら涼にも決済資料回ってただろう」 「……じゃあ、坂木が言ってたプレゼントがどうって」 「勘違いか、わざと涼を煽ってたかのどちらかだろうな」 「性質悪い……」 「坂木にも何か思う所があったみたいだが……。奴の話はここまでにしよう。今は涼の治療が先だ。保健医に文句言われるぞ」 「うぇ……。そう言えば俺の松葉杖どこやったの?」 「返した。こうして俺が運べば問題ないだろう?」 「ばか!あるの!松葉杖また借りなきゃだよ……」  もー、と文句を言いながらぐりぐりと額を鎖骨辺りに擦り付けていれば、頭頂部にちゅ、と唇を落とされる。今そういうタイミングだった?と思いながら怪訝な目で見詰めれば、少し切なそうな目で俺を見て、昔のお前はおしゃべりな奴だったなぁと思い出して、と返される。 「洋輔のせいじゃん」 「……ああ」 「だからさ、また、聴かせてよ」  潤む瞳を隠すように洋輔のワイシャツの皺を見詰める。ずび、と鼻が鳴ったから意味はあまりないかもしれないが。 「ギター、聴かせて」  きっともう同じ曲は歌えない。それなら、新しい曲を覚えればいい。一緒に練習するのも楽しいだろう。俺もピアノの弾き語りとか練習してみようかな。ううん、でも、俺あんまり器用じゃないんだよなぁ。ウクレレとかなら何とかならないかな。でもウクレレで歌う曲って何だろう。  洋輔の歩くリズムに合わせて揺れる振動が眠りを誘う。俺より高い体温も毛布に包まれているようでこれが余計に良くなかった。 「歌わせて、洋輔のために」  それがきちんと言葉になったか、俺には判別がつかなかった。  ただ次の目覚めは、保健医によるお叱りの声だったとだけ記しておく。

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